きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

Don’t Kill!マスゾエに怒りをこめて

822日、恒例の東京「山谷夏祭り」に行った。お盆の間に飯場が休みになっても、帰郷できず山谷にとどまる野宿労働者の仲間を元気づけるため、そして、山谷で亡くなった仲間を弔うために開催してきたという。大不況下、お盆期間以外でも仕事がない人たちが多いが、仲間の団結や励まし合いとしての夏祭りは続けられている。この日も、夏祭り冒頭で、佐藤満夫さん、山岡強一さん(映画『山谷-やられたらやりかえせ』共同監督。84年、86年、ともに右翼系暴力団に殺された)はじめ、山谷で亡くなった方々の名前が読み上げられ、追悼の後、手づくり屋台や、ライブ、盆踊りなど、野宿労働者と支援者が一緒に飲んで食べて歌って踊った。個人的には、前回本欄で紹介したSwingMASAがライブ出演し、たっぷり一時間、ボーカルとサックス演奏を堪能できたのが嬉しかった。とりわけ、MASAの演奏曲「Don’t Kill」が、獄中の益永利明氏(東アジア反日武装戦線メンバー)が付けてくれたという日本語歌詞で歌われたのが印象的だった。

 以下はその一部。

 

Don’t Kill Don’t Kill

僕らはあやまち重ねて生きてきた

苦しくても悲しくても生きている

愛がなければひとは生きられない

歌おうよいのちのうた

響けよ愛のうた

 

いよいよ総選挙だが、この4年間で拡大した貧困の当事者たち、最も声をあげたい野宿労働者、路上で暮らす人びとは、選挙権すらないひとが多いことを改めて思う。

 

ところが、夏祭りが終わったら、そんな野宿労働者の嘆きをあざ笑うかのように、舛添厚労相が街頭演説で、「(年越し派遣村に集まった人たちについて)働く能力と機会があるのに怠けている人に、貴重な税金を使うつもりはない」と発言した(818日)という話が飛び込んできた。求人募集したが、ひとりも応募しなかったというのがその理由らしいが、これは事実と全く違っている。そこで、反貧困ネットワーク代表で派遣村名誉村長でもあった宇都宮健児さん(本誌編集委員)らが、抗議文を出した(24日)ところ、誤解があったとして弁明をした(25日)のだが、今度は「怠け者発言は生活保護の母子家庭(への母子加算)について言ったつもりだ」と、これまたあまりにも誤解と偏見に満ちた暴言を吐いたという。それがどれだけ間違っているか事実をあげればキリがないが、厚労相を最高責任者とする厚生労働省が出した「厚生労働白書」(2009年版)の一節を引く。

「母子家庭については、母親が一人で子どもを養育しつつ生活を成り立たせなければならず、就業が厳しい場合や制限される場合がある。このため、子どもの健全な成長の観点も踏まえつつ、生活面の支援や経済的な支援を行ないながら、就業支援を行なうことで総合的に自立を支援することが重要である」(第1部第1章第1節より)

 舛添大臣よ、自分が管轄する省庁の白書くらい読めよ!             (まだお)

真夏の夜はやっぱりジャズ

総選挙を目前にして色んな人が色んな思惑で動く。そんな中、だれが見ても失敗に終わりそうな東国原英夫宮崎県知事の自民党出馬事件とは逆に、橋下徹大阪府知事が、全国知事会の前面に出て、「大阪発“地方分権改革”ビジョン」をぶちあげて、メディアもそれを持ち上げている。でも、この人の目的って、結局、「道州制」で「関西州」ができたときに、お代官様になることではないの? と疑ってしまう。光市の事件や、府知事になってからの手法をみても、「橋下恐怖政治」劇場が、関西一円に広がるのか、オソロシヤ。

その橋下知事のお膝元で、死刑制度廃止を訴え、大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)の切り捨てに反対してきた女性ジャズ・サックス奏者Swing MASAが、7月17日、サンスクエア堺(大阪府堺市)で「Don’t Kill Concert -山の動く日-」と題したコンサートを開く。

 MASAを知ったのは、昨年、野宿労働者の支援コンサートを取材したとき。紫陽花が満開の浅草・隅田公園で行なわれた野外ライブは、力強さと優しさが同居した素敵なライブだった。ふだんは、ニューヨークで演奏活動をしている。ジャズの本場でやっていくことだけでもスゴいなあ、と関心するのだが、出身が関西(河内)なので、日本に戻ったときには、釜ヶ崎などで度々ライブを行なう。今回の堺市のコンサート・タイトル「Don’t Kill」は、MASAのファーストアルバムに入っている同名曲のタイトルでもあるが、死刑制度廃止の思いだけでなく、毎年3万人以上の自殺者が当たり前のようになっているこの国のあり方そのものへの訴えではないだろうか。

 まだチケットに余裕があるとのことなので、お近くの方、ぜひ、MASAのすばらしいサックスとボーカル(こちらはアルバムでしか聴いたことがないけれど、それでも絶品でした)、そしてMASA率いる女たちのジャズバンドを堪能してください。

 チケットの購入や問い合わせ先は下記のホームページを見てください。

 http://swingmasa.at.webry.info/

 Don’t Kill Concert -山の動く日-

Produced by Swing MASA

 2009年7月17日(金)

18:30開場 19:00開演

前売り2000円 当日3000円

 Swing MASA Osaka Jazz Womyns

Swing MASA saxophone&voice

河野多映 piano

廣田昌世 bass

今井康鼓 drums

池田安友子 percussion

 ●会場

サンスクエア堺

〒590-0014

大阪府堺市堺区田出井町2-1

Tel 072-222-3561

最寄駅 JR阪和線 堺市駅

バス停 南海バス 阪和堺市駅前

 ●主催

Swing MASA Jazz Office

本当は恐ろしい『源氏物語』(2)

3つ目は、「女」の「男」に対する仕掛け。

 

最近、『源氏物語』の現代語訳刊行を始めたばかりの大塚ひかりは、『源氏の男はみんなサイテー』(ちくま文庫)で、登場する男たちを、光源氏を筆頭にひとり残らずぶった斬っていて、快哉を叫ぶ女性も多いとか。しかしこれ、元はと言えば、作者の紫式部自身がどの男をもサイテーに書いているということ。そんな男たちのモデルは、時の最高権力者・藤原道長をはじめ、宮廷や地方任官時代に出会った人たちだろうが、描き分けがあまりに見事なため、読者は自分の周囲に似たようなやついるよなー、と、それぞれの男たちのたどる情けない末路に胸のすく思いがするらしい。

 

象徴的な例が、最終巻「夢の浮橋」のエンディングで宇治十帖の主人公といわれる薫の君(表向き光源氏の息子だが、実は別の男性の子)が吐く「人のかくしすゑたるにやあらむ」という台詞。自分の前から蒸発した女(浮舟)をようやく見つけ出したにも関わらず、戻る気配のないことについて、「誰か(別の)男が隠し住まわせているのかと」(瀬戸内寂聴訳)考えた、というのだ。実際には、女は男という男に絶望して、自殺未遂の果てに出家の道を選んでいるのだが、それがわからぬ男の考えることは、結局こんな卑しい想像だけというもの。大長編『源氏物語』全54帖の掉尾を飾る主人公の台詞がよりにもよってこんなものなのかというわけで、『源氏物語』未完成説とか、複数作者説(歌人・折口信夫や国文学者・大野晋など)まであるのだが、いまはほぼ否定されている。だいたい複数作者説というのは、「女ひとりでこんな傑作が書けるわけがない。だれか男の作家がバックにいるに違いない」というこの薫の台詞のような女性差別的な発想に基づいているのだ。

 

けだし、第三の仕掛けとは、光源氏の物語が、男たちが女の好みをあれこれ論じる有名な「雨夜の品定め」で幕を明けながら、読み終わってみると、品定めされていたのは、実は、読者も含めた男たち自身だったという仕掛けである。

 

とまれ、そんな『源氏物語』を読んでカタルシスを味わう女性たちが、千年の間にいったい何千万、いや何億人、何十億人いたのか。

今も、全国あちこち(いや今や世界)で開かれている『源氏物語』のカルチャー講座や読書会に集まる女性たちの間で、サイテーな男たちの意見交換がささやかれているだろう。

女の男への、千年のときを超えた文字を通しての復讐劇、恐るべし。

 

(まだお)

本当は恐ろしい『源氏物語』(1)

  2008年は『源氏物語』が書かれてジャスト1000年なので、テレビや出版など色々なイベントがありましたが、大長編でもあり、このサイトを読んでいる人でも(原文はもちろん現代語訳でも)読み通した人は少ないかもしれません。
でも、『源氏物語』を単にイケメン・プレイボーイの恋愛遍歴物語だと思って(そう思っている人が多いらしい)、読んでないとしたらとってももったいない話です。
1000年も読みつがれるにはそれなりのワケがあります。
今回ご紹介するのは、『源氏物語』には幾重にもはりめぐらされた「仕掛け」があるというお話。
仕掛けと言ってもミステリーのトリックのような仕掛けではなくて、虚構の物語なのに、現実を変えてしまうという「呪い」か「予言」のような仕掛けです。
とりあえず、私が気づいたところを、3つほどご紹介します。

1つ目は、同時代の権力に対する仕掛け。
この仕掛けは1000年ではなく200年ぐらいで作動しました。

物語では主人公の光源氏は、天皇の子どもとして生まれながら、母親がセレブな出自でないという理由で臣下に降格、陰謀で左遷までさせられますが、徐々に権力を手中にし、ついにはときの天皇をも超える地位にまで上りつめます。
キーポイントは、書かれた時代が「藤原氏」全盛期だったのに、物語では藤原氏を思わせる一族を押しのけて、「源氏」姓の光源氏が立場逆転で栄華を極める筋立てであること。
史実では、藤原一族は、数々の陰謀によって源高明・源融といった「源氏」姓の政敵を葬ることによって権力を奪っていますから、物語は、明らさまにこれを転覆しているのです。

SF作家P.K.ディックの『高い城の男』は、第二次世界大戦で「日独伊同盟側が勝利した」という設定でストーリーが展開しますが、現実と反転した物語の構造はよく似ています。
多くの人が学生時代に習った冒頭の「いづれの御時にか」(どの御代のことであったか)という書き出しが、実際にどの時代を暗示しているのか(「準拠」と呼ぶそうです)は諸説紛々で、というのも物語中の数人の天皇の名前が実在の天皇の名前と一致するからで、余計にこの歴史物語の「真意」への穿鑿が当時から現代まで絶えないというわけです。
もちろん、このような反転構造の物語を許容した藤原一族に「余裕」があったとみることもできますが、物語から、およそ200年後に、ご存知のように実際に「源氏」姓の一族が、権力を掌握したのですから、結果として現実が物語をなぞってしまったのです。

2つ目は、古代から現代まで、1000年をはるかに超える「万世一系」の天皇制に対する仕掛けです。
源氏千年紀の今年ですが、あまり語られないのは、戦時中、『源氏物語』は「大不敬の書」とみなされたという事実です。実際、有名な谷崎潤一郎訳の『源氏物語』の戦前版は、このためにいくつかのアブナイ箇所が改変させられています。
なぜでしょうか?
「2千円札」が消えたこととも何か関係があるのでしょうか?
答えは、本誌12月12日号所収の「逆光の源氏物語千年紀」に詳しく書かれています。
というわけで、ごめんなさい、こちらは本誌を読んでください。

3つ目の仕掛けは・・・・・・次回に続きます。

(まだお)

そぞろ歩きでもタイホしちゃうぞー!

 隠すほどのネタでもないので最初からバラシテおくと、本ブログのタイトル「そぞろ歩きはナンパ」は、鈴木清順監督の映画『東京流れ者』の中で渡哲也が唄った歌に由来する。

 「ナンパ」=「軟派」だから、「硬派」雑誌『週刊金曜日』には載らないような、できるだけカルーイ話題を載せるつもり。

  ところが困ったことに、最近は軟派のハズの「そぞろ歩き」でも、警察にタイホされるらしいのだ。本誌1031日号「金曜アンテナ」で報じた通り、「麻生邸リアリティ・ツアー」の参加者3人が歩道を歩いていただけなのに公務執行妨害などで不当に逮捕されてしまった事件がそれ。警察発表を垂れ流した大手マスメディアは、「無届けデモで警官に暴力をふるった」と報道したが、それが事実と全く異なることは、現場を撮影した「YouTube」の動画を見れば一目瞭然。(まだ見ていない人は↓を参照)

http://asoudetekoiq.blog8.fc2.com/ 

  こうした救援活動の広がりもあって、3人がその後釈放されたことなど、不当逮捕事件の続報は、1114日発売号の本誌「金曜アンテナ」欄をぜひごらんいただきたいが、歩いているだけで逮捕されちゃうこの時代についての検証も、このあとやってゆきます。

  ということで、第一回は「看板に偽り」でナンパじゃなくなってしまったけれど、そのいい加減さもナンパということで許してね。

(madao)