きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

塩田さんに勝利命令

シジフォスの希望(43)
 「ずいぶん待たされたので、他人事のような気がする。ウソみたいだ。でも本当にうれしい」。本誌の取材に応じたことでアサイン停止(事実上の解雇処分)を受けた全国一般東京東部労組阪急トラベルサポート支部の委員長・塩田卓嗣さんの第一声。噛みしめるような言葉に、東京都庁34階にある労働委員会の一室は拍手と歓声に包まれた。

 塩田さんと組合側が救済を申し立てていた不当労働行為事件で、東京都労働委員会は2月4日、阪急トラベルサポート(本社・大阪市、西尾隆代表取締役)の行為を労働組合法第7条で禁じられている不当労働行為だと認定。(1)添乗業務への復帰(2)アサイン停止から業務復帰までに受け取るはずだった賃金の支払い(3)労働組合側への「今後、このような行為を繰り返さないよう留意します」との文書の交付――の3点を会社に命じた。ほぼ100%の勝利と言ってよい。

 2009年3月18日に、塩田さんが旅行派遣添乗員の仕事と職場を一方的に奪われてから2年近く。加盟している東京東部労組と支部組合員の支援を受けて、塩田さんは闘ってきた。多くの支援のカンパが寄せられ、本誌も「金曜日ツアー・佐高信と行く岩手の旅」(2010年4月)などを実施し支援の輪に加わった。しかし、それだけでは生活はままにならない。塩田さんは自宅近くのコンビニでのバイトを余儀なくされる。この日(命令当日)も、そのコンビニでの深夜勤明けから都庁に直行。眠たそうな目をこすりながら、都労委命令を受けた。

 一人の労働者が食いつなぐためには仕事をするしかなく、仕事と職場を奪われることは暮らしと命を奪われるに等しい。派遣添乗員の塩田さんは、それでなくとも「契約打ち切り」という会社側の合法的な仕打ちを受けやすい立場だ。それを踏ん張っての勝利命令は、有期雇用で働く多くの人たちに勇気を与えると思う。

 問題は、この命令を会社(阪急トラベルサポート)が守るかだ。会社側には再審査(不服)申し立てという法的手段が残されている。この会社が働く者にどういうことをしてきたかは、これまでの経緯を見ればある程度分かる。しかしこの命令を区切りに、法廷ではなく話し合いによって物事を解決する道を選んだらどうか。佐高信・本誌編集委員も書いたように、〈「阪急」創業者の小林一三が泣いているのではないでしょうか。〉                                                                    (2011年2月4日・片岡伸行)

大阪からの手紙(2)

シジフォスの希望(42)

 赤堀政夫さんからの「ご挨拶」の一文は、自らの裁判と確定死刑囚となった無念についての記述に進む。以下、抜粋。
〈……それ以降、私とは何の関係もないところで裁判は、第一審・第二審と進み、1960年12月15日最高裁で死刑確定囚にされました。
 いまも、悔しくて悔しくて、仕方ありません。
 この日以降、死刑確定囚として、苦難の日々を送ることになりました。
 平成元年1月31日(1989年1月31日)無罪が確定しました。
 ようやく解放されました。実に34年8カ月間人生を奪われたのです。〉

 それから記述は、「毒カレー事件で不当拘禁されている林眞須美さん」という呼びかけとともに、続く。
 〈眞須美さんには「自白調書」がないと聞いています。
 また、裁判所が「事実認定」した「証拠」にも、大きな疑問があると聞いています。実に疑わしい「事件」だと思っています。
 法原則が、「疑わしきは被告人の利益に……」であれば、即座に釈放されるべきでしょう。
 現在、大阪拘置所の眞須美さんは10年目の不当な拘禁生活を強いられています。私は一日も早い解放を願わずにはおれません。〉

 〈冤罪死刑囚の悲劇。
 第一に……本人の生命が危機的状況を強いられます。「憤り」「悔しさ」「うらみ」噴出します。日々の感情は烈しくゆれ動きます。人は堪えられるものではありません。
 第二に……それにつながる家族も、また、その渦に巻き込まれ悲惨な生活に強いられます。
 第三に……真犯人を取り逃がします。
 第四に……殺された被害者の「霊」は決して慰められません。
 こうした悲惨さは誰もが受け手はなりません。
 また、させてはならないのです。〉

 そして最後に、「全国民への訴えかけ」としてこう結ばれる。
〈私は無力ですが、眞須美さんのため、経験を生かして何らかの力になりたいと思っています。
 皆様も、眞須美さん支援の輪を広げて、全国民へ訴えかけてくださることをお願い申し上げます。
 有り難うございました。 
 2007年12月9日 赤堀 政夫〉

 以上が、大阪から送られてきた封書の中にあったコピーの内容である。この一文を送ることで林眞須美さんが何を伝えたかったのかはお分かりであろう。蛇足のような説明をこれ以上書くことはやめる。
 最高裁判決後、09年7月には和歌山地裁に再審請求書が出され、今年3月には眞須美さんの毛髪再鑑定の請求もされている。1998年7月25日に起きたカレー事件はまだ終わっていない。
                                   (2010年8月26日・片岡伸行)

大阪からの手紙(1)

シジフォスの希望(41)

 不定期だが、このところ月に一度くらいの頻度で「大阪市都島区友渕町」から手紙が届く。差出人名は「林眞須美」。最高裁で死刑が確定し(2009年7月22日)、その後、再審請求をしている死刑確定囚だ。大阪拘置所から出された白い封筒には、いつもブルーのボールペンで書かれたやや硬い筆跡の文字が並んでいる。最近では、封書の裏側(差出人)を見なくとも、「ああ、眞須美さんからだ」と判るようになった。

 私信ではあるが、ご本人の承諾を得て、手紙の内容を少しずつ紹介していくことにする。というのも、これは私宛に来ているものだが、内容はと言えば、多くの人に伝えてほしいというご本人の意図がよく理解できるからである。もちろん、それ以外の内容を書き連ねるつもりはない。

 最近の封書に入っていたのは、島田事件(1954年3月、静岡県島田市で発生)の犯人とされ、死刑確定囚として34年8カ月の監獄生活を送り、1989年に無罪が確定した赤堀政夫さんからの「ご挨拶」と表記された一文のコピーである。文末に「2007年12月9日」との日付。和歌山市内で開かれた支援集会に赤堀さんが「ゲスト」として参加したときの「ご挨拶」だと思われる。3年近く前の一文がなぜ今ごろ送付されてきたのかは、この内容を紹介していくことで推察されると思う。
 島田事件は、免田事件、財田川事件、松山事件とともに「四大死刑冤罪事件」の一つとされる。この一文の中で島田事件の内容にも触れているので、まずはその部分から紹介しよう。

〈元無実の死刑囚赤堀政夫です。
 私は昭和29年(1954年〉5月24日、岐阜県鵜沼市を放浪中、全国指名手配者として、不当な逮捕をされました。しかも、逮捕は別件逮捕です。即日、島田署に連行されました。
 取り調べでは、同年3月10日に島田市内で起きた「幼女・強姦殺人事件」の容疑者に変わりました。
 私は事件当日には島田に在宅しておりませんでした。
 横浜の「外川神社」の縁の下に寝ていました。
 この外川神社は、私の記憶と絵図面を頼りに支援者が見つけ出してくれたもので、重要なアリバイとなりました。〉
〈島田市へ連行され、警察に初めて「幼女殺人事件」を知らされました。
 身に覚えがないのに、それを「拷問」・「誘導」で私を締め上げました。
 知らないことは、知らないのです。
 島田警察署と検事は、自分達の勝手な想像で描いた「作文」を、「自白調書」に仕立てました。
 そのうえ、私の腕を無理矢理つかみ、その紙に名前を書かせ、指印を押させたのです。
 警察の偽装工作はこうして始まりました。〉                     つづく
                                   (2010年8月25日・片岡伸行)
 

阪急トラベルサポート裁判が山場

シジフォスの希望(40)

 『週刊金曜日』の記事は虚偽だとして、取材に応じた旅行派遣添乗員の塩田卓嗣さんを事実上の解雇にした阪急トラベルサポート(本社・大阪市北区)を相手取り、『週刊金曜日』とライターの野村昌二さんが損害賠償を提起している訴訟の証人尋問が7月5日(月)午後1時30分から、東京・霞ヶ関の東京地裁712号法廷で開かれます。2009年7月1日の提訴から1年。裁判は最終盤ですので、お時間のある方はぜひ傍聴支援をお願いします!

 証人尋問には、原告側から塩田さんと野村さん、それに私・片岡の3人、被告側から塩田さんに一方的なアサイン(仕事割り当て)停止を通告した田中和男東京支店長の計4人が立ちます。この日は午後いっぱいを使って、4人の主尋問と反対尋問を終了させます。おそらく聞きどころ満載でしょう。

 記事は、2009年2月20日号で「生きている労働組合」のシリーズ18回目として掲載されました。この一部の記述を一方的に虚偽だとしながら、阪急トラベルサポートは現在に至るも本誌に対して問い合わせも抗議も一切なし。本誌が説明に行く旨を伝えても「一切対応をしない」と拒否。その一方で、全国一般東京東部労組に加盟する阪急トラベルサポート支部執行委員長の塩田さんのクビを切るのですからその意図は明白です。

 この間、5月11日には塩田さんが委員長を務める阪急トラベルサポート支部の組合員が原告となった残業代支払い請求訴訟で、東京地裁は会社側に残業代の支払いを命じる判決を出しました。6月28日には、塩田さんの解雇撤回を求めた東京都労委での不当労働行為救済事件が結審。7月2日にはやはり阪急トラベルサポートに残業代支払いを請求しているもう一つの裁判の判決も出されます。法廷闘争全体が大きな節目を迎えています。

 また、7月5日の東京地裁では、三菱ふそう派遣切り裁判(午前10時~527号法廷)、牛丼すき家(仙台)残業代未払い裁判(午後2時半~13階・弁論準備手続き)も開かれます。いずれも首都圏青年ユニオンの組合員たちが声を上げ、闘っている裁判です。こちらにもエールを送ります! 働く者を不当・不正・不法に扱う企業には思いっきり後悔していただくしかありません。どうせ、反省はしないでしょうから。           (2010年6月29日・片岡伸行)

沖縄とイラク

シジフォスの希望(39)

 沖縄とイラクはつながっている。米軍の残虐性と加害性において――。yahoo!ニュース雑誌コーナーへの『週刊金曜日』の記事配信が始まった。すでに何本かの記事がアップされているが、5月26日夕に配信された「高遠菜穂子リポート」が「おすすめの雑誌から」として紹介されている(http://zasshi.news.yahoo.co.jp/)。鳩山政権による普天間基地移設問題の、迷走の果ての「5月決着」が大メディアで報道される中、この記事の視点は重要である。

 2004年に起きた米軍によるイラク・ファルージャ大虐殺(大メディアは「ファルージャ総攻撃」と呼称するが、実態と乖離した、あるいは実相を隠蔽する呼称に思える)。米軍は国連事務総長の攻撃回避を求める書簡を無視し、海兵隊を主力に約1万人(そのほかイラク治安部隊数千人)を投入し無差別攻撃を繰り広げた。一般市民数千人が殺され、多数の負傷者を出した。この殺戮行為は、日本は批准していないが、平時・戦時を問わず集団殺害を国際法上の犯罪と定めたジェノサイド条約(国連総会決議、1951年発効)違反ではないか。その主力部隊が沖縄・辺野古にあるキャンプ・シュワブの米海兵隊員であった。

 高遠さんの配信記事は『週刊金曜日』での連載「破壊と希望のイラク」の16回目(5月21日号掲載)。「米軍の『残虐性』直視を」の見出しで、〈1〉〈2〉に分けて配信されている。4月にファルージャから沖縄を訪れたワセック・ジャシムさんの体験に基づく記述が中心で、「あの米軍がこの美しい島から来ていたなんて想像もしなかった」というワセックさんのつぶやきから始まる。その〈2〉では、読んでいても目を覆いたくなるような、ファルージャでの米軍による殺戮後のむごたらしい光景が再現される。

 ぜひ多くの方に読んでいただきたい。「勉強してみたら抑止力」などというふざけたことを言う鳩山由紀夫首相をはじめ、大虐殺がまさに進行中の当時、これを「成功させなきゃいけない」と声高に全面支持を表明(04年11月9日)した小泉純一郎(元首相)および当時の自公政権の面々と名ばかり新党の面々。次の言葉は、その「面々」たち、イラク戦争を支持し、復興支援という名の加害支援を推し進めた者たちにも向けられたものであろう。4月21日、参議院議員会館でおこなわれた「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」主催の集会での、ワセックさんの発言である。
 「イラク戦争を推し進めた人たちは訴追されるべきだ」
                                                          (2010年5月27日・片岡伸行)

1センチメートル四方の誇り(2)

シジフォスの希望(38)
 国労組合員のバッジ着用をめぐるJR東日本との闘いは国鉄が分割・民営化された1987年から連綿と続けられてきたが、2006年11月に中央労働委員会での「包括和解」に至る。しかし、その「和解」の中には国労バッジ着用を理由とする数々の処分についての記述がなかったことから、辻井さんらは国労中央本部と同東日本本部に抗議文を提出する。

「国労がバッジ処分の撤回を求めて労働委員会闘争を闘ってきたのは、会社の不当労働行為を追及し、その根絶を図ることが目的だったはずです。しかし、今回の和解には、『会社に二度と不当労働行為をさせない』『バッジ処分を出させない』という保証が何ひとつありません。それどころかこの『包括和解』は、分割民営化以来20年にわたる会社の不当労働行為責任をうやむやにし、国労の側が不当労働行為を全面的に容認するものとなっています。……私たちは国労組合員としての誇りにかけて、この『和解』を拒否します」

 方針転換後の国労と一線を画し、ただ一人で国労バッジ着用を続ける辻井さんに対して、JR東日本はより重い懲戒処分である出勤停止を重ね、さらには定年後に再雇用しない旨の予告をする。『週刊金曜日』09年6月26日号に掲載された「辻井さん対JR東日本のバッジ闘争」の記事(筆者・古川琢也さん、バックナンバー注文ページ)にこうある。
「02年以来、JR東日本による辻井さんへの処分は総計55回。失った生涯賃金は1000万円にも上るという」
 たった一人だから簡単にひねりつぶせるはずだ。資本金2000億円、6万人以上の社員を抱える巨大企業・JR東日本はそう思ったに違いない。しかし辻井さんは屈しなかった。

 そして、勝利命令。神奈川県労働委員会は先月26日、JR東日本に対して、辻井さんへの不利益処分の回復を命じるとともに、下記の文書を渡すよう命じた。
「当社が申立人に対し、国鉄労働組合のバッジを(略)着用したことを理由として出勤停止処分を行ったこと及びこれらの処分を理由に期末手当の減額の措置を行ったこと並びに定年後に再雇用しないと予告したことは、神奈川県労働委員会において労働組合法第7条第3号に該当する不当労働行為であると認定されました。今後、このような行為を繰り返さないようにいたします。 平成 月 日  辻井 義春殿」

 前出の記事の中で辻井さんはこう述べている。
「私も来年2月末に定年を迎えます。恐らくその日、このバッジを外すことになるでしょう。でもバッジをつけようとつけなかろうと、国労の誇りを胸に闘う人が増えてくれればそれでいい」
 2月26日(金)午後6時30分から東京・飯田橋のSKプラザ地下ホールで「国労バッジ事件」勝利報告集会(『週刊金曜日』協賛)が開かれる(本誌2月19日号「市民運動案内板」に詳細)。その2日後、辻井さんは「誇り」を胸に定年退職する予定だ。
                                                      (2010年2月15日・片岡伸行)

1センチメートル四方の誇り(1)

シジフォスの希望(37)
 文字通り「孤軍奮闘」であり、不撓不屈の闘いだ。辻井義春さんは1974年7月に国鉄(日本国有鉄道)に入社し、2カ月後の9月に国労(国鉄労働組合)に加入するとともに、勤務時間中の「国労バッジ着用」を始めた。現在も国労組合員としてバッジ着用を継続している。わずか約1センチメートル四方のバッジ着用をめぐり、JR東日本は「就業規則違反だ」として不利益処分を繰り返す。しかし先月、辻井さん勝利の命令が出た。
 2010年1月26日、神奈川県労働委員会(関一郎会長)はJR東日本の行為を労働組合法第7条に該当する不当労働行為だと認定し、「就業規則違反」を理由とした処分によって減額した賃金に利息を付けて支払えと命じたのだ。

 それにしてもJR東日本の攻撃は異常だ。上記の不当労働行為救済申し立て事件の「命令書」=神労委平成20年(不)第2号=の記述から要約する。
 中曾根康弘政権時代に国鉄が分割・民営化(1987年4月)された翌月のことだった。
「会社にとって必要な社員、必要でない社員のしゅん別は絶対に必要なのだ。(中略)おだやかな労務政策をとる考えはない。反対派はしゅん別し断固として排除する。等距離外交など考えてもいない。処分、注意、処分、注意をくり返し、それでも直らない場合は解雇する」(JR東日本常務取締役・松田昌士、経営計画の考え方等説明会で)。
 さらに、松田常務は同年6月20日の鉄道労連高崎地方本部主催の学習会でこう述べる。
「就業規則で認めていないことが何で労働運動か。したがって、今度は、人事部長名であらゆるところに掲示して宣戦布告し、個人説得をするなどしてそれでも従わなかった者には処分という形で警告を与えた。しかし、これでは終わらない。どしどしやっていかなければならない。どうしても一緒にやっていけない者は解雇するしかない」

 JR東日本の組合員攻撃はエスカレートした。指導から警告、そして厳重注意処分による一時金の減額などの不利益処分を乱発。「服装整正違反」を理由に処分された者は1987年6月に4883人、11月に2089人、88年11月に2162人、89年5月に2454人、90年3月に2298人、9月に2077人、91年3月に2053人……(これが毎年延々と続いて)2002年3月に314人……。こんな会社の動かす電車に日々乗らざるを得ないのは何とも悔しい。
 
 辻井さんは申し立ての中でこう主張した。
「国労バッジ着用は、日常的な服装の一部として、国労組合員が国労に所属することを表象するものに過ぎない。国労バッジは、約1・2センチメートル四方程度の四角形の小さな物であり、着用していてもほとんど目立たない。このようなバッジを着用して就労しても、物理的にも、社会的にも、その労務の提供を妨げたり、疎かにしたり、又は誤らせるおそれを生じさせるものではない。(中略)したがって、国労バッジ着用は、就業規則違反に該当するか否かを論じるまでもなく、正当な組合活動である」。   (つづく)

                                   (2010年2月15日・片岡伸行)

グレイクリスマス

シジフォスの希望(36)

「雪は、ゴミ溜めも焼け跡も、汚いものをみんな隠してくれます。だから雪の降らない、美しくないクリスマスをグレイクリスマスと言います」(公演のチラシより)――久しぶりに生の舞台を観た。東京・六本木の俳優座劇場での公演『グレイクリスマス』(作・斎藤憐、演出・高瀬久男)である。

 1945年、敗戦の年のクリスマスから物語は始まる。GHQ(連合国軍総司令部)による日本占領と民主主義政策の狭間で揺れる旧侯爵家「五篠家」が舞台だ。進駐軍相手のホステスとなって一家を支えようとする妻・華子と、日本の「ピープル」に民主主義と憲法の精神を伝えようとするGHQ内部組織「民政局」に共感する日系米国人将校のジョージ・イトウを軸に、さまざまな人間模様が描かれる。物語は1950年の朝鮮戦争までの5年間だが、進行役的なヒール「権堂」の素性も最終盤で明かされ、この国の戦前からの姿も浮かび上がってくる仕掛けだ。

 『グレイクリスマス』の初演は1984年である。主演の華子を最初に演じたのは渡辺美佐子さん、次に奈良岡朋子さん、そして今回、3代目として三田和代さんが演じた(この三田さんの演技と存在感が素晴らしかった)。

 舞台上で語られる、憲法や民主主義をめぐるさまざまな問いかけや希望や絶望は、時代設定として日本国憲法誕生あるいは草創期の事柄である。しかし、これらの問いかけや希望や絶望は、60数年を経た現在も古びていない。それどころか、現在の時代状況をより鮮明に映し出し、未来をも照射するものとなっている。まさに、「歴史とは現在と過去との対話」(エドワード・H・カー)である。

 俳優座劇場での公演は12月20日(日)まで。多くの「汚いもの」を抱え込んでしまった「戦後民主主義」のグレイクリスマスが、もうすぐやって来る。(2009年12月18日・片岡伸行)

新政権と公共性の構造転換

シジフォスの希望(35)

 おそらくは誰か知恵袋がいて、意識してやっているのだろう。事業仕分け、CO2の25%削減、八ッ場ダム、高速道路無料化など、その着地点と実現性はともかくとして、民主党の発想は、ドイツの哲学者で憲法愛国主義のユルゲン・ハーバーマスのいう「公共性の構造転換」あるいは「公共の再生」を模索しているように見える。

 自民党的政治には政官財の癒着と米国への隷属という2つの厚い岩盤があった。癒着によって「公共」と「公益」は歪められ、隷属によって9条に象徴される平和主義は侵食された。公明党がそれを補完した。「癒着と隷属」の磁場に富が吸い上げられ、格差と貧困が広がる中、多くの人はそうした自民党的「公共」の転換を民主党に求めたようだ。では、民主党はその「癒着と隷属」の厚い岩盤をどれだけ崩せるのか。

 公開で実施された、「コンクリートから人へ」(10月26日の鳩山由紀夫首相の所信表明演説より)のための事業仕分けは、それまで市民・国民の目に触れずに決められてきた予算や事業のあり方をめぐって一石を投じた。しかし、この程度では岩盤に亀裂が入ることはない。爪を立てた程度ではないか。象徴的な事例が、軍事・防衛に関わる「仕分け」だった。

 在日米軍駐留経費を日本側が負担している「思いやり予算」については本来、日米地位協定第24条に基づいて米国がその全額を負担すべきところ、行政刷新会議の事業仕分けでは、基地従業員の給与などの見直しを求めた(11月26日)。要するに、「コンクリート」(この場合は米国や兵器購入など)に斬り込まずに、「人」に犠牲を求めた形だ。理念と逆行するのではないか。

 さらに言えば、本気で「公共」をめぐる構造を転換させるには、来年50年となる日米安保体制や天皇制にまで踏み込むことが不可欠だろうが、皇室や宮内庁の予算の仕分けについてはやはりタブーのようだ。官房機密費をめぐる平野博文官房長官や鳩山首相の発言を見ても、外交機密費や警察の捜査機密費を含めて、国民の税金でありながらブラックボックスに入っている裏ガネの使途を公表するまでには至らないだろう。となると、とてもじゃないが、「公共性の構造転換」にはほど遠い。(2009年11月27日・片岡伸行)

「日本は変わる」のか

シジフォスの希望(34)

 有権者の審判が下った。第45回衆院議員総選挙は民主党の歴史的な圧勝である。「地殻変動が起きた」「日本は変わる」などの反応がマスメディアを通じて流されている。本当に「日本は変わる」のか。具体的な選挙結果の分析などは新聞各紙などがやるだろうから、民主主義あるいはデモクラシーについて違った観点で考えてみる。

 ここまでさかのぼる必要はあるだろうかと思いながらも、デモクラシーの原点から始める。古代ギリシャの哲学者プラトンは2400年ほど前、その著書『国家』の中で、理想国家についてこう書いた。「統治者、軍人、職人(民衆)の3階級からなる」ものとしての理想国家は、それぞれ能力を発揮できる領域があり、政治はその専門家である統治者に任せるべきである、と。財力や家系などによる社会のごく少数が権力を握る、いわゆる寡頭制だ。デモクラシーの語源といわれる古代ギリシャの「デモス」とは、都市国家(ポリス)を構成する部族あるいは共同体地域のことだが、人口の大半を占めるのは奴隷であった。

 フランスの哲学者ジャック・ランシエール(1940年~)は言う。デモス出身者とは「計算外の人、話す存在だと計算されていないのに話す人のこと」という侮蔑的な呼称として使われており、「デモクラシーとは、最下層民による統治、(略)つまり、名門の出でもなく、財産も社会的威信もなく、特別な学もない人々」による統治を意味するという(『民主主義への憎悪』2008年7月、インスクリプト刊)。デモスと侮蔑される「言葉なき人々」「取るに足らない人々」「分け前なき人々」が声を上げ、分け前(富や権利)を求め、生活の絶対権力を少数の権力者から奪い取って「公的領域を拡大するプロセス」、それが民主主義だとランシエールは定義する。

 さて、今回の民主党の圧勝は、戦後一貫して天皇制絶対主義の亡霊を基盤とした地縁や血縁、世襲や業界利権などによる寡頭制政権を維持してきた自民党に代わって、日本における事実上初めてのデモクラシーの発現ということになるのだろうか。それとも……。

 英国の作家バーナード・ショーがデモクラシーについて、こんな言葉で皮肉っている。
「デモクラシーというものは、腐敗した少数の権力者を任命する代わりに、無能な多数者が選挙によって無能な人を選出することである」(「革命主義者のための格言」より)。

 今回の選挙結果がそうだということではなく、05年の郵政選挙で自民党に入れた無党派層がある種の雰囲気(「風」)によってごっそりと移動しただけであれば、10月の参院議員補選や来年6月の参議院議員選挙で、再び違う方向へと流れる可能性もある。「日本は変わる」かどうかより、どのように変わるのかが問題なのだ。
                       〈2009年8月31日、片岡伸行〉