シジフォスの希望(1)
かつて国連から「差別発言はやめなさい」とイエローカード(2001年3月・国連人種差別撤廃条約委員会から勧告)を受けた石原慎太郎・東京都知事の問題発言がまたまた飛び出した。
東京都が福岡市を下して2016年オリンピック招致の国内候補地に選ばれた8月30日、石原知事はその祝賀パーティーで、「東京には理念がない」として福岡市を支持した姜尚中・東京大学教授について、「怪しげな外国人」「なまいきだ」などと発言したらしい(8月31日付『朝日新聞』)。
これまでも石原知事は「三国人」や「生殖機能を失ったババア」発言、フランス語に対する侮辱、障害者への差別発言など数々の問題発言をしている。就任以来連綿と続くこうした発言は、彼が政治家および公人として失格であることを如実に示している。彼の姿勢を反映した、都教委による教職員への「日の丸・君が代」強制処分も含めて、東京都のイメージはいまや「差別と弾圧の都市」だ。
にもかかわらず、抗議や辞職を求める声が広がらないのが不思議でならない。このような人物が、首都の長であること自体が国益にマイナスではないか。「なんで憲法違反か分からない」「(他人の心がどうあれ自分だけの)心の問題」と開き直る首相と、いい勝負だ。スポーツにはルールがあるのに、政治家や公人の発言は無法状態に近く、サッカーならとうにレッド・カードで退場だ。そうした政治家たちが「憲法や教育基本法を変える」と叫ぶ。それよりもまず「政治職教育基本法」あるいは「公職者差別発言禁止法」が必要ではないか。
こうした石原知事の資質と能力に鑑み、東京のオリンピック理念として「差別と排他」を提案したい。第二候補として「敵意と偏狭」というのはどうだろう。
ところで、オリンピックの目的はスポーツ競技を通じての「人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会の推進」(オリンピズムの根本原則)である。同趣旨の憲章を持つJOC(日本オリンピック委員会)が、その精神と対極にある石原知事の発言を看過するとすれば、JOCもまたこの原則を踏みにじることになる。
とはいえ、石原知事もJOCも、こうした批判に聞く耳を持たないだろう。この際、オリンピックの精神を汚す今回の発言をその恥の歴史として記録と記憶にとどめよう。彼は来春の都知事選挙に意欲満々だという。慢性的な差別発言者を公職に居座り続けさせるのかどうか、東京都民の民度が問われる。 (片岡 伸行)
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入社以来、3カ月が経過したことを機に、この欄に書くことになりました。日々感じたことを不定期で載せます。タイトルにある「シジフォス」とは、ギリシャ神話の登場人物。神の怒りを買い、岩を丘の上に運ぶ罰を受けますが、頂上まで来ると岩はその重さで底に転げ落ちてしまうため、永遠にこの岩運びを繰り返さなければなりません。そんな無益で理不尽で、何の達成感も喜びもない苦役を続けるシジフォスに「希望」はあるのでしょうか……。
ご愛読のほど、よろしくお願いします。