裁判員制度と徴兵制(下)
2008年12月9日4:11PM|カテゴリー:シジフォスの希望|Kataoka
シジフォスの希望(19)
2回のくじ引きを経て選ばれた裁判員候補者は、原則として辞退できない。
死刑そのものに反対する思想・信条を持った人(例えば、宗教者など)にも、出頭の義務が課せられる。「やむを得ない理由」の中にも、それはないからだ。すなわち、「死刑に反対だから」という理由での辞退は許されない。
個人の主義や主張に反する行為を強制することは、思想・良心の自由(憲法第19条)を侵す憲法違反である。そもそも憲法には、「苦役」を禁じる第18条がある。意に反する仕事や拘束を強制してはならないのだ。また、教育や納税の義務以外に「出頭の義務」を課すことは憲法上許されるのか。
人殺しをしたくないという思想・信条のもとに「良心的兵役拒否」を認めている国はあるが、認めていない国もある。上記の通り、裁判員制度は「良心的裁判員拒否」を認めていない。しかも、「やむを得ない理由」というのは、重い病気、介護、妊娠、出産など、まさに「徴兵」に適さないものが多い。20歳以下の男女を無作為抽出で徴集する社会的・心理的土壌を育てるのに、まさにこれ(裁判員制度)はうってつけではないか。
次に、裁判員が扱う事件というのは、殺人や傷害致死、強盗致死傷、放火、誘拐などの重大事件である。そうした重大事件を、素人(裁判員)6人と裁判官3人の計9人(事実を争わない場合は素人4人と裁判官1人の計5人)によって、証拠調べから尋問を経て、有罪か無罪か、有罪ならその量刑(死刑か無期懲役かなど)を判断し、過半数で有罪となる。要するに「命の抹殺」に加担させられる。
「徴兵制」と関連する理由の二つめがここにある。
「悪いことをした」人間なら「殺してもいい。死刑もやむなし」という国民感情が法の下に醸成されれば、そのすぐ向こうに「悪いことをした国なら攻撃をしてもいい。戦争もやむなし」という社会的・心理的な土壌が育つ。これは相対的に命の価値を下げる思想である。戦争行為へのハードルを下げる役目も果たす。
裁判員制度と同じような要領で、「平和維持制度」という擬似的な徴兵制ができると仮定しよう。民主主義への国民参加は促進されるべきである。
そのとき政府はこう言うだろう。
「平和および平和維持軍に対する国民の理解と信頼の向上を図るため」と。くじ引きでめでたく「国家を守る」幸運に恵まれる。そして、辞退できないのである。 2008年12月8日(片岡伸行)