2011年は、「民意」とは何かが問われる年になる
2010年12月22日3:01PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(12)>
小沢一郎氏が与謝野馨氏と囲碁対決をした。このこと自体はさして珍しくはない。二人はかねてから囲碁ライバルとして有名だ。だが、前回の対決が丁度、小沢氏と当時の首相、福田康夫氏が大連立に向けて動いたときで、今度も小沢新党の旗揚げかと騒がれている。確かに、新党にしても自民・民主の大連立にしても、与謝野氏がキーパースンになる可能性は強い。同氏と関係の深い読売新聞・渡邊恒雄氏がフィクサーとも囁かれる。
政界再編との関連には当然、私も関心がある。だが、それ以上に興味をもったのは、件の対決がニコニコ動画で生放送されたことだ。小沢氏はしばらく前にも、新聞・テレビをふって、ニコ動でインタビューに応じた。民主党代表選挙の際、マスコミとは違い、インターネット空間では「小沢支持」がむしろ主流だった。新聞・テレビの度を越した「小沢批判」に対する怒りも目立った。小沢氏はこうした状況をもとに判断したのだろう。
小沢氏のこの選択は大きな意味をもつ。「民意とは何か」という本質的な問題提起をはらむからだ。ここ数年、マスメディアの世論調査が異様に多いばかりではなく、マッチポンプ化していることについては、何度か触れてきた。それでも、新聞・テレビの信頼度はまだまだ高く、いまのところ世調結果がイコール「民意」であることに変わりはない。しかし、その状態が続く保証はない。今後、「新聞を読む層」「テレビを見る層」「インターネットから情報を得る層」によって「民意」が異なってくる可能性がある。
実際、多くの若者が新聞を読まなくなっている。テレビ離れも急速に進む。これに対し、インターネットメディアはまだまだ伸張する。どこかの時点で、「ネットから情報を得る層」が「民意」の中心を占める可能性は限りなく高い。そして、このことに私は危機感を抱く。
「民意」は必ずしも「正義」ではない。だから、時として「民意」を批判し、あるべき道筋を示すのがマスメディアの役割だった。むろん、「権力監視・批判」というジャーナリズム精神が確固として存在することが前提だ。ところが現状はどうか。その前提が崩れた中で、政治権力の思惑に乗ったプロパガンダにより「民意」をあおっている。一方で、インターネット空間はまだ成熟しておらず、本来、新聞が持つべき「ご意見番」的な存在が生まれていない。マスメディアが作り上げた「民意」も、星雲状態での言説が生み出す「民意」も、ともに危険性をはらんでいるのだ。時代変化の速度を含め、これからの「民意」をどうとらえたらいいのか。2011年は、そのことが鋭く問われる年になるだろう。
次回は1月14日アップです。来年もよろしくお願いします。(2010/12/22)