きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

[この国のゆくえ9…私たちは孤独ではない]

<北村肇の「多角多面」(28)>

 小出裕章さんの『隠される原子力 核の真実』(創史社)に岡部伊都子さんの詩が紹介されていた。

  『売ったらあかん』
  友達を    売ったらあかん        学問を    売ったらあかん
  子どもらを  売ったらあかん        秘密を    売ったらあかん
  まごころを  売ったらあかん        こころざしを 売ったらあかん
  本心を    売ったらあかん        大自然を   売ったらあかん
  情愛を    売ったらあかん        いのちを   売ったらあかん
  信仰を    売ったらあかん        自分を    売ったらあかん
  教育を    売ったらあかん        自分を    売ったらあかん

 岡部さんが「反戦」の思いを込めてつくった詩は、そのまま「反原発」につながる。推進派の政府や、学者や、電力会社は売った。「まごころ」を、「本心」を、「学問」を、「秘密」を、「こころざし」を、「大自然」を、「いのち」を、そして「自分」を。

 原発の危険性を知りながら廃炉に追い込むことのできなかった、私を含む多くの人間もまた、結果として、「友達」を、「子どもら」を、「情愛」を、「いのち」を売った。だが、私たちが推進派と異なるのは、深い自省とともに「今度こそ、絶対にすべての原発を廃炉に追い込む」と立ち上がったことだ。「自分」を売らなかった矜恃を糧に、できることは何でもやろうと決意を固めたことだ。

 井上ひさしさんの言葉も引用したい。『日本語教室』(新潮新書)の一節。

「日本の悪いところを指摘しながら、それをなんとか乗り越えようとしている人たちがたくさんいます。私もその端っこにいたいと思っていますが、そういう人たちは売国奴と言われています。でも、その人たちこそ、実は真の愛国者ではないのでしょうか。完璧な国などありません。早く間違いに気がついて、自分の力で乗り越えていくことにしか未来はない……」

 自分の力で乗り越えるしかない。でも私たちは孤独ではない。先人の言葉が、暗く細い道にうっすらと、しかし力強い光を放つ。そして、同じ光を頼りに、手を携え、心を一つにして進む仲間が隣にいる。私たちは孤独ではない。(2011/4/29)

「原発立地12道県の知事アンケート」回答全文

『週刊金曜日』4月22日号に掲載した「原発立地12道県の知事アンケート」について、各知事の回答全文を掲載します。(なお、担当職員の個人名は本質的な事柄ではないので黒塗りとしました)

北海道 高橋はるみさん

青森県 三村申吾さん

新潟県 泉田裕彦さん

石川県 谷本正憲さん

茨城県 橋本昌さん

静岡県 川勝平太さん

福井県 西川一誠さん

島根県 溝口善兵衛さん

愛媛県 中村時広さん

佐賀県 古川康さん

鹿児島県 伊藤祐一郎さん

山口県 二井関成さん

※本文中でもふれましたが、原発が立地している県のうち、震災被害が甚大な「宮城県」「福島県」の知事にはお聞きするのを遠慮しました。上関原発はまだ準備工事中ですが、関心が高いため、山口県の知事にはアンケートを送りました。

※また、問4の質問中「……総裁は後の原発推進を見直す考え……」とあるのは「……総裁は今後の原発推進を……」の打ち間違いでした。

[この国のゆくえ8…菅首相の「永久に忘れない」発言を斬る]

<北村肇の「多角多面」(27)>

 自分でも「まずいな」と思う。最近、何かと腹がたったり、イライラする。「情緒不安定」はジャーナリストにとって“毒薬”だ。へたをすると、全身が侵されてしまう。何とか避けなければとそれなりに努力してきたが、またまた毒の回りそうな出来事……。

「永久に忘れない」――菅直人首相は、訪日したクリントン米国務大臣にこう伝えた。東日本大震災対策支援への謝意をこめた発言だ。「おいおい、安っぽいドラマや歌ではないぞ」と怒りがわくとともに、慄然とすらした。この時期、この場面での発言は、オバマ大統領の名代であるクリントン氏へ、「日本は未来永劫、米国に従います」という誓いの言葉を捧げたことにほかならない。怒りはそのことに対してだが、寒気がしたのは「ひょっとしたら菅氏は深く考えずに喋ったのではないか、あるいは外務省の指示に従っただけではないのか」という疑いを禁じ得ないからだ。

 二人の間では、非公開を前提にしての会話もあっただろう。その内容はまだわからない。ただ、共同会見に日本経団連の米倉弘昌会長と米国商業会議所のドナヒュー会頭が同席したことで、一端はうかがえる。それは、数十兆円単位といわれる「震災復興事業」への米国企業参加だ。もともと米国は日本に対し、規制緩和、門戸開放を強く求めてきた。郵政民営化はその象徴である。今回のヒラリー訪日にも、「これだけ助けたのだから、見返りは当然だろう」という“圧力”が透けてみえる。これに対し、本来の首相の役目は、「それとこれとは別」と、するりと身をかわすことだ。ところが、冒頭から「永久に忘れない」だから、クリントン氏にしてみれば「してやった」だろう。

 米軍基地問題も含め、日本をうまく利用するために、米国は福島原発の致命的崩壊は何としても避けたい。大震災・原発事故という二重の危機による日本経済崩壊は、米国にとっても最悪の事態だ。「金づる」が貧困国になっては困るのである。一方、日本政府が「自分たちで何とかする」と言える状況ではない。もはや米国の力を借りずして福島原発の危機乗り越えは不可能だ。では、どうしたらいいのか――。菅首相が一国を預かる身として、必死に自分の頭で考えたのなら「未来永劫、日本は米国の子会社になります」という宣言はなかったはずだ。謝意は謝意として、協力依頼は依頼として真摯に伝える。その一方で、自立した国家としての立場を自分の言葉で明瞭に伝えればよかったのだ。

 ああ、他にも腹のたつことを思い出してしまった。全国紙はどこも「永久に」発言の問題点をとりあげなかった。報道機関の劣化が政治の劣化をもたらす。これもまたこの国のお寒い実態だ。(2011/4/22)

[この国のゆくえ7…最悪だった都知事選。でも戦いが終わったわけではない]

<北村肇の「多角多面」(26)>
 どさくさ紛れの東京都知事選。選挙運動も自粛とあっては、現職有利に働くのは当然。世紀の後出しジャンケン、しかも「天罰発言」で批判を受けた石原慎太郎知事がゆうゆうと当選した。最悪の結果! だが、あきらめることはない。まだまだ勝負の場面はある。石原知事のこと、いずれ“舌禍事件”が起きるだろう。新銀行東京、築地市場の移転、東京五輪誘致に続く“とんでも政策”も出てくるだろう。その時こそ「リコール」運動だ。勝算はある。

 今回、石原知事の得票数は261万余票。これに対し、東国原英夫、渡辺美樹、小池晃氏の合計得票は332万余票。過去の選挙のような圧勝ではない。そもそも投票率は57.8%だから、石原氏を支持した有権者は4人に1人にすぎない。

 投票日直前のブログやツイッターをみていて、ある“事実”に気づいた。かなりの人が「石原氏には投票したくない。でも、誰に入れていいかわからない」と嘆いていたのだ。つまり、有力三候補に投票した人や棄権した人の中には、「石原氏だけは嫌」という人が相当程度、いたのだろう。

 新聞社の出口調査によると、中高年以上に石原氏支持が多く、若い世代では「反石原氏」の傾向が強かった。インターネット上の言説も含めて考えると、この国の未来を背負う人々の多くは、すでに、「石原知事」に愛想をつかしているのだ。

 石原氏に投票した人々に、あえて問いたい。これほど、「弱い立場」の人を蔑ろにし、彼ら、彼女らの痛みに鈍感な人を尊敬できるのですか。社会的、世間的しがらみを抜きに、この知事を心から支持できるのですか。

 実は、1年以上前から、都知事選に市民代表候補を立てるべく、何人かで集まり議論してきた。最終的には力不足で実現できなかったが、「ぜひ都知事にしたい」と思える人に出会うことができた。この“成果”は大きな意味を持つ。私は、最悪の結果を前にしても絶望はしていない。

 見せかけの強いリーダーは、もういらない。芯は強く、しかし心根はやさしい。そして、常に弱い立場の人に寄り添う。こういう知事が必要なのだ。東北大震災の被災者の痛みを感じとる「想像力」をもち、命を最優先にする都市づくりの「創造力」をもつ。必ずや訪れるだろう「リコール」までに、そんな候補者を探そう。(2011/4/15)

[この国のゆくえ6…「挙国一致」の「大連立」は危険。目指すのは「挙民一致」だ]

<北村肇の「多角多面」(25)>

 にわかに「大連立」の動きが高まっている。歴史を変える大災害だ。与野党が、目先の下らない政争に血道をあげている場合ではない。だからといって、「大連立」に双手を挙げて賛成するわけにはいかない。相当な歯止めをかけなくては、危険性が大きすぎる。

「大連立」に向けて、いち早く動いたのは菅直人首相。自民党の谷垣禎一総裁に対し、直接、電話で入閣要請をする“禁じ手”を早々に繰り出した。一旦、断った谷垣総裁は3月31日、「常に360度を見渡して進んでいく」と含みをもたせた発言を記者団に披露。もともと森喜朗元首相や古賀誠元幹事長は積極的で、古賀氏は「『えいやっと方向を決めてほしい』と決断を求めている」(『東京新聞』4月4日朝刊)という。一瞬、自民党の流れも決まったかに見えた。だが、反対を表明する小泉純一郎元首相に会った谷垣氏は「今まで連立したいとは一言も言ったことはない」と、またもや軌道修正。民主党内にもさまざまな声があり、当分、右に左に揺れそうだ。ただし、火種が消えることはない。

 与野党協力に関しては、私も早急な実行を求めてきた。これだけの事態となれば、あらゆる知恵と力を結集するのは当然だ。しかし、「大連立」が持つ負の面もしっかりと見据えなければならない。かつて、戦争や大震災といった非常事態は「挙国一致内閣」につながってきた。それは、「国難を前に、国の指示・命令には絶対服従」という社会の出現でもある。「非国民」という概念が生じるこのような国家が、いかに破局の道を歩むかは、いまさら指摘するまでもない。

 仮に「大連立」を実行に移すなら、「挙国一致内閣」ではなく、「挙民一致内閣」でなければならない。それを担保するには、「時限的」はもちろんのこと、すべての政党参加が必須となる。具体的には、共産党、社民党からも閣僚を出すということだ。そして、各党とも、党是は一旦、棚上げにし、とにかく被災者の救援、原発事故対策に一致協力する。

 だが、それだけではこと足りない。民主・自民連合が数を背景に強硬な姿勢をみせれば、「少数閣僚」の声が押しつぶされてしまうことは十分、予測される。そこで、連立政府が暴走しないように監視・検証する第三者機関の設立が重要だ。ここには学者のほかNGO、NPOが加わり、市民目線でのチェックを行なう。そして、問題のある場合は、政府に勧告するとともに、その旨を広く市民に伝える。

 上記のようなことが実現するならば、これをきっかけに、新しい「政治のあり方」が見えてくるかもしれない。(2011/4/8)

[この国のゆくえ5…勝間和代さんは、想像力、直感力に欠ける]

<北村肇の「多角多面」(24)>

 勝間和代さんの発言が話題になっている。3月26日放送の『朝まで生テレビ』で、「放射性物質は怖いという認識がおかしい」と言い切った。私はこの部分をユーチューブで見ただけなので、原発や原子力に対する彼女の基本的な考え方が、番組全体の中でどう展開されたのかはわからない。ただ、「見えないもの」に対する想像力や直感力が、相当に欠如しているなとは感じる。

 チェルノブイリ事故が起きたとき、原発に懐疑的な学者を中心に、「大被害」の危険性が指摘された。学生時代、樋口健二さんの写真や著作に接して以来、自分なりに反原発運動に関わっていた私も、危機的な状況は世界中に広がるだろうと考えていた。結果は、そこまでの事態には至らなかった。しかし、それはあくまでも表面的なことである。長期的な体内被曝の影響はだれにもわからない。人類の本当の危機はこれから明らかになるかもしれないのだ。
 
 私の母親は、輸血が原因でC型肝炎になり、肝硬変で亡くなった。1960年代の初め、C型肝炎ウィルスの存在など知るよしもなかった。そのころ、下町にアスベストを扱う工場がいくつかあった。ほとんどの人が防塵マスクなしに働いていたらしい。「肺に侵入したアスベストは消失することなしに、いずれガンなどの引き金になる」など考えてもみなかっただろう。
 
 人間の知恵は多くの「見えないもの」を解き明かしてきた。そこには、想像力と直感力が働いていた気がする。いくつかの事実をもとにしての、「ひょっとしたら」という想像と直感だ。そしてまた、未知なるものに対する、ある種の敬虔な思いがあったのではないか。つまり「まだ、何もわかっていない」「そこには人知を超えた何かがあるのかもしれない」という姿勢こそが、人間を賢くしたのである。
 
 勝間さんの発言は、「人類はすでに放射性物質を知り抜き、制御もできる」という奢りの現れだ。でなければ、「怖くはない」と断言できるはずがない。こうした貧相な発想から建設的なものは生まれないだろう。だが、彼女は決して少数派ではない。目に見えるものや手で触れるもの、あるいは数値で表現できるもの。いつのころからか、この国では、そうしたものだけが「事実」であり「真実」とされてきたように思える。原発のまやかしも、まさに、見えないものやわからないことを無理矢理、数値にあてはめ、あたかも「真実」かのように言い繕ってきたことにあるのだ。(2011/4/1)