[この国のゆくえ10…浜岡原発の稼働停止が示す潮目の変化]
2011年5月12日5:00PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(29)>
浜岡原発全基の稼働が、とりあえず止まる。薫風とともに、微妙に潮目が変わったのかなと思う。
菅直人首相が「浜岡原発全炉停止」表明をした翌日の7日、『読売新聞』社説にこんな一節があった。
「東日本大震災での教訓を生かそうということだろう。東京電力福島第一原発が、想定外の大津波に襲われ、大事故を起こしたことを踏まえれば、やむを得ない」
「運転中に事故を起こし放射性物質が放出される事態になれば、日本全体がマヒしかねない。静岡県や周辺自治体も、早急な安全性の向上を求めていた。中部電力は首相の要請を受け入れるべきだ」
たまたまこの日は、名古屋で「震災・原発報道」について講演することになっていた。当然、浜岡原発についても触れるので、各新聞の朝刊を買い込んで新幹線に乗り、そこで上述の記事を読んだ。驚いた。おそらく『読売』は、「地元の了解も得ず、首相には停止命令の法的権限もない。政治的パフォーマンスだ」という論調になると踏んでいたからだ。
原発を日本に持ち込んだ中心人物が正力松太郎氏であることは有名だ。正力氏は『読売新聞』の社主であり、初代の原子力委員会委員長でもある。『読売』が一貫して、原発容認の立場をとってきたのも肯ける。それだけに、かなり異例の社説と言ってもいいだろう。
もちろん、額面通りに受け取るわけにはいかない。社説の最後は「政府と、電力会社の作業が遅れれば、浜岡原発に限らず各地で原発停止が広がるかもしれない。そうならないよう、政府と電力会社は、対応を急がねばならない」と締めくくられている。つまり、「浜岡は当面、人身御供にするが、原発推進路線を変えてはだめ」ということだ。実際、菅首相はその後、「他の原発は安全」と強調し始めている。
だが、それでも潮目は変わりつつある。一旦、止めてしまえば、そうそう簡単に再開はできない。全国各地での「原発廃炉運動」に勢いもつく。『読売』が浜岡を見捨てざるをえなかったのも、それなりに追い込まれたからだ。もはや、正力氏や中曽根康弘氏が米国と二人三脚で進めてきた原発路線は、過去の遺物なのだ。多くの市民が覚醒し立ち上がりつつあるこの国に、新しい芽が出つつある。(2011/5/13)