きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

[この国のゆくえ17……歴史をつくるのは市民の運動だ]

「原子力の父」と呼ばれた正力松太郎氏。弱小新聞だった『読売新聞』を買い取り、『朝日新聞』、『毎日新聞』と並ぶ三大紙に巨大化させ、さらには『日本テレビ』を立ち上げたメディア王でもある。彼の目指すところは総理の椅子にあった。米国CIA(中央情報局)との深い関係を使い、「原子力発電」をそのための“道具”にしようと目論んだのである。

 一方、米国は、日本を“反共の砦”とするため核兵器持ち込みを急いでいた。そのための心理戦――「原子力の平和利用」をアピールすることで「核アレルギー」を払拭する――に躍起だった。ところが、1954年に「第五福竜丸事件」が発生、ビキニ環礁の水爆実験で被曝した無線長の久保山愛吉氏が亡くなったことで、日本中に反核運動が広まった。「この流れを断ち切るにはメディア利用が欠かせない」と考えた米国は、正力氏との関係を強化。かくして、『読売』は「原子力の平和利用」キャンペーンに一層、力を注いだ。

 上述の史実は、米国の機密文書開示により明らかになったことだ。結局、『読売』を使った米国の心理戦は大成功を収め、原子力発電は「夢のエネルギー」としてもてはやされ、市民の間に定着していく。膨大な予算が注ぎ込まれることで、原発は“カネのなる木”となり、政・官・財だけではなく、原発立地自治体をも巻き込んでいく。そして、『読売』にとどまらず他のメディアも取り込まれていき、ついには足抜けできないところまでズブズブになっていったのだ。

「3.11」は、これらの闇の歴史を改めて引っ張り出した。米国が、日本人のヒロシマ・ナガサキ体験を薄めるために、「毒(原発)をもって「毒」(核)を制す」戦略をもちいたことも、多くの人が知ることになった。それはまた、日本が依然として米国の占領下にあるという現実をも浮き彫りにした。

 いま、米国や日本政府が恐れているのは、戦後一貫して続いてきた「支配構造」が白日の下にさらされ、崩壊することだ。政府だけではない。財界やマスコミの一部も同様の危機感を抱いているはずだ。彼らも、米国を中心にした支配構造の一翼を担い、甘い蜜を吸ってきたからである。

 第五福竜丸事件の後、東京・杉並区の女性たちを中心に始まった反核運動は、前述のように、巨大なうねりとなり3000万人の署名を集めた。これにより、米国が「無条件の核持ち込み」をあきらめたのも一方の史実だ。市民が立ち上がれば社会は動く。支配構造を変えられる。少数の権力者だけに歴史をつくらせてはいけない。(2011/7/1)

[この国のゆくえ16……人間性を喪失させるマニュアル依存症]

<北村肇の「多角多面」(35)>

 間もなく母親の7回忌を迎える。「死」は必ずしも忌避の対象ではない。それはわかりつつも、忸怩たる思いはなかなかに消え去らない。私さえしっかりしていれば、死期を遅らせることは出来たからだ。

 輸血由来のC型肝炎だった母親にとって、肝臓がんは避けようのない“未来”だった。多少なりとも“その日”を遠ざけるためには、肝炎から肝硬変への移行を食い止めるしか手だてはない。そのためには定期的な検査が欠かせない。毎月、母親が病院から持ち帰る検査結果は私が必ずチェックしていた。その月も、数値上は何一つ異常がなかった。だから、腹水状態がみられて入院したときも、医師に「肝臓の心配はないでしょう」と太鼓判を押され、安心していた。
 
「実は……」と医師から電話があったのは、「念のためにCTをとりましょう」と言われた翌日のことだった。もはや、手のつけようのない段階にまで肝臓がん・胆嚢がんが進んでいた。

 医療関係の取材をしているころ、「医療検査のデータは信用できない」ということを痛感したのは、ほかならぬ自分だった。もっともあてになるのは、まともな医師の“直感”による診断であることも、十二分にわかっていた。なのに、20年近く通っている病院だから、母親の病状はよくわかっているはず、と思い込んでしまったのだ。悔やんでも悔やみきれない。

 検査やデータへの依存はマニュアルへの依存にも通じる。「こういうデータのときはこういう処置」「こういう事態のときはこういう法律に基づき対処」――医師しかり、官僚しかり、頭でっかちの人間が陥りやすいことだ。彼ら、彼女らはこの“依存症”にかかることにより、人間が本来、もっている直感力や感性を失っていく。

 東日本大震災の被災者が生活保護を打ち切られるケースがあるという。厚生労働省が義援金を収入とみなしているからだ。批判が相次いだためか、福島県は、一部、特例とする方針を出した。ほかにも、住民票がないから義援金を受け取れないという例があった。「法律では」「条例では」「規則では」――いい加減にしろと叫びたくなる。何が法律だ、何が前例だ。

 マニュアル依存症は人間性をも喪失させてしまう。(2011/6/24)

[この国のゆくえ15……福島原発事故は「戦争」と受け止める]

<北村肇の「多角多面」(34)>

 戦争が奪うのは無数の命だけではない。豊穣な可能性の芽も無数に奪う。その中には、本来なら大きく花開いただろう芸術家の芽も含まれる。過日、「戦没画学生『祈りの絵』展」(横浜赤レンガ倉庫1号館)」に足を運んだ。ほとんどの作品は20代の手によるものだ。カンバスの向こうから、あきらめのつかない無念の叫び声が聞こえてくる。歴史に「もし」は禁物だ。それでもなお、「もし、あの戦争がなかったら」と考えざるをえないほど、そこには、無数の豊穣な可能性の芽があった。

 会場を一歩出ると、若者や家族連れのさんざめく笑い声がそこかしこにあった。初夏らしく敷き詰められた草の上では、あどけない子どもたちが駆け回り、寝転がり、弾けている。海には観光用のボートが何隻も浮かんでいた。どこにでもある、のどかな休日の午後。

 だが、私の脳裏にはその風景にふさわしくない言葉が浮かび、増殖していた。「福島は戦争だ!」。この瞬間も「福島原発事故」という戦争は、止むことなく、収束の見込みもなく続いている。その現実に、ぞくりとした。

 15年戦争に関する書物では、「社会は平々凡々たる“日常”に覆われていた」という記述によく出会う。頭では理解しても、なかなか実感できなかった。しかし、「3.11」から3ヵ月たち、身をもって知った。あのときも、戦争は遠い世界でのできごとであり、休日の午後は、どこものどかで、空襲や、まして原爆投下など想像の外だったのだろう。政府は実態を隠蔽し、新聞は「勝った、勝った」と平然としてデマを報じ続け、多くの市民は、自らが戦争の渦中にいることに気づかなかったのではないか。

 横浜の草地ではしゃぐ子らは確実に放射線を浴びている。すでに“戦地”は関東、あるいは日本全土へと広がっているのかもしれない。原発との戦いは膠着状態と言われるが、一進一退は何を意味するのか。放射性物質が依然として流出しているということにほかならない。しかも確実に堆積し続けている。いつかある日、政府もマスコミも福島原発事故が戦争であると認めざるをえなくなるはずだ。しかし、その時にはもう遅い。

「戦没画学生『祈りの絵』展」の出品作は、長野県上田市にある「無言館」の所蔵品だ。死を迎えた人間には「無言」しかない。だが、作品は雄弁に戦争を指弾し、命の崇高さをもの語る。生きている私たちに「無言」は許されない。戦争を戦争と受け止め、大きな声で訴え、叫ばなければならない。福島の、そして世界の子どもたちを守るために。あらゆる豊穣な可能性の芽をつぶさないために。(2011/6/17)

金曜俳句への投句一覧(6月24日号掲載=5月末締切、兼題「夏料理」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』6月24日号に掲載します。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonhttp://www.amazon.co.jp/)でも購入できるようになりました。予約もできます。
「週刊金曜日」で検索してください。配送料は無料です。

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金曜俳句への投句一覧(6月24日号掲載=5月末締切、兼題「サングラス」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』6月24日号に掲載します。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

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「櫂未知子の金曜俳句」6月末締切の投句募集について

『週刊金曜日』2011年7月22日号掲載の俳句を募集しています。
【兼題】 「冷房」もしくは「茄子(なす)の花」(雑詠は募集しません)
【締切】 2011年6月30日(木)必着
【投句数】1人計10句まで何句でも可
※特選に選ばれた句の作者には、櫂未知子さんの著書をお贈りします。 

【投句方法】官製はがきか電子メール
(氏名、俳号、電話番号を明記)

【投句先】
郵送は〒101-0061 東京都千代田区三崎町3-1-5
神田三崎町ビル6階 『週刊金曜日』金曜俳句係宛。

電子メールはhenshubu@kinyobi.co.jp
(タイトルに「金曜俳句投句」を明記してください)

【その他】新仮名づかいでも旧仮名づかいでも結構ですが、一句のなかで混在させないでください。
なお、添削して掲載する場合があります。

[この国のゆくえ14……原発をめぐる状況は、35年前と変わらない]

<北村肇の「多角多面」(33)>

 神社仏閣は、いつの時代も人気の観光スポットになっている。宗教心をもった人が、そうたくさんいるとは思えない。足を運びたくなる理由の一つは、「変わらないもの」への希求だ。人は老い、死ぬ。人生の下り坂を歩いていることに気づいた人は、老いに恐怖し、「変わらない時間」を求める。だから、時代を超えた神社仏閣に触れたとき、ほっとするのだ。

 確かに、生まれ育った土地に行き、小さいころ遊んだ神社の大木がそのままに立っている姿を見たときなど、言いようのない安堵感がある。しかし、宇宙は1秒たりとも停止することなく、時間の固定はその摂理に反する。皺が増えようが、足腰が弱ろうが、心や精神はとどまることなく1ミリずつでも成長している、それが人間だ。

 先日、35年前のテレビドキュメント「いま原子力発電は……」を観る機会があった。監督は記録映画作家、羽田澄子さん。福島第一原発をルポした25分の作品だ。画面に登場する推進派の発言を聞いて、あまりのデジャブ(既視感)に、不謹慎ながら笑いを漏らしてしまった。

「原発でつくられるクリーンな電気」「(発生している不具合は)事故ではなく故障」「事故の起きる確率は50億分の1で、これは隕石に当たる確率と同じ」「原発はけしからんという人もいるが、石油が枯渇してもいいのか」「放射性廃棄物は固体化して100年、保存する。その間に(処理のための抜本的)対策を探す」

 一方、原発を疑問視する学者はインタビューにこう答えている。

「50億分の1というのは紙の上の計算にすぎない」「原子炉が空だきになったら、1分以内に水を注入しなくてはならない。だが、水蒸気に押されてなかなかできない。まさに離れ業だ」「放射性廃棄物の処理には1000年、あるいはもっとかかる。1000年もの間、平和理に管理できる能力が人間にあるのか」

 当時、日本で稼働していた原発は12基。35年たち、54基に増えてしまったが、とりまく状況は、これだけの事故が起きても本質的には変わっていない。推進派のもくろみは「何ごともなかったかのように“原発神話”を生かし続ける」ことにあるのだろう。彼ら、彼女らに「心や精神の成長」を求めてもムダだ。そうではなく、私たちの「成長」を彼ら、彼女らに見せつけなければならない。(2011/6/10)
※同作品は、岩波ホール(東京・神保町)で13日~30日公開。

[この国のゆくえ13……「生」も「死」も決定権は一人ひとりにある]

<北村肇の「多角多面」(32)>

 この時期の夕刻、とくに午後6時前後は独特の雰囲気がある。光源がどこにあるのかわからない感じ、とでも言おうか。天空、地表のすべてが、明るからず暗からずの微妙さをまとっている。

 そのせいか、心のありようによって印象が大きく異なってくる。落ち込んでいるときは、少年時代、友だちと別れて家に帰るとき耳にした、もの悲しい豆腐屋のラッパの音が聞こえてくる。逆に、高揚しているときは、夜の短い季節になったことを実感し、大層、もうけた気になる。

「3.11」を経験した今年は、また別の感覚に襲われる。「死」の香りだ。漆黒の夜を迎える前の、一時のあいまいな時間。「その先にあるのは避けようのない『死』」という感覚。この不安から逃れるために、人間は灯りにすがるようになった。街中をネオンの洪水にもした。無益な抗いであることは知りつつ、そうするしかなかった。

 ゆっくりと帳(とばり)の降りる街を歩きながら、自問自答する。人は何を間違えたのだろう。社会は何が間違っているのだろう。どうして2万数千人が死を迎えなければならなかったのか、無数の人々が被曝という危機に直面せざるをえなくなったのか。どうして、どうして……。

 原発震災が発生すれば「決死隊」ができると、心ある識者は指摘していた。まさにそれは現実化した。命を犠牲にして人を救うのは正義か否か。長い間、論議されてきた永遠の難問がいま、私たちすべてに投げかけられている。

 被災に遭われ命を失った方々に報いるためにも、私たちは改めて「死」について、それはつまり「生」について正面から向き合い、考えなくてはならない。自分の中の深い場所に降りていき、自分を見つめなくてはならない。

 その際、最も大事なのは、「生」も「死」も決定権は私たち一人ひとりにあるということだ。重大な危険性と隣り合わせにあった原発は、その決定権を私たちから奪っていたのである。おりから、最高裁は「君が代訴訟」で「起立・斉唱の職務命令は合憲」との判決を下した。統治権力やその周辺は、市民を丸ごと管理しようともくろんでいる。福島原発事故をきっかけに、そこを突き崩さなくてはならない。人はだれでも等しく、そしてだれとも異なる「生」を「死」を、根源的な権利としてもっている。(2011/6/3)