きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

[この国のゆくえ24……「命の尊厳、人権」を取り戻すために]

<北村肇の「多角多面」(43)>

 ゆっくりと、静かに、だれも気がつかないように、こっそりと、たくみに、窓が閉められていく。すでに、明るさが半減している。でも、私たちは、少しずつ暗闇に慣らされていく。

「3.11」の巨大地震と福島原発崩壊は、窓という窓をぶちこわした。その中には「命を粗末にする」「人権を軽視する」という黒いカーテンに覆われる窓もあった。視界が開けたとき、私たちは知った。いかにこの国では「人間」が大切にされてこなかったかという事実を。経済優先の旗印のもと、「原発の安全神話」は産官学とマスコミによって徹底的に刷り込まれてきた。「命」の軽視以外の何物でもない。その仕掛けが白日のもとにさらされたとき、多くの市民が、窓の存在に気づいたのだ。

 だから、「反原発」のうねりは、「命の尊厳、人権」を取り戻す戦いでもあった。あらゆる場所、あらゆる世代でその芽は生まれ、成長し、つながりあっていった。

 このような動きに、窓をつくり市民を管理していた「権力者」は恐怖を覚えた。だから、どうやって抑え込むかに思案をこらした。そして、いつもの手を使ったのだ。ゆっくりと、静かに、だれも気がつかないように、こっそりと、たくみに、窓を閉め、暗闇に慣らさせる――。

 それだけではない。「3.11」を隠れ蓑に、さらなる窓の構築にまで手をつけた。コンピュータ監視法成立、共通番号制への動き加速、「取り調べ可視化」の手抜きなどなど。そのしたたかぶりには、こちらのほうが背筋を冷たくする。

 暗闇に慣らされてはいけない。いまこそ、「命の尊厳、人権」を市民の手に取り戻さなければならない。まずは、原子力ムラを徹底的に解体しなくてはならない。

 反原発の旗を掲げ続けてきた『週刊金曜日』は9月10日(土)、「創刊18周年記念講演会 福島原発事故 いまだからみんなで考えたい」を東京・一ツ橋の日本教育会館ホールで開きます。第一部が編集委員(宇都宮健児、落合恵子、田中優子、本多勝一)の講演、第二部は「放射能から身を守る方法」。午後1時~4時、先着800人、参加費1000円です。「世界中の原発の廃炉を目指す」との思いを共有していただければ幸いです。

 お待ちしています。(2011/8/26)

[この国のゆくえ23……「日常が極楽である」ことに鈍感な政治家]

<北村肇の「多角多面」(42)>

 猛暑の影響だけではあるまい。いかにも疲れ切った人の、多いこと多いこと。中高年ばかりではない。電車内を見渡すと、ぐったりとした表情の若者にたびたび出会う。

 チャップリンの「モダン・タイムス」を思い出す。オートメーションの歯車になった労働者が、ただただ疲弊していく。21世紀のいま、事態はもっと深刻だ――人生は自転車を漕いでいるようなもの。足を止めた途端、それは「社会からの落伍」を意味する。だれも助けてはくれない。みんなひたすら前を向き、ペダルを漕ぐだけ。「落伍者」に手を差し伸べる余裕すらない。

 こんな時代では、負荷の少ない高級自転車を手に入れるか、人並み外れた体力の持ち主だけが勝ち組となる。東日本大震災の復興を名目に、増税、社会福祉の後退が「避けられないこと」として論じられている。民主党代表選の焦点にもなるだろう。自転車が壊れたり、病気やケガでペダルを漕げなくなったときの保険は、自力でまかなわなくてはならない。年金も公的医療もやせほそる一方、ますますそんな社会になる。

 勝ち組の発想は明確だ。「自転車にも乗れない者は社会から去れ。そうなりたくなければ努力しろ」。排除の論理そのものである。彼ら、彼女らにとって「生きる価値のある人間」は1割にすぎない。残りの9割は歯車。壊れれば廃棄物でしかない。

 でも、社会の勝ち組イコール人生の勝ち組ではない。一心不乱に昼夜を分かたず自転車を漕ぐ人に、空の青さはわからない。道ばたに咲く野草の美しさも感じ取れない。世界がどれほど豊潤であるかは、立ち止まり、深呼吸をし、周囲を見回して初めてわかることだ。

 あわれになってくる。私も含めた9割に対してではない。自転車を走らせることにしか生きる意味をもたない勝ち組があわれなのだ。カネで一定の「時間」を買えると思い込んでいるのかもしれない。しかし、それは中身のないスカスカの時間でしかない。まして「人の心」をカネで購うことはできない。「死」を前にしたとき初めて、「立ち止まり、深呼吸をし、周囲を見回す」ことをしてこなかった不遇に気づくだろう。

「3.11」は、「日常が極楽である」という真実を顕在化した。「日常」とは、私が私として、無理をせず、無理を強いられずに生きられる時空間だ。勝ち組もそうでない大多数も、みんなが疲弊している時代には「日常」がない。このことを多くの市民はあの大惨事で気づいたのに、政治家はあまりに鈍感すぎる。(2011/8/19)

「櫂未知子の金曜俳句」8月末締切の投句募集について

『週刊金曜日』2011年9月23日号掲載の俳句を募集しています。
【兼題】「野分」もしくは「夜学」(雑詠は募集しません)
【締切】 2011年8月31日(水)必着
【投句数】1人計10句まで何句でも可
※特選に選ばれた句の作者には、櫂未知子さんの著書をお贈りします。 

【投句方法】官製はがきか電子メール
(氏名、俳号、電話番号を明記)

【投句先】
郵送は〒101-0061 東京都千代田区三崎町3-1-5
神田三崎町ビル6階 『週刊金曜日』金曜俳句係宛。

電子メールはhenshubu@kinyobi.co.jp
(タイトルに「金曜俳句投句」を明記してください)

【その他】新仮名づかいでも旧仮名づかいでも結構ですが、一句のなかで混在させないでください。
なお、添削して掲載する場合があります。

金曜俳句への投句一覧(8月26日号掲載=7月末締切、兼題「蜘蛛(くも)」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』8月26日号に掲載します。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonhttp://www.amazon.co.jp/)でも購入できるようになりました。予約もできます。
「週刊金曜日」で検索してください。配送料は無料です。

(さらに…)

金曜俳句への投句一覧(8月26日号掲載=7月末締切、兼題「海の家」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』8月26日号に掲載します。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonhttp://www.amazon.co.jp/)でも購入できるようになりました。予約もできます。
「週刊金曜日」で検索してください。配送料は無料です。

(さらに…)

[この国のゆくえ22……「苦悩」とともに2011年の夏を過ごす]

<北村肇の「多角多面」(41)>
 あっという間であり、異様に長い5ヵ月でもあった。「3.11」は時間感覚をも狂わせたようだ。

 振り返ってみると、そこには無数の「?」が、まだ化石にならない状態で浮遊している。それはそうだ。何一つ解決していないのだから。「収束」しないのは福島原発事故だけではない。私の想念もまた、何の見通しも不時着する場所もなく、いたずらにさまよい続けている。

 原発が人類にとって負の存在であるとの結論はとうに下していた。一旦、事故が起きたら、破滅の事態をもたらすことも明確に予言できた。政府や電力会社を中心にした“原子力ムラ”の醜悪さも自明の理だった。なのに、私といえば、無数の被害者が生まれた現実を呆然として見つめるばかりだ。

 私にとって「結論」とは何だったのか。それを自分なりに出すことで何が解決したのか。いままた、どんな結論を出そうとしているのか。その煩悶の中で混沌としているというのが、偽らざる心境だ。具体的な言葉にすればこうなる。「3.11」で犠牲になった人々の「死」、残された人々の「生」に対し、一体、どうやって向かいあえばいいのか、まったく見えてこない――。

 原発を廃炉に追い込み、二度と同じような被害者を出さない。そのことが、大震災で亡くなられた方々への手向けにつながり、死者を悼むことすら奪われた人々の支援に結びつく。さらには、明日を背負う子どもたちの未来をつくりだす。ここまでは無条件、反射的に紡ぎ出すことができる。しかし、何かが足りない。

 現時点での私の「結論」は、矛盾に満ちている。それは「結論を無理して出すことはない」ということである。肝心なのは「思い悩むこと」ではないのか――。

 今年もまた「8・6」、「8・9」がやってくる。戦争、核兵器、原発……考えるべきことは山積している。例年と違うのは、「3.11」によって、社会を覆っていたフタが吹き飛んだことだ。否応なく「死」が露出し、すべての人の眼前にさらされたのである。逃げてはいけない。しかし、簡単に結論を出そうと焦るべきではない。まずは悩みたい。「生きている」からこそ、苦悩する。苦悩するからこそ、明日がある。この夏を苦悩とともに送ろう。出来る限り、背筋をピンと伸ばして。(2011/8/5)