[この国のゆくえ24……「命の尊厳、人権」を取り戻すために]
2011年8月24日10:48AM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(43)>
ゆっくりと、静かに、だれも気がつかないように、こっそりと、たくみに、窓が閉められていく。すでに、明るさが半減している。でも、私たちは、少しずつ暗闇に慣らされていく。
「3.11」の巨大地震と福島原発崩壊は、窓という窓をぶちこわした。その中には「命を粗末にする」「人権を軽視する」という黒いカーテンに覆われる窓もあった。視界が開けたとき、私たちは知った。いかにこの国では「人間」が大切にされてこなかったかという事実を。経済優先の旗印のもと、「原発の安全神話」は産官学とマスコミによって徹底的に刷り込まれてきた。「命」の軽視以外の何物でもない。その仕掛けが白日のもとにさらされたとき、多くの市民が、窓の存在に気づいたのだ。
だから、「反原発」のうねりは、「命の尊厳、人権」を取り戻す戦いでもあった。あらゆる場所、あらゆる世代でその芽は生まれ、成長し、つながりあっていった。
このような動きに、窓をつくり市民を管理していた「権力者」は恐怖を覚えた。だから、どうやって抑え込むかに思案をこらした。そして、いつもの手を使ったのだ。ゆっくりと、静かに、だれも気がつかないように、こっそりと、たくみに、窓を閉め、暗闇に慣らさせる――。
それだけではない。「3.11」を隠れ蓑に、さらなる窓の構築にまで手をつけた。コンピュータ監視法成立、共通番号制への動き加速、「取り調べ可視化」の手抜きなどなど。そのしたたかぶりには、こちらのほうが背筋を冷たくする。
暗闇に慣らされてはいけない。いまこそ、「命の尊厳、人権」を市民の手に取り戻さなければならない。まずは、原子力ムラを徹底的に解体しなくてはならない。
反原発の旗を掲げ続けてきた『週刊金曜日』は9月10日(土)、「創刊18周年記念講演会 福島原発事故 いまだからみんなで考えたい」を東京・一ツ橋の日本教育会館ホールで開きます。第一部が編集委員(宇都宮健児、落合恵子、田中優子、本多勝一)の講演、第二部は「放射能から身を守る方法」。午後1時~4時、先着800人、参加費1000円です。「世界中の原発の廃炉を目指す」との思いを共有していただければ幸いです。
お待ちしています。(2011/8/26)