[この国のゆくえ24……完璧に「自民党的政党」になった民主党]
2011年9月7日7:19PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(45)>
民主党は「自民党的政党」になった。ほぼ完璧に。「自民党的」とは何か。基本となる性格を並べてみる。
・ 政策立案は官僚に任せる
・ 「政権を野党に譲らない」の一点で挙党態勢をとる
・ 党代表(総裁)の最大の役割は派閥均衡を図ること
野田佳彦首相は「財務省の傀儡」と言われる。過去の言動をみれば、否定のしようがないだろう。財務省の狙いは、増税により「自由になるカネ」を集め、政策立案のフリーハンドをさらに強化することにある。「福祉のための増税」は薄っぺらな看板にすぎない。にもかかわらず、自分勝手な財務省の思惑をつぶす気概は野田首相にはない。歴代の自民党首相が大蔵省のいいなりだったことと何ら変わりないのだ。
民主党政権発足時の「政治主導」はどこにいったのか。跡形もない。「どうせできっこない」と高をくくっていた自民と、結果的には「同じ穴の狢」に成り下がった。これでは、公務員改革など、何一つ展望が見えない。官僚の力は高まるばかりだ。
二番目の、政権を渡さないという強い意志だけは、党員にしっかりと根付いた。今回の代表選がそのことを明確に示した。そもそも、なぜ簡単にマニフェストを反故にしたのか。菅直人前首相が解散に踏み切るのではないかと恐れた党の有力者が、野党にすりよったからにほかならない。有権者への公約より政権維持のほうが重要というわけだ。同じような光景は自民党政権時代、何度も見られた。予算編成を経て、民主党は政権党の旨みを知ったのだ。
野田内閣の顔触れを見て、その派閥均衡ぶりに唖然とした。表向き「適材適所」、実態は派閥優先の構図――そのまんま自民党だ。党三役の顔触れといい、野田首相の人事は、55年体制以降、永田町で連綿として続いた自民党の伝統をしっかりと守っている。
かように民主党が自民党的政党に堕落したことで、皮肉にも「二大政党時代」が幕を開けた。“実力”が拮抗したからだ。むろん、市民にとってそれは吉報ではない。政争に明け暮れ、霞ヶ関に“おんぶにだっこ”の自民党政権はもう嫌だ、そう思った有権者が民主党政権を生んだのである。どじょうのように、にょろにょろとしてつかみにくい野田首相に、竹下登元首相を重ね合わせ、ぞっとしたのは私だけではあるまい。(2011/9/9)