[この国のゆくえ37……勝者・橋下徹氏はいずれポイ捨てされる。問題はその後だ]
2011年11月29日5:24PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(56)>
大阪知事選・市長選の結果に、多くの知人からいつもながらの愚痴を聞かされた。「ノックを知事にする大阪だからなあ。いやいや、東京も石原慎太郎だった。日本は終わりだ!」。その気分、よくわかる。でも、愚痴っていただけでは何も始まらない。まずは、冷静に現状を分析する必要がある。
橋下徹氏はタレント弁護士、平松邦夫氏は元民放アナウンサー。一部のメディアは選挙前から「タレント同士の争い」と評していた。そうした一面はある。しかし、かつてNHKの宮田輝氏が浮動票をごっそり獲得したころとは意味が違う。橋下氏の最大の勝因は「テレビで有名だった」ことではない。小泉純一郎元首相のときから続いている、「既得権ぶっ壊し」路線をさらに先鋭化したことで圧勝劇は生まれたのだ。
これまでの常識からすると、民主党、自民党が手を結べば、首長選での敗退はありえない。今回も普通に戦っていればこれほどの差は付かなかったはずだ。ところが、既成政党は、「既得権ぶっ壊し」への恐怖から、橋下氏に「強者」の幻影を見てしまった。そのため、表面的には共産党までが同じ船に乗り、水面下では一部の国会議員が橋下氏に接触するという“ねじれ”が生じた。言うまでもなく、来たる総選挙のほうが首長選より大事と考えた議員は、大阪維新の会との全面対決を避けたかったのだ。
公明党が自主投票にしたのも、衆議院選挙を視野に入れていたからだろう。つまり、有権者の「既存政党離れ」におたおたした各政党は、「橋下氏に勝ってはほしくない。でも、敵に回したくない」と腰が定まらなかった。それでなくとも閉塞状況が続く中で変化を求めている市民が、ふらつく既存政党に魅力を感じるはずがない。
選挙前に橋下氏の出自をめぐる醜聞が週刊誌を賑わした。結果的には橋下氏の票を増やしたのではないか。「生まれたときには人生が決まっている」社会への怒りが充満している中では、橋下氏が貶められるたびに共感が生まれていく。「独裁を許すな」キャンペーンも逆の風を吹かせた。独裁的な政治が好ましいはずはない。だが、独裁をほしいままにしてきたのは与党や経済界である。その反省もなしに橋下氏をなじっても上滑りするだけだ。
勝者・橋下氏は、小泉氏と同様、幻影の「強者」、幻影の「弱者の味方」である。現実を動かす具体的政策や将来展望を持っているわけではない。いずれまた有権者にポイ捨てされるだろう。その先にある「深化したニヒリズム」にどう対処するのか。これこそが、すべての市民・国民に課せられた、とんでもなく重い課題である。(2011/12/2)