きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

[この国のゆくえ37……勝者・橋下徹氏はいずれポイ捨てされる。問題はその後だ]

<北村肇の「多角多面」(56)>

 大阪知事選・市長選の結果に、多くの知人からいつもながらの愚痴を聞かされた。「ノックを知事にする大阪だからなあ。いやいや、東京も石原慎太郎だった。日本は終わりだ!」。その気分、よくわかる。でも、愚痴っていただけでは何も始まらない。まずは、冷静に現状を分析する必要がある。

 橋下徹氏はタレント弁護士、平松邦夫氏は元民放アナウンサー。一部のメディアは選挙前から「タレント同士の争い」と評していた。そうした一面はある。しかし、かつてNHKの宮田輝氏が浮動票をごっそり獲得したころとは意味が違う。橋下氏の最大の勝因は「テレビで有名だった」ことではない。小泉純一郎元首相のときから続いている、「既得権ぶっ壊し」路線をさらに先鋭化したことで圧勝劇は生まれたのだ。

 これまでの常識からすると、民主党、自民党が手を結べば、首長選での敗退はありえない。今回も普通に戦っていればこれほどの差は付かなかったはずだ。ところが、既成政党は、「既得権ぶっ壊し」への恐怖から、橋下氏に「強者」の幻影を見てしまった。そのため、表面的には共産党までが同じ船に乗り、水面下では一部の国会議員が橋下氏に接触するという“ねじれ”が生じた。言うまでもなく、来たる総選挙のほうが首長選より大事と考えた議員は、大阪維新の会との全面対決を避けたかったのだ。

 公明党が自主投票にしたのも、衆議院選挙を視野に入れていたからだろう。つまり、有権者の「既存政党離れ」におたおたした各政党は、「橋下氏に勝ってはほしくない。でも、敵に回したくない」と腰が定まらなかった。それでなくとも閉塞状況が続く中で変化を求めている市民が、ふらつく既存政党に魅力を感じるはずがない。

 選挙前に橋下氏の出自をめぐる醜聞が週刊誌を賑わした。結果的には橋下氏の票を増やしたのではないか。「生まれたときには人生が決まっている」社会への怒りが充満している中では、橋下氏が貶められるたびに共感が生まれていく。「独裁を許すな」キャンペーンも逆の風を吹かせた。独裁的な政治が好ましいはずはない。だが、独裁をほしいままにしてきたのは与党や経済界である。その反省もなしに橋下氏をなじっても上滑りするだけだ。

 勝者・橋下氏は、小泉氏と同様、幻影の「強者」、幻影の「弱者の味方」である。現実を動かす具体的政策や将来展望を持っているわけではない。いずれまた有権者にポイ捨てされるだろう。その先にある「深化したニヒリズム」にどう対処するのか。これこそが、すべての市民・国民に課せられた、とんでもなく重い課題である。(2011/12/2)

[この国のゆくえ36……生活保護者への差別は、障がい者、高齢者排除につながる]

<北村肇の「多角多面」(55)>

 初霜をふいて公園のベンチに座る中年の男性。世捨て人のような雰囲気を漂わせる背中はしかし、すぐに文学的な表現を拒否する。世を捨てたのではない、世に捨てられたのだという叫びが聞こえてくる。思い過ごしかもしれない。でも、そうではないことは、表情から読み取れる。働かないのではない、働けないのだ――。

『読売新聞』が8日から「急増 生活保護」の連載を始めた。同紙は新自由主義の立場に立った報道が多く、意外な気がしたが、1回目を読んで納得した。「働けるのに働かない人間には支給するな」というトーンだったのだ。たとえば以下のような記述がある。

「自治体関係者の間では、『(年越し)派遣村』の“副作用”を指摘する声も少なくない。生活保護を受けることへの抵抗感を弱め、受給者増の一因になった、というものだ」「生活保護制度に詳しい鈴木亘・学習院大教授(社会保障論)は『派遣村の時は、養ってくれる親族の有無などの調査が短期で済まされ、働く能力がある人も受給した。以降、これが各自治体で前例となり、申請増に歯止めがきかなくなったのではないか』と指摘した」

 ところが皮肉にも、連載のスタートした8日、東京地裁で「生活保護義務づけ判決」が出た。東京都新宿区で路上生活をしていた男性(61)が、生活保護申請を却下されたのはおかしいと区を訴えていたものだ。報道によれば、川神裕裁判長は「実際に働いていなくても、働く意思が客観的に認められれば、自ら生活を維持しているといえる」と述べ、区に生活保護を義務づけた。この国ではいま、働きたくても働く場がなかなかない。特に中高年ではそうだ。「働いていない」と「怠けている」は合致しない。妥当な判決だ。

 厚生労働省の統計によれば、生活保護受給者は205万人に達した。過去最多である。人口比で考えれば戦後混乱期ほどではないとの見方もあるが、深刻な事態であることに変わりはない。しかも、捕捉率(生活保護を受けられる人がどれだけ受けているかを示す率)は18%程度といわれる。さまざまな理由で、受けたくとも受けられない人が多い。「本当は働けるのではないか」と白い目で見られることも影響しているはずだ。

 人はだれにでも生きる権利がある。そして国には、「健康で文化的な最低限度の生活」をすべての国民に保障する義務がある。だが政府は、財政健全化のために「生活保護費」を減らそうと考えているようにみえる。しかも、一部のマスメディアがそれを支持する。こんなことがまかり通ったら、障がい者や高齢者には「財政の足を引っ張る対象」との烙印が押されかねない。すでにその徴候もある。許せない。(2011/11/25)

[この国のゆくえ35……影の薄くなった日本を輝かせるのは平和憲法だ]

<北村肇の「多角多面」(54)>

 かつて、「日本」といえば「フジヤマ、ゲイシャ」だった。高度成長期の代名詞は「エコノミックアニマル」。海外旅行ブームは「ノーキョー」を有名にした。80年代以降、「ソニー・トヨタ」は技術立国・日本を象徴した。それが、今世紀に入ってからは、せいぜいサブカルチャー分野の「アニメ」「オタク」くらいか。いい意味でも悪い意味でも、「日本」は影が薄い。

 極めつけは「総理大臣」の存在感のなさ。ころころ変わるせいだけではない。要は資質の問題だ。一国のリーダーは「どのような社会をつくるのか」について確固たる哲学をもたねばならない。だが、ついぞそんな首相にお目にかかったことはない。野田総理はまさに典型だ。国内では安全運転に徹し、海外では何かとアドバルーンを上げる。しかもそれは、世界に向けた国家レベルの基本方針ではない。「消費税増税」など国内の政策にすぎない。要するに、野田氏の狙いは「外圧利用」と「米国の顔色うかがい」であり、こんなハリボテ総理の国がパッシング(無視)されるのは当然だ。

 いわゆる三点セットの「消費税増税」「TPP(環太平洋経済連携協定)」「米軍沖縄基地」。このうち「増税」については、財務省に踊らされた結果との見立てがある。それは間違っていない。しかし、別の視点から捉える必要もある。「霞ヶ関官僚の目は常に米国に向いている」ということだ。つまり、官僚のシナリオは米国の為に書かれているのだから、すべての面において、官僚主導とは米国主導にほかならないのである。

 TPPの真の狙いは、米国型基準(スタンダード)を日本にも押しつけるということだ。同国の社会規範の一つに「自己責任」がある。「努力する者は救われる」というと聞こえはいいが、要は「弱肉強食」「優勝劣敗」である。果たして、これらは日本に適しているのか。私には到底、そうは思えない。

 ここまで日本が落ちぶれた最大の原因は、米国の腰巾着に成り下がったことにある。「日本固有の」とか「日本らしく」は、一歩、間違えれば歪んだナショナリズムに転化する。しかし、その反動で米国流にどっぷりとはまりこんだのでは意味がない。「自分を大切にする心が、他者を大切にする心を生む」という真理も忘れてはならない。

 日本が誇れるものに「平和憲法」がある。野田首相は世界に対し、堂々と胸をはり平和憲法の“輸出”を図るべきだ。「改憲」とか「原発輸出」とか「武器輸出三原則見直し」とか頓珍漢なことを言っていたのでは、存在感を増せるはずはない。(2011/11/18)

この国のゆくえ34……「キセノン検出問題」は過小評価で雲散霧消

<北村肇の「多角多面」(53)>

 大したことはありませんよという感じで、東京電力は2日、「福島原発1号機で放射性キセノン(133と135)を検出」と発表した。その際、「キセノンは自然に核分裂が進む際にも発生する」と注釈をつけ、翌3日には、「核分裂が連続する臨界が原因ではなく、自発核分裂だった」との見解を示した。相も変わらず「直ちに影響はない」の過小評価路線だ。

 ここまでくると、腹が立つというよりアホらしくなってくる。2日の発表では「8月にもキセノン(131)が検出されていた」という事実も明らかにされた。それなら当然、その時点で「詳しい調査」を実施していなくてはならない。なぜ2ヵ月後に改めて「自発核分裂」との結論が出るのか。報道によれば、8月の場合は「原発事故当時のものと考えていた」というが、とても信用できない。キセノン検出が「深刻な事態」なら、年内達成とされる工程表の「冷温停止状態」が危うくなってくる。つまり、東電は見せかけの「事故収束」のために、極めて重要な事実を隠していたとの疑念が消えないのだ。

 核燃料がどのような状態になっているかはだれにもわからない。ただ、すでに溶融し、圧力容器の底を抜き、格納容器の底に貯まっているのはほぼ確実とみられる。現状では、それをせっせと水で冷やしている。となると、部分的、局所的に臨界が発生してもおかしくはない。いまのところ大規模な爆発につながる可能性は少ないとみられるが、決して「絶対に安全」と言い切れる状態ではない。何しろ、核燃料の取り出しだけでも、少なく見積もって30年はかかるのだ。何が起きてもおかしくない。

 このような状況では、「臆病」こそが東電のとるべき姿勢だ。ほんの少しのことでも大げさに考え、常に最悪を予想するくらいで丁度いい。セシウムが検出されたのなら、まずは臨界の危険性を考慮して対処するのが当然である。楽観論の結果が今回の大事故につながった。そのことをまだ反省していないのだろうか。

 政府もどうかしている。8月の時点で何の報告も受けていないのなら、厳しく東電を批判すべきだ。仮に聞いていて何にもしなかったのなら論外である。時を同じくして、野田首相はベトナムのズン首相と会談、原発輸出で合意した。政府にとっても見せかけの「事故収束」が最優先なのだろう。玄海4号機が発電を再開し、大間原発も建設に向けて動き出した。野田首相が打ち出した「将来は原発に依存しない」との方針は、すでにメルトダウンしている。(2011/11/11)

「櫂未知子の金曜俳句」11月末締切の投句募集について

『週刊金曜日』2011年12月23日号掲載の俳句を募集しています。
【兼題】「初氷(はつごおり)」もしくは「毛布」(雑詠は募集しません)
【締切】 2011年11月30日(水)必着
【投句数】1人計10句まで何句でも可
※特選に選ばれた句の作者には櫂未知子さんの著書(共著を含む)をお贈りします。
【投句方法】官製はがきか電子メール
(氏名、俳号、電話番号を明記)

【投句先】
郵送は〒101-0061 東京都千代田区三崎町3-1-5
神田三崎町ビル6階 『週刊金曜日』金曜俳句係宛。

電子メールはhenshubu@kinyobi.co.jp
(タイトルに「金曜俳句投句」を明記してください)

【その他】新仮名づかいでも旧仮名づかいでも結構ですが、一句のなかで混在させないでください。
なお、添削して掲載する場合があります。

金曜俳句への投句一覧(11月25日号掲載=10月末締切、兼題「芒〈すすき〉」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』11月25日号に掲載します。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonhttp://www.amazon.co.jp/)でも購入できるようになりました。

予約もできます。「週刊金曜日」で検索してください。配送料は無料です。

(さらに…)

金曜俳句への投句一覧(11月25日号掲載=10月末締切、兼題「案山子〈かかし〉」)

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[この国のゆくえ33……無人偵察機、ロボット兵士――人類はどこにゆくのか]

<北村肇の「多角多面」(52)>

 体の芯から、いや違う、もし魂というものがあるなら魂の内奥から、粟粒のようなザラザラとした不快感が立ち上ってくる。ここまで、人は人としての温もりを捨て去ることができるのか、現実世界を血の通わないゲームに変えてしまえるのか。

 リビアのカダフィ大佐殺害には、米国の無人偵察機・プレデターが重要な役割を果たしたと言われる。大佐の車列をキャッチしたのも、そこにミサイルを撃ち込んだのもプレデターとされる。むろん、操縦は米国本土で行なわれたのだろう。“だれか”がパソコン画面を見ながらキーボードをたたき、ミサイルを発射したのだ。

 無人偵察機・攻撃機は21世紀の戦争には欠かせない存在になりつつある。手を染めずに殺戮行為ができるのだから、権力者にとってこれほど都合のいい兵器はない。兵士を失うことはなく、さらには、ゲーム機でバーチャルな殺人をする感覚に陥ることで、わずかな良心の痛みすら感じずにすむのかもしれない。

 米国はロボット兵士の開発にも着手しているようだ。『週刊金曜日』866号(2011年10月7日号)で天笠啓祐さんが紹介しているように、米国国防高等研究計画局(DARPA)は2011年度、「バイオデザイン」に600万ドルの予算をつけた。狙いは、合成生命体を生み出す技術を開発することにより「目的通りの動物」をつくることだ。軍事目的なのは言うまでもない。サイボーグ兵士を無尽蔵に誕生させる時代はそこまできているのだろうか。

 兵器も兵士もリモコンで動かす。だが、生命を奪う対象は肉体を持った人間。この究極の「非対称な戦争」こそが、米国のめざす21世紀の戦争における本質だとしたら、人類の歴史は終焉を迎えてもおかしくない。そして、日本はその米国の属国である。

 いわゆる「権力」を握った人々が、一体、何を求めているのか、何が希望なのか、私にはさっぱりわからない。彼らにとっての幸福とは何か、そもそもなぜ生きているのか、まるで理解できない。人間にとって最高の幸せは、温かい人間同士が抱き合うことだ。肉体だけではなく精神のハグでもある。これに対し、ゲームと化した社会でキーボードによる殺戮を繰り返すようでは、幸せどころか荒涼感が生まれるばかりのはずだ。そこにもし喜びを感じるなら、それはもはや人間とは呼ばない。
 
 人ではない人の増殖。ザラザラした不快感の源はそこにある。(2011/11/4)