きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

この国のゆくえ40……2012年は「抗議の年」「行動の年」に

<北村肇の「多角多面」(59)>
 色づいた銀杏のグラデーションが楽しい。突き抜けた青に空が染まる。ニットの服を着たダックスフンドが尻尾を振る。そうか、冬なのだ。道行く人の息がせわしい。車があたふたと走り抜ける。そうか、師走なのだ。

 気がついたら1年が終わっていた。「3.11」以降、これまでとは異なる時間が社会を覆ったかのようだ。私の時空間もどこか歪んだ気がする。単純に猛スピードで進んだわけではない。かといって牛の歩みということでもない。早かったり遅かったり、ときには停止したり。ぐるっと一回転したり。このメリーゴーランドはしかし、何の喜びも楽しみも与えてはくれない。私には。おそらく社会全体にも。

 東日本大震災はまだ終わっていない。終わることはない。行方不明の方がまだ約3500人もいるのだ。探し求めている家族らはその何倍にもなる。時が解決するなどと、言えるはずもない。傷跡が癒えるには、想像を超える時間がかかるだろう。

 福島原発事故もまた、収束の見通しはまったく立っていない。放射線の内部被曝による被害が顕在化するのは2、3年後だ。一体、どのくらいの人が健康を損なうのか、見当もつかない。精神的なダメージを負った人は無数と言っていいだろう。

 こうした状況下で、政府のお気楽な発表を聞くたびに寒気がする。まるで直線的に解決へ向かっているようなことを平然とのたまう。ありえない。どんなに楽天的に見積もってもジグザグした道であり、最悪の場合は避けようのない危機的状況だって考えられる。

 2011年末、この国の為政者はこう宣言するだろう。「今年はいろいろと大変なことがありました。でも新しい年には輝かしい未来が待っています」。決してだまされまい。ここまで棄民政策を続けてきた政府を、だれが信じるというのか。

 しかし、あきらめは何も生まない。世界は根底から変わりつつある。「1%」に対する「99%」の怒りは地球のあちらこちらで火を噴いている。「革命」は、突然、生じたわけではない。何年、いや何十年にわたって、平和や愛を求めた名も無き人々が戦い、その「思い」が種としてこぼれ落ちた。それがいま、芽を出しているのだ。私たちはじっと目をこらし、先人の「思い」を見つけ、掬い取らなければならない。そして、花を咲かさなければならない。タイム誌の選んだ「今年の人」は「抗議する者」だった。2012年は、「抗議の年」「行動の年」にしたい。(2011/12/20)

田中聡・沖縄防衛局長(当時)の発言をめぐる『朝日新聞』への質問と回答

『週刊金曜日』12月16日号メディア欄(58ページ)に掲載した記事執筆のために朝日新聞社に取材しました。紙幅の関係上、朝日新聞社の回答すべては掲載できないので、(電話番号などの連絡先や日時をのぞく)質問と回答の全文を公開します。

 質問は、田中聡・沖縄防衛局長(当時)がオフレコ懇談で、米軍普天間飛行場の県内移設に向けた手続きを性的暴行に例えた発言をしたときに、『朝日新聞』記者が同席していたかどうかについてたずねる内容です。
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●『週刊金曜日』の質問

       田中聡防衛局長(当時)の発言報道についてのご質問

前略 貴紙の報道に矛盾しているように見える点がありますので、ファクスにて質問状をお送りいたします。ご多忙中恐縮ですが、文書でご回答いただけますようお願いいたします。          不一

    記

 谷津憲郎朝日新聞那覇総局長が12月3日朝刊に掲載したコラムで以下のように書いています。

〈あの夜、1時間ほど遅れて居酒屋につくと、目当ての人は奥のテーブルでにぎやかにグラスを交わしていた。田中聡・沖縄防衛局長(当時)と、それを囲む報道各社。男ばかりが約10人。3千円の会費を払い、私は隣のテーブルで報道室長と話し始めた。(略)なんとも間抜けだが、私は例の発言を聞いていない〉

 ただ、田中局長発言を伝える貴紙の第一報では、〈朝日新聞社は、発言時には同席していなかった〉と書いています。

 一方、『琉球新報』12月8日付13面は、発言は〈1時間半ほどたった午後9時半ごろ出た〉、遅れて参加した琉球新報記者が大きな声で質問したところ、〈局長は大きな声で「これから犯す前に犯しますよと言いますか」と返答した。記者の記憶は鮮明で揺るがない〉と報じています。

 お聞きしたいのは下記の点です。

1)第一報では谷津総局長は、発言時に同席していなかったように読めます。午後9時半ごろ、谷津総局長は懇談会場にいたのでしょうか?いなかったのでしょうか?
2)午後9時半頃、谷津総局長が会場にいたとすれば、田中局長の大きな声をなぜ聞いていないのでしょうか?
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 質問のファクスは、谷津憲郎那覇総局長と朝日新聞東京本社広報部に送ったところ、広報部から回答がありました。

●朝日新聞社広報部の回答

冠省

 昨日いただいたご質問の「1」と「2」についてまとめてお答えします。

 弊社の谷津憲郎・那覇総局長は、田中聡・沖縄防衛局長(当時)の発言があった時間帯には懇談会場にいましたが、問題になった田中氏の発言は聞いていませんでした。

 11月29日付夕刊に掲載した一報の段階では、この発言について総局長の記憶になかったことから、「朝日新聞社は、発言時には同席していなかった」と記しました。

 その後の取材で、発言があったのは総局長が懇談会場にいた時間帯だったことが分かりました。12月3日付朝刊の「記者有論」では、総局長が「1時間ほど遅れて」懇談会場の居酒屋についたことや、「例の発言を聞いていない」ことを、お伝えしました。当時、総局長は田中氏の席と離れた隣のテーブルで沖縄防衛局の報道室長と話していたため、問題の発言を聞けていませんでした。

回答は以上です。よろしくお願いいたします。

草々

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 これだけでは、問題のありかがわかりにくいかもしれません。本誌記事と併せてお読みいただけると幸いです。

「櫂未知子の金曜俳句」12月末締切の投句募集について

『週刊金曜日』2012年1月27日号掲載の俳句を募集しています。
【兼題】「初電話」「福寿草」(雑詠は募集しません)
【締切】 2012年1月4日(水)必着=仕事始めまで〆切りを延長します
【投句数】1人計10句まで何句でも可
※特選に選ばれた句の作者には櫂未知子さんの著書(共著を含む)をお贈りします。
【投句方法】官製はがきか電子メール
(氏名、俳号、電話番号を明記)

【投句先】
郵送は〒101-0061 東京都千代田区三崎町3-1-5
神田三崎町ビル6階 『週刊金曜日』金曜俳句係宛。

電子メールはhenshubu@kinyobi.co.jp
(タイトルに「金曜俳句投句」を明記してください)

【その他】新仮名づかいでも旧仮名づかいでも結構ですが、一句のなかで混在させないでください。
なお、添削して掲載する場合があります。

金曜俳句への投句一覧(12月23日号掲載=11月末締切、兼題「毛布」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』12月23日号に掲載します。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonhttp://www.amazon.co.jp/)でも購入できるようになりました。

予約もできます。「週刊金曜日」で検索してください。配送料は無料です。

(さらに…)

金曜俳句への投句一覧(12月23日号掲載=11月末締切、兼題「初氷〈はつごおり〉」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』12月23日号に掲載します。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonhttp://www.amazon.co.jp/)でも購入できるようになりました。

予約もできます。「週刊金曜日」で検索してください。配送料は無料です。

(さらに…)

この国のゆくえ39……「やさしさ」を取り戻したい

<北村肇の「多角多面」(58)>
 もし生まれ変われるのなら、どんな人間になりたい? そう聞かれたら、迷わず答える。もっともっと、やさしい人間になりたいと。

 人はもろい。肉体だけではない。心はガラスの城のように、ほんの少しの衝撃でこなごなに崩れ落ちる。だから、柔らかく包み込まなくてはならない。私はあなたの、あなたは私の。そして私は私の、あなたはあなたの。心を。

「生きづらい」。この言葉を今年は何度、使っただろう。これほどたくさんの人々が生きづらいと感じる時代が、かつてあったのか。原因や理由についてさまざまに考えてきた。新自由主義がもたらした「経済格差」「弱肉強食」に関しては、しつこいくらいに触れてきた。新しい「奴隷制社会」であることも強調してきた。要は、カネがすべてになってしまったのだと。

 そんな社会で失われたものはたくさんある。「やさしさ」もそうだ。非正規の労働者には名前がない。取り替え可能な使い捨てだからだ。ここまでないがしろにされた人の心が壊れないわけがない。生活保護受給者が206万人を超えた。「貧富の差」による被害者なのに、時として怠け者呼ばわりされる。そこには、やさしさのかけらもない。人間の尊厳を足蹴にする官僚の冷酷さは、もはや当たり前でもある。

 東日本大震災は、棄民政策を浮き彫りにした。粉ミルクからセシウムが発見されても「健康に影響はない」と繰り返す政府。原材料に問題があったわけではない。埼玉県春日部市の工場で製造した際、空気中のセシウムが混入したとみられる。3月半ばの段階では、関東地方でも相当な量の放射性物質が飛び交っていた証拠だ。「直ちには影響がない」という政府の言葉を信じ、子どもたちを外で遊ばせたり、雨に濡らした親もいるだろう。国に少しでもやさしさがあれば、そんな悲劇は防げたはずだ。

 都心の駅や繁華街で肩が触れあうと、「すみません」の前にすごんだ目つきが飛んでくる。みんな何かにイライラしている。やさしさの欠けた社会では、やさしさの気持ちを持つことは難しい。そして、それを一人ひとりの責任に帰すことはできない。

 人は必ず死を迎える。しかし、社会は生き続ける。生まれ変わることもできる。それが人類の歴史でもある。未来の世代にやさしさを残したい。そのために何ができるのか、1年を振り返るいま、考えたい。深く、深く。(2011/12/16)

練馬読者会「報告」部分を追加

練馬読者会
※「報告」部分が届きましたので、開催告知とともにアップします。

12月は毎年恒例の拡大読者会(忘年会)です。原発再稼働を許さない決意で乾杯を!どなたもお気軽に参加ください。
週刊金曜日練馬読者会 年末・拡大読者会
   日 時:2011年12月17日(土)6:30~
   会 場:こみゅにてぃかふぇ和(なごみ) 03-3924-5504
       西武池袋線大泉学園駅南口3分(地図はブログ“練金術勝手連”にあります)
   会 費:3500円(飲まない方の割引あり)
   参 加:事前申し込み(前日までに会場の「和」へ電話してください)
   その他:酒類等の持ち込み歓迎
*11月例会は16人参加。うち初参加が2人で、前回の初参加者も全員が参加して下さったのは大変嬉しかった。会は、自然農法の農家Nさんの食物の質と心身の健康の関係について指摘されたことから始まった。それを受けて共同生活しながら自然農法に取り組んでいる人々のこと、欲望が資本主義に与える影響、自由と平等の関係、東京都における原発住民投票の是非、市民の政治意識の低さ、今後の経済成長の是非、翌日に控えた大阪ダブル選挙、戦後の新左翼運動などが話し合われた。前回に引き続き来歴など多様な参加者同士で多岐にわたるテーマを話し合えた実り多い会とすることが出来た。(Kdac)
問合せ・連絡は nerikinjyutu@mail.goo.ne.jp

この国のゆくえ38……オフレコと、記者の良心の関係

<北村肇の「多角多面」(57)>
 いまでも振り返ると赤面の至りだ。新聞記者になったのは22歳。何から何までヒヨッコのくせに「マスコミとは、新聞とは」なんて偉そうにぶっていた。それでも、一点だけ自分をほめている。それは、「何のために、誰のために書くのか」という、その後37年間続く自問自答を始めたことだ。

 人はだれも自分の幸せのために生きる。しかし、そのことと同じくらい人の幸せのために生きる。だから、「仕事」の目的には、自己実現だけではなく「人に役立たせる」ことも含まれる。医師は治療によって人の命を救うし、料理人はおいしい食べ物で人を喜ばせるのだ。では、記者はどうか。平和ですべての人の尊厳が守られる社会実現を目指す、それこそが使命である。そして、その使命を果たすには、「誰のために=読者、市民のために」「何のために=より良い社会をつくるために」が前提になる。「誰のために=自分だけのために」「何のために=会社あるいは上司の評価を得るために」では記者失格だ。懺悔をすれば、幾度も失格記者になったことがある。ただ、そのたびに、若い頃から自らに言い続けてきた「誰のために」「何のために」を呪文のように唱え、かろうじて良心を守ってきた。

 今年は、「オフレコ」が何度か問題になった。田中聡前沖縄防衛局長の「犯す」発言は、『琉球新報』が“掟破り”したことで表面化し、田中氏辞任につながった。一部のメディアは「これでは取材先との信頼関係が崩れる」と同紙に批判的だ。確かにオフレコは記事にしないことが前提であり、だから取材対象者のホンネが聞けるという利点がある。体験上、オフレコを全否定すべきではないと思う。

 しかし、記者として絶対に失ってはいけない「誰のために、何のために書くのか」に照らせば、田中氏の発言は報じざるをえない。結果として、信頼関係が崩れても仕方ない。記者はあくまでも、読者や市民との信頼関係を最優先しなくてはならないのだ。『琉球新報』は正しい。では、9月に問題になった鉢呂吉雄前経産相の例はどうだろう。私には「誰のために=原発ムラ住人のために」「何のために=原発推進のために」としか見えない。本来、オフレコを無視してまで報じるニュースとはとても思えないのだ。

 オフレコを受け入れるのは、「将来的に読者、市民に役立つ記事を書く」ためである。ここさえしっかりしていれば、政治家や官僚の掌で踊らされることはない。個人的には、過去、何度かオフレコ破りをした。付け加えれば、相手が良心的な官僚であれば、その後の関係が切れることはなかった。彼ら、彼女らもまたそれぞれの立場で「何のために、誰のために」を日々、考えているからだ。(201112/9)