この国のゆくえ40……2012年は「抗議の年」「行動の年」に
2011年12月21日1:32PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(59)>
色づいた銀杏のグラデーションが楽しい。突き抜けた青に空が染まる。ニットの服を着たダックスフンドが尻尾を振る。そうか、冬なのだ。道行く人の息がせわしい。車があたふたと走り抜ける。そうか、師走なのだ。
気がついたら1年が終わっていた。「3.11」以降、これまでとは異なる時間が社会を覆ったかのようだ。私の時空間もどこか歪んだ気がする。単純に猛スピードで進んだわけではない。かといって牛の歩みということでもない。早かったり遅かったり、ときには停止したり。ぐるっと一回転したり。このメリーゴーランドはしかし、何の喜びも楽しみも与えてはくれない。私には。おそらく社会全体にも。
東日本大震災はまだ終わっていない。終わることはない。行方不明の方がまだ約3500人もいるのだ。探し求めている家族らはその何倍にもなる。時が解決するなどと、言えるはずもない。傷跡が癒えるには、想像を超える時間がかかるだろう。
福島原発事故もまた、収束の見通しはまったく立っていない。放射線の内部被曝による被害が顕在化するのは2、3年後だ。一体、どのくらいの人が健康を損なうのか、見当もつかない。精神的なダメージを負った人は無数と言っていいだろう。
こうした状況下で、政府のお気楽な発表を聞くたびに寒気がする。まるで直線的に解決へ向かっているようなことを平然とのたまう。ありえない。どんなに楽天的に見積もってもジグザグした道であり、最悪の場合は避けようのない危機的状況だって考えられる。
2011年末、この国の為政者はこう宣言するだろう。「今年はいろいろと大変なことがありました。でも新しい年には輝かしい未来が待っています」。決してだまされまい。ここまで棄民政策を続けてきた政府を、だれが信じるというのか。
しかし、あきらめは何も生まない。世界は根底から変わりつつある。「1%」に対する「99%」の怒りは地球のあちらこちらで火を噴いている。「革命」は、突然、生じたわけではない。何年、いや何十年にわたって、平和や愛を求めた名も無き人々が戦い、その「思い」が種としてこぼれ落ちた。それがいま、芽を出しているのだ。私たちはじっと目をこらし、先人の「思い」を見つけ、掬い取らなければならない。そして、花を咲かさなければならない。タイム誌の選んだ「今年の人」は「抗議する者」だった。2012年は、「抗議の年」「行動の年」にしたい。(2011/12/20)