きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

憲法改悪派がもくろむ96条改定

<北村肇の「多角多面」(75)>
5月3日が近づいてきた。「憲法9条」の危うさをひしひしと感じる。今年はさらに「96条改定」の危険性を実感する。

日本国憲法第96条<改正の手続、その公布>1 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。

自民党は「憲法改正草案」で、96条の「3分の2以上の賛成」を「過半数」にすることを謳う。橋下徹大阪市長が掲げた「船中八策」にも同様の政策が明記されていた。また、ねじれ国会のどさくさ紛れに動き出した憲法審査会では、とりあえず選挙年齢の18歳引き下げが議論されているが、そう遠くない時期に96条がテーマになると囁かれている。

言うまでもなくこれは二段階戦略だ。まずは憲法改定のハードルを下げ、次に9条に手をつけようという魂胆である。安倍晋三政権時代、憲法改悪への危機感が広範に高まり、全国に「9条の会」が生まれた。報道機関の世論調査でも、護憲派の勢いが増していることははっきりと伺えた。こうした状況を見て、改憲派が「3分の2条項」をなくさない限り9条改憲は覚束ないと考えたのは、必然の流れだろう。

もちろん、危機に瀕するのは9条だけではない。自民党案では①天皇を元首と規定②国旗・国歌の尊重規定③緊急事態条項の新設――などが盛り込まれている。そして何よりも許し難いのは、権力を縛ることが目的の憲法を、国民管理の“武器”にしようと目論んでいることだ。国のありようを根底からひっくり返す大事である。それを、国会議員の半数の賛成で発議しようというのだ。しかも国民投票法では、投票総数の半数以上の賛成投票で「国民の承認」とみなされる。96条が改定されれば、とても「国民の総意」とは言えない中で改憲が行なわれてしまう可能性が強まるのだ。

日本国憲法前文には「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」とある。「これ」とは、「主権在民=人類普遍の原理」を示す。つまり、主権在民をないがしろにした、国家権力が国民を縛るような「憲法」は憲法違反なのだ。そして、そんな改憲を平然と言い出す政治家は、まごうことなく99条に違反している。

日本国憲法第99条<憲法尊重擁護の義務>天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。(2012/4/27)

ミサイル騒ぎで市民を煽る政府の醜い思惑

<北村肇の「多角多面」(74)>
 街路樹が芽吹き始めると、街はたちまち印象派の絵と化す。コンクリートだらけの都心といえども、そこかしこに花の姿はあり、道行く人々もカラフルな服装を身にまとう。こんな季節、一昨年までは、ごく自然に浮き浮きした気分になったものだ。でも、福島原発事故以降、季節の明るさで心の軽くなることが減った。晴れ上がった午後でも、時折、葉の一枚一枚にセシウムの鈍い輝きを見るような気に襲われてしまう。

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が「衛星」を打ち上げた13日、政府は「敵の攻撃に対処する」といった風情で大騒ぎし、マスコミも戦時体制ごとくの報道に狂乱した。そもそも、田中直紀防衛省が「破壊措置命令」を出し、イージス艦出動、PAC3配備と続いたころから、政府もマスコミもせっせっと「非常事態」を演出、市民を煽り続けた。

 仮に「衛星」が目的ではなく「ミサイル実験」だったとしても、日本政府の対応は異常としかいいようがない。どこからみても、北朝鮮による「軍事攻撃」ではないからだ。そのことは政府もわかっているから、万が一「ミサイル」の破片が国内に落下し住民避難などの対応をとる場合も、災害基本対策法に則るとした。武力攻撃事態対処法に基づく国民保護法は使えないからだ。ところが、この基本的な事実はほとんど報じられなかった。政府と一部マスコミが二人三脚で、意図的に「戦争騒ぎ」を盛り上げたとしか思えない。

 こんな茶番の一方で、原発事故に関しては、ここまでやるかというほど過小評価し、何一つ解決していないのに「収束宣言」を出し、大飯原発再稼働に前のめりとなる。この落差は一体、どこから生まれるのか。そこには、責任回避に走る政府の醜い姿が垣間見える。とともに、日本に暮らす市民より米国の利益を最優先する姿勢も浮かび上がる。

 福島原発事故対策で重要なのは「原因究明」「責任の所在」「再発防止」だが、いずれも曖昧模糊のまま。市民の不安と怒りが充満するのは当然だ。その目くらましに「北朝鮮のミサイル発射」を利用したのだろう。しかもこれは政府にとって一石二鳥。米国のご機嫌も伺えるからだ。日本は04年度から毎年1000億円以上の税金をミサイル防衛体制の構築と研究開発に注ぎ込む。背景にあるのは、対中国、対北朝鮮に日本の自衛隊を使うという米国の軍事戦略だ。今回の「軍事訓練」は、日米で役割分担を調整する「共同統合運用調整所」が初めて行なう本格運用であり、米軍にとっては格好の「実験」だったのだ。

 米国には貢いでも福島県の子どもたちの医療費無料化には予算をつけない。これがこの国の為政者の実態だ。とても「浮き浮きした」気分にはなれない。(2012/4/20)

霞ヶ関官僚にとって、民主党政権は使い勝手のいい暫定政権でしかない

<北村肇の「多角多面」(73)>
 民主党政権誕生から今日まで、評価の変遷は――。
「期待しましょう」→「まだ与党になったばかりだから、力を発揮するのはこれからでしょう」→「いろいろ問題もあるけど、少し長い目でみましょう」→「不満はいっぱい。でも自民党よりはましでしょう」→「これでは、自民党よりたちが悪いかもしれません」

 いまさらマニフェスト違反をあげつらっても仕方ない。きりがないからだ。むしろ深刻なのは、政権与党としての基本姿勢が民主党にまったく感じられないことだ。

 小川敏夫法務大臣による「死刑執行」もその象徴だ。世論調査の結果などから「民意を尊重した」という。では、政府に問いたい。なぜ脱原発に踏み切らないのですか。大飯原発再稼働に前のめりになるのですか。さまざまな世論調査をみれば、市民の意思は「再稼働反対」ですよ――。都合のいいときに「国民の意向」を隠れ蓑にするのは、基本姿勢が揺らいでいる証拠である。

 言い換えれば、民主党政権の特徴は「行き当たりばったり」である。政権奪取が目的の寄せ集め集団だから、政治信条がばらばらなのは想定内だ。しかし、半年、1年経てば、それなりの方向性をもってまとまらなければ政党ではない。もちろん、個々の政策に関する考え方が割れるのは当然。しかし、根本のところで一致していれば、熟議を尽くすことによっておのずと結論が出るはずだ。

 鳩山由紀夫元首相は、3点について自民党との違いを宣言した。「新自由主義から社会民主主義的政策への転換」「官僚支配の打破」「米国偏重外交からの脱却」。多くの市民が、この3本柱こそが民主党の基本姿勢と受け止めた。だからこその「期待しましょう」だった。それがどうか。いまや、こうして文字にするのも虚しい。すべては春の雪ほどの重みもなかった。

 どうしてこんなことになったのか。背後に霞ヶ関官僚の思惑を感じざるをえない。彼らにとっての民主党政権は暫定政権でしかない。「反官僚」を前面に掲げた政権は葬り去るしかないからだ。だが、単につぶしただけでは芸がない。そこで「自民党時代にできなかったことをやらせた上で退場させる」という戦略を立てたのではないか。その筆頭が消費税増税であったのは言うまでもない。そんな思惑を知ってか知らずか、東日本大震災以降、野田政権は「暫定基準」を連発している。増税以外は、暫定政権による暫定基準ばかり。まったくもってのお笑い種だ。(2012/4/13)

「櫂未知子の金曜俳句」4月末締切の投句募集について

『週刊金曜日』2012年5月25日号掲載の俳句を募集しています。
【兼題】「荷風忌」「昭和の日」(雑詠は募集しません)
【締切】 2012年4月30日(月)必着
【投句数】1人計10句まで何句でも可
※特選に選ばれた句の作者には櫂未知子さんの著書(共著を含む)をお贈りします。
【投句方法】官製はがきか電子メール
(氏名、俳号、電話番号を明記)

【投句先】(事務所が移転しています)

郵送は〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-23
アセンド神保町3階  『週刊金曜日』金曜俳句係宛。

電子メールはhenshubu@kinyobi.co.jp
(タイトルに「金曜俳句投句」を明記してください)

【その他】新仮名づかいでも旧仮名づかいでも結構ですが、一句のなかで混在させないでください。
なお、添削して掲載する場合があります。

金曜俳句への投句一覧(4月27日号掲載=3月末締切、兼題「蛙」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』4月27日号に掲載します。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonhttp://www.amazon.co.jp/)でも購入できるようになりました。

予約もできます。「週刊金曜日」で検索してください。配送料は無料です。

(さらに…)

金曜俳句への投句一覧(4月27日号掲載=3月末締切、兼題「花種もしくは種袋」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』4月27日号に掲載します。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

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「破れかぶれの楽観主義」でいこう

<北村肇の「多角多面」(72)>
「あれっ」という感じだった。予想外の結末だった。フィンランドの巨匠、アキ・カウリマスキ監督は、庶民の心の機微をさりげなく物静かに描く。最新作「ル・アーヴルの靴みがき」(4月下旬公開)も、春雨に芝生が濡れるように、じんわりと心が泣ける秀作だった。それにしても、あまりにも出来すぎたハッピーエンドに虚を突かれたのだ。

 ストーリー紹介は控えておく。その代わりに、パンフレットに載っていた監督インタビューの一部を紹介する。

――本作では、ル・アーヴルに暮らす人々を結ぶ「博愛」が少年を救います。ですが現実には、もはやそんな精神は存在しないのではないですか?
 私はもちろん、まだ存在していると信じています。
――世の中の状況が暴力的になればなるほど、あなたは人間というものに一層の信頼を持ち続けているように感じます。それは、破れかぶれの楽観主義なのでしょうか?
 昔から童話でも、赤ずきんが狼を食べてしまうバージョンの方が、その逆よりも好きなんだ。現実の世界では、ウォール街の青白い男たちより狼の方がましだけどね。

 そうか、「破れかぶれの楽観主義」だなと一人で得心した。いつからか、社会にハッピーエンドなどありえないと思い込んでいた。悲観主義にどっぷりとつかっていたから、笑顔、笑顔の大団円で終わる作品に唖然としてしまったのだ。冗談じゃない、まだまだ「博愛」はすたれていないよ――カウリマスキ監督のそんなメッセージに目を見開かされた思いだ。
 
 悲観主義は一歩、間違えると「逃げ」につながる。あきらめという袋小路に入り込むことで気を鎮める愚に陥るときもある。それなら、たとえ勝算はなくとも、自分勝手な楽観主義のほうがよほど建設的だ。私自身、もともと性善説を捨てたことはない。この世とおさらばするまで、それは変わらないだろう。一方で、批判精神を失うことはない。生まれたときからの悪人はいない――そう信じるからこそ批判もできるのだ。
 
 源平咲きの梅に目を肥やしていたら、あっという間に桜が空を占有し始めた。梅と桜。似ているようで、その「性格」は相当に異なる。好みは人によって別れる。ただ、多くの人は、どちらも「美しい」と感じる。草木や花に「美」を感じ取れるのは、私たちに「博愛」の心があるからだ。
 
 少し、春に浮かれたかな。でも、私はいつでも「人間」が好きだ。(2012/4/6)