きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

領土問題はガキのケンカでは何も解決しない

<北村肇の「多角多面」(91)>
 まさに日本海の波高し。尖閣諸島、竹島問題はヒートアップし、日中の軍事衝突を予想する言説すら出始めた。だが、政府の動きは何とも歯がゆい。もちろん、強硬策をとれといっているわけではない。求められるのは、ガキのケンカではなく賢者の対応だ。

 そもそも、日本が煮え切らない態度をとっている理由の一つは二重基準にある。実行支配している尖閣には「領土問題は存在せず」、一方、韓国が実行支配している竹島に関しては「国際司法裁判所に提訴する」。てんこしゃんこそのものだ。しかも、状況の変化について認識が甘すぎる。これでは足下を見られるのも当然だ。

 尖閣についていえば、1978年の日中平和条約締結時、中国の鄧小平副首相(当時)が「棚上げ論」を容認したことから、日本は一貫して「領土問題は存在せず」の姿勢を貫いてきた。中国政府も暗黙の了解をしているとの前提だった。だが、政治も外交も生き物だ。中国の海洋戦略をみれば、尖閣の帰属問題が焦点になることは容易に想像できる。少なくとも92年に中国が「自国領」と宣言した際に、「領土問題」とすべきであった。

 竹島に関しても、日本政府の態度は「触らぬ神に……」だった。日韓関係が良好なら、その方向性は必ずしも悪手とはいえない。だが、「従軍慰安婦」問題で李明博大統領が対日強硬策をとらざるを得なくなるのは誰の目にも明らかだった。しかも、大統領選を間近に控え、与党セヌリ党は、李明博大統領だけではなく、次期候補者、朴槿恵氏をめぐるスキャンダルも抱えている。当然、有権者の目をそらさせる必要がある。「反日」はその有力なカードだ。こんなわかりやすいことに気がつかなかったとしたら、何をか況やである。

 さらに最も肝心なのは、これらの問題を捉えるときに侵略戦争と植民地支配に対する日本の加害責任を決して忘れてはならないということだ。反省や謝罪が足りないどころか、「『従軍慰安婦』は存在しない」とか「南京大虐殺は幻」といった言説がいまだにまかり通っている。これでは、領土問題に関して両国が感情的になるのは致し方ない。

 日本のとるべき道は、まず改めて侵略戦争について目に見える形で真摯に謝罪する。次に、領土問題に関する二国間協議を中韓それぞれと開始する。その場では、歴史的経緯も含め、相手の話をしっかり聞き、日本の立場もていねいに説明する。こうした賢者の外交を展開すれば、仮に時間はかかっても自ずと道は開ける。領土問題はゼロサムゲームではない。お互いが冷静に知恵を出し合えば、決着点が見えてくるはずだ。もちろん、米国にお伺いを立てることなく自主外交で進めなくてはならない。(2012/8/31)

大学の同期会に初めて出席した理由

<北村肇の「多角多面」(90)>
 オリンピックイヤーに開かれる同期会に出席した。大学を卒業して38年。これまで一度も参加したことがない。でも分かっていた。会うなり「やあやあ」となることを。みんな還暦を超えている。見た目は変わっている。それでも顔をあわせた瞬間、38年程度の時間は一気に縮まる。
 
 同窓会や同期会から足が遠のく理由は、そこにあったのかもしれない。「昨日のことのように」触れあうのが苦手なのだ。お互いの間にある空白の時間を埋めるため、ついつい「何をしていた。何をしている」と語り合うことになる。そして酒が入るにつれ「あのころ」のエピソードをつまみにする。

 それはそれで楽しい。だが、この空間が明日につながることはほとんどない。翌日には、38年前とおなじくらいに「過去」のことになっている。現実に引き戻されるのもまた一気だからだ。その現実には多くの知人・友人がいる。こちらは「やあやあ」とばかりにはいかない。もろもろのしがらみや利害関係が微妙にからみあう。

 20代のころ、先輩諸氏から同じ事を聞かされた。「中学校より高校、高校より大学、何より社会人になってからの友人が一番、濃い付き合いになる」。確かにそうだ。その理由は、秤にかけたとき「思い出」より「現実空間」のほうが圧倒的に重いからだと思う。きれいごとではないから濃い。

 55年体制へのノスタルジーを語る人が増えた。70年代の「熱い時代」で話が盛り上がる。その中に私もいる。どんなに自分に言い聞かせても「あのころのほうが、まだ良かった」と口走ってしまう。過去を引きずったり、思い出に逃げ込むようになったら終わりだと、しっかり腹に据えていたはずなのに。

 一個人としては、「未来」が「過去」より大きい年齢はすでに過ぎた。しかし、社会にとって「未来」は常に無限大だ。その社会に存している限り、「私」は無限の可能性に向かって自己を飛翔させなくてはならない。重油の海を泳ぐような感覚にぐったりすることもある。だが、「過去」を積み重ねた人間にとり、それは責務であろう。

 同期会では「紫陽花革命」が話題になった。そのからみで意見交換を続けることにもなった。数日して、はたと気づいた。初めて出席した理由についてだ。日本は明らかに変わりつつある。このことを70年代の友人と確認したかったのだ。(2012/8/20)

地球の怒りに直感が同調する

<北村肇の「多角多面」(89)>
 地球が怒っている。私の感覚がそれをとらえる。「科学的」ではない。だが、所詮、科学は言語にとらわれている。言語を超えた、かつ人類に共通する「直感」を無視する気にはなれない。そして、私の直感が地球のふるえに同調するのだ。
 
 米国南部が約60年ぶりの深刻な干ばつに襲われた。気温45度を超える凄まじさ。米海洋大気局(NOAA)の調査では、今年5月~6月の陸地の平均気温は、統計の残されている1880年以降の同期としては過去最高。特に北半球の陸地では平均を1.3度上回ったという。ここ30年の気温上昇傾向に加え、南米ペルー沖の海面水温が下がるラニーニャ現象が終息、水温が上昇する転換期にあたったためとされる。

 こうした異常気象は、もはや異常ではない。猛暑、寒波、干ばつ、洪水といったニュースを聞かない年はない。またプレートの動きも活発になっているようで、地球規模で大地震や火山噴火が頻発している。これらを単なる独立した「自然現象」と片付けていいのか。生物圏や人間圏との関係性を無視しては、それこそ非科学的だろう。

 地球を「巨大な生命体」とみなす自己統制仮説が提唱されたのは1960年代だった。その後、ギリシャ神話の女神の名をとり「ガイア理論」と名付けられた。当初はバッシングの嵐だったが、90年代以降、地球が自らの機構や組成を調整している可能性が明らかになり、地球温暖化問題の深刻化もあって、同理論に注目が集まっているという。

 古来、人類は「自然」に対して畏敬の念を抱き、時には「神」として崇めた。それはつまり、本能的に「地球」との共存を図ろうとしたのだろう。日本でも長い間、政治の乱れが天変地異を引き起こすとされてきた。「神」を怒らせ、「自然」から罰を受けるのは人間の宿命であると考えたのかもしれない。こうした「迷信」が消え去るとともに、わがもの顔の人類は無制限に大地を掘り返し、緑を損ね、海を汚し、戦争を繰り返し、原子力を生み出し、ついには核兵器を使用した。

 人類史上、最大の悪行ともいえる原爆投下は夏真っ盛りのことだった。炎暑のもと、広島、長崎に思いを寄せながら、一つの事実に改めて愕然とする。唯一の原爆被爆国が史上最悪の原発事故を引き起こした――。日本は農耕で成り立ってきた。自然とのつきあい方はそれこそ遺伝子に刻まれているはずだ。人間が自ら作ったエネルギー源「原子力」がいかに自然の摂理を壊したか、人間を壊したか、そのことも直感できるはずだ。被害者であり加害者である私たちがまず、地球の叫びに耳を傾けたい。(2012/8/10)

「櫂未知子の金曜俳句」8月末締切の投句募集について

『週刊金曜日』2012年9月28日号掲載の俳句を募集しています。
【兼題】「八月」「秋扇」(雑詠は募集しません)
【締切】 2012年8月31日(金)必着
【投句数】1人計10句まで何句でも可
※特選に選ばれた句の作者には櫂未知子さんの著書(共著を含む)をお贈りします
【投句方法】官製はがきか電子メール
(氏名、俳号、電話番号を明記)

【投句先】

郵送は〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-23
アセンド神保町3階  『週刊金曜日』金曜俳句係宛。

電子メールはhenshubu@kinyobi.co.jp
(タイトルに「金曜俳句投句」を明記してください)

【その他】新仮名づかいでも旧仮名づかいでも結構ですが、一句のなかで混在させないでください。
なお、添削して掲載する場合があります。

兼題「水飯」 金曜俳句への投句一覧(8月31日号掲載=7月末締切)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』8月31日号に掲載します。

どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonhttp://www.amazon.co.jp/)でも購入できるようになりました。

予約もできます。「週刊金曜日」で検索してください。配送料は無料です。

(さらに…)

兼題「サンドレス」 金曜俳句への投句一覧(8月31日号掲載=7月末締切)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』8月31日号に掲載します。

どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

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バイオテクノロジーの暴走

<北村肇の「多角多面」(88)>
 あなたのペットを蘇らせます。クローン技術でうり二つのイヌやネコを誕生させます。米国で、そんなふれこみの商売が立ち上がった。お値段は数百万円! ところが、三毛猫のクローンは三毛猫にはならなかった。生命の連関は遺伝子だけで行なわれるわけではない。環境要因が大きいのだ。

 上記の話しは『暴走するバイオテクノロジー』(天笠啓祐著、金曜日刊)に紹介されたものだ。同書にはこのほかにも、驚くべき事実がいくつも書かれている。特に衝撃的なのは、米国の研究所が合成生命を誕生させた話しだ(『週刊金曜日』本誌でも掲載)。その延長線上には「サイボーグ人間」がある。

 この研究を受け、米国国防高等研究計画局は2011年度の予算に600万ドルをかけ「バイオデザイン」に取り組む方針を明らかにした。狙いは「目的通りの動物の開発」だ。国防にからむのだから、軍事目的であるのは間違いない。「生物兵器」から「サイボーグ兵士」まで、さまざまなことが考えられる。

 バイオテクノロジーといえば「夢の技術」の代名詞だった。遺伝子操作により、いつでも大量にとれる食物が生まれる、あらゆる病気の治療が可能になる、不老不死に近付けるなどなど。しかし現実には、遺伝子治療は思うように進まず、遺伝子組み換え(GM)食物は多くの問題を抱えることが明らかになるなど、バラ色は少しずつ変色している。

 そんな中で、ES細胞、ips細胞の登場で再び「生命操作」が脚光を浴びている。だが、実用化への具体的な目途が立っているわけではない。冒頭の三毛猫のように、思いもつかないことが起こるのが生命の不思議さである。所詮、人間は「神」にはなれないのだ。

 同書ではスポーツ選手の遺伝子データバンクについても触れている。ドーピング検査で遺伝子検査が進めば進むほど、生まれつきスポーツに向くか向かないかがわかるようになり、国家が「スーパー・アスリート」を育成することが可能になるというのだ。そのうち、オリンピックはこうした選手同士の競い合いになり、ますます、国力のある国の独壇場になるだろう。米国国防高等研究計画局の計画もそうだが、歪んだナショナリズムに科学が悪利用される危険性も忘れてはならない。

 人間は「神」にはなれない。しかし、「神」を偽造したり、「神」を装うことはできる。そのための道具に成り下がったとき、科学は人類を滅ぼす。(2012/8/3)