パソコン遠隔操作事件で危惧するのは、“愉快犯”の思惑を超えた社会の動き
2012年10月25日3:56PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(99)>
他人のパソコンを遠隔操作して脅迫メールを送りつける。ウィルスを使った“犯行”は痕跡すら残らない――。前代未聞の事件が起こった。おそらくは個人の仕業だろうが、こうしたハッキングがいとも簡単に行なわれるのなら、想像するのも忌まわしい事件だって起こりうる。たとえば、核兵器を持つ複数の国のシステムに侵入し「貴国に向け核ミサイルを発射した」というメールをそれぞれの国から送らせる。あるいは金融システムをガタガタにすることも可能だ。
ただ、私の不安は別のところにある。
犯罪の多くにはカネや物欲、そして怨恨がからむ。動機は意外にわかりやすいのだ。しかし、今回の事件はそこが判然としない。断定はできないが、愉快犯の可能性が高い。となると、動機は「楽しいから」になろうか。「楽しさ」の基準は人によってさまざまだから、結局、真意は本人しかわからない。
子どものころ、近所の家のブザーやインターフォンを押す遊びがはやった。「何ごとか」と住人が出てくるのを遠くから眺めて満足する。あれは何だったのだろう。だれかに迷惑をかけることが快感だったのかもしれない。そのときの心の動きを思い起こせば、どこかに「このいたずらで人を死傷させることはない。仮にばれても頭をごつんとされる程度だろう」という安心感があった。ここが一つのポイントのような気がする。
脅迫メールといっても、見方によってはブザーやインターフォンを押すことと大差はない。“被害者”が「まあ、この程度のいたずらは大目に見てやろうか」と苦笑すればそれで終わりだ。ひょっとしたら“犯人”の心中には「このいたずらで人を死傷させることはない。仮にばれても頭をごつんとされる程度だろう」との思いが潜んでいたのかもしれない。
だが、寛容さの希薄な社会では、そうはいかない。現に警察は脅迫メールを大事件と認定し、“容疑者”を逮捕した。さらにそれが冤罪であったのだから、“容疑者”とされた人の被害は甚大だ。「頭をごつん」ですむ話しではない。
インターネットの匿名社会では、愉快犯が実像より巨大に見えてしまうことがある。だから、捜査当局も凶悪事件並みの態勢をとる。さらに、大きく報道されることにより、市民の中の恐怖感が増幅する。私の危惧は、愉快犯の<ささやかな楽しみ>が勝手に自己増殖し、社会に憎悪感という暗雲を漂わせることにある。(2012/10/26)