政治とマスメディアの劣化はニワトリと卵の関係
2012年11月1日1:40PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(100)>
コラム100回目のテーマは、皮肉を込めて「政治とマスメディアの劣化」しかないなと思う。数えたわけではないが、かなりの回を永田町と新聞・テレビの批判に費やしたはずだ。そもそも、両者の堕落ぶりはニワトリと卵の関係でもある。
ひとしきり話題になった『週刊朝日』対橋下徹大阪市長のバトルは典型的事例だ。連載1回目のタイトルを見たとき、思わず我が目を疑った。「ハシシタ 奴の本性」。えげつなさすぎる。「奴」も気分が悪いし、何より橋下氏の出自を暴くのに「ハシシタ」はないだろう。多くの人がそこに「被差別部落」への差別意識を感じ取ったはずだ。
中身を読んで、ますます「これはだめだ」と思った。政治家の出自や生育環境を取り上げることに問題はない。しかし、血脈やDNAが政治家の質の“決め手に”なるのなら、論理的にはいずれすべての政治家は世襲にならざるをえない。「良き政治家の子孫は良き政治家」になってしまうからだ。とても容認できない発想だ。さらには、裏取りの危うさも気になった。証言のいくつかについて、十分な担保がとれているのか疑問を感じた。
それでも佐野眞一さんの作品なのだから、2回目以降に種明かしが隠されているのだろうと考えていた。橋下氏の反撃が始まったときも『週刊朝日』の逆襲を信じて止まなかった。橋下氏の対応を予測したうえでの連載と思っていたからだ。ところが、現実は違った。『週刊朝日』も『朝日新聞』もうろたえるだけだった。結局、ほとんど意味不明の「おわび」と編集長更迭での幕引き――。情けなさに呆然とした。
橋下氏の“圧勝”に終わった形だが、一方で、橋下氏の器の小ささも露呈した。「どうぞご勝手に」とやり過ごせばよかったのだ。一流の政治家となり、社会のために汗を流すことに邁進すればいいのだ。取材拒否など愚の骨頂である。彼に限らず、昨今の政治家は何かと言えば保身に走る。時には病院に逃げ込み、時には子どものケンカのごとくにわめきちらす。石原慎太郎氏の傲岸な態度も同じことだ。懐は深くして、あらゆる意見を飲み込み、咀嚼し、熟慮し、決断する。そのような政治家らしい政治家をほとんど見かけない。
劣化したマスメディアは政治の根本を説くことがなく、結果として真の政治家は育たない。劣化した政治は市民にあきらめをもたらし、それはまたマスメディアへの失望につながる。期待されないマスメディアはますます劣化する。画に描いたような悪循環。橋下氏や石原氏に人気が集まる遠因はマスメディアにもあることを、リーディングペーパーである『朝日新聞』はどう考えているのだろうか。(2012/11/2)