きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

◆バリバリの国家主義者になった島耕作◆

<北村肇の「多角多面」(115)>
 仕事ができて、上司にゴマはすらず、自分の筋を通し、女性にはモテモテ。現実社会にはおよそ存在しない、だからこそ世のサラリーマンの憧れでもあった「島耕作」。順調に出世してついには社長にまで登り詰めた。この先はどうなるのか。総理大臣でも目指すのかと思っていたところ、あれよあれよという間に、とんでもない次元に踏み込んだ。

 漫画雑誌『モーニング』で「課長島耕作」が始まったのは1983年。連載は92年に終わるが、その後も「部長島耕作」「取締役島耕作」「常務島耕作」「専務島耕作」とシリーズは続き、08年以降は「社長島耕作」が連載されている。作者の弘兼憲史氏は会社員経験があり、サラリーマンの悲哀ぶりがリアルに描かれていて、私もファンの一人だった。

 ところが、出世するにつれ島耕作はどんどん政治の世界にのめりこんでいった。弘兼氏が原発PRの最先端に立ったころと重なるような気もする。ここ何週かのテーマは尖閣諸島問題だ。中国の関係者が尖閣に上陸。自衛隊が出動するし、オスプレイが動員されるしと、日本は臨戦態勢に入る――おいおい、いい加減にしろよと言いたくなる。

 たかが漫画と読み飛ばしてしまえばそれまでだ。いくら人気漫画とはいえ、一雑誌の一連載に社会を動かす力はないと一笑に付すこともできる。だが、私はそんな楽観主義者になれない。「たかが漫画」だからこそ無視できないのだ。

 時代の風をいち早くつかんで表現するのがサブカルチャーの醍醐味だ。練りに練られた言説が社会に顔を見せるのはずっと後になる。やむをえない。綿密に分析し言説に昇華させるには相当の時間がかかる。一方、漫画や歌は必ずしもそうではない。作者の感性に負うところが大きいから、極論すれば瞬時に作品になることもありうる。

 社会に流れる空気が漫画や歌になり、その作品がさらに空気を引っ張る。よくあることだ。よくあるだけに、島耕作のノリノリぶりに不安をかきたてられる。一時、小泉首相らしき人物が登場していた。日米首脳会談を終え、支持率も上昇機運で悦に入っている安倍首相は、果たしてどんなキャラクターで描かれるのか。また、同じ『モーニング』で連載の始まったかわぐちかいじ氏の「ZIPANG ジパング 深蒼海流」も気になる。主人公は源頼朝らしいが、「私心を捨て国のために」との価値観が透けて見えるのだ。

 すべては私が安倍政権誕生後の不穏な雲行きに過敏になっているだけ、の杞憂ならいいのだが……。(2013/3/1)

◆自己犠牲の「美談」から見えてくるもの◆

<北村肇の「多角多面」(114)>
 美談はおうおうにして記者の筆を滑らせる。私自身、ウソではないが真実とも言い切れない記事を幾度となく書いたと告白せざるをえない。いわゆる「お涙ちょうだい」の文章はどこかに脚色がつきまとう。でも、不思議と罪悪感はなかった。美談ならば許されるのではないかという、大いなる勘違いがあったのだ。

 埼玉県が公立校(約1250校)の道徳教材に東日本大震災での美談を取り上げた。報道もされているが、南三陸町の危機管理課で防災無線を担当していた遠藤未希さんの話しだ。迫り来る津波を前に「早く、早く、早く高台に逃げてください……」とマイクを握り続けた。庁舎が飲み込まれそうになり30人ほどいた職員は屋上に駆け上がった。だが、助かったのはわずか10人。そこに遠藤さんの姿はなかった――。

「天使の声」と題された教材の最後の文章はこうだ。「出棺の時、雨も降っていないのに、西の空にひとすじの虹が出た。未希さんの声は、『天使の声』として町民の心に深く刻まれている」。後半の部分は筆が滑ったとしか言いようがない。

 昨年8月25日付『東京新聞』によると、犠牲になった同町職員の一部遺族が、「町長が高台に避難させなかったことが原因」として佐藤仁町長を業務上過失致死容疑で告訴している。美談と片付けてすむ話しではないのだ。

 また、「教材作成の意図と取り扱いの留意点」には「~自分の命を犠牲にして他者の命を救うことを肯定するような指導にならないことに配慮しながら」としつつ、次のように書かれている。「遠藤未希さんの行為を通して、任務に対する使命感や責任感、すべての人への愛情とも言える他者への思いやりなど、人間としての誇り、心の強さや気高さに焦点を当てて指導できるようにする」。

 埼玉県といえば、知事は自虐史観批判を持論とする上田清司氏。同知事はジェンダーフリーを攻撃し続ける高橋史郎氏を県教育委員長に任命したことでも知られる。それだけに、上述した教材にはどこかよこしまな意図を感じる。日清戦争で「死んでも突撃ラッパを吹き続けた木口小平兵士」の逸話を思い出すのだ。

 最近、AKBと自己犠牲の関係性を指摘する言説がちらほら出ている。「自分を捨てても他者のために」という美談がビジネスに使われる。その先には「個人の命より国家を優先」という社会が見えてくる。おぞましい。(2013/2/22)

◆永六輔は左翼なのか、はたまた右翼か!?◆

<北村肇の「多角多面」(113)>

 永六輔さんは左翼ですか、右翼ですか――。若い編集者(といっても私よりであって、それなりの大人)から聞かれて、一瞬、とまどった。答えは「どちらでもない」に決まっている。ただ、「左翼」はともかく「右翼」という発想がどこから出てくるのか、考えてしまったのだ。

 尺貫法復権運動とかありましたよね――。なるほど、「3.3平方メートル」を良しとせず「一坪」にこだわれば、それが右翼につながるというわけか。確かに「日本古来」とか「伝統」とかいう言葉は左翼の世界から忌避されていて、どちらかといえば右翼の専売特許とみられている。でも、永さんがこだわるのはそこではない。

 永さんが心底、嫌っているのは権威だ。だから、悪政はもちろんのこと、お上がむりやり押しつけてくる決まりごとに盾を突く。それも紋切り型の「反対」ではない。くせ球の限りを尽くす。それが小気味いいのだ。

 さて、「権威」とはどこからどこまでを指すのだろう。おそらく永さんの中では「偉そうな正論ばかり言う左翼」もその中に入っているはずだ。本誌連載の「無名人語録」でも、ときどき「そこまで言いますか」と思うときがある。でも、すぐに洒脱な皮肉とわかり「さすが」と脱帽する。

 このたび、「無名人語録」の傑作を集めた『無名人のひとりごと』を弊社から刊行した。ゲラを読みながら、いくたびか呵々大笑した。何度読んでも、面白いものは面白い。

「政見放送が面白いからよく見ましたよ。内容が無くて、説得力が無くて、時間の無駄ばかりで――、面白かった」

「九条を守りましょう! 九十九条も守りましょう! 九十九条は、九条を守る上に、天皇陛下を大切にします。今、九十九条を守っているのは、天皇だけです」

 皮肉には毒がつきものだ。もっと言えば、文化には毒が欠かせない。実は自分の利益しか考えないエセ右翼や、善人ぶった自称左翼は毒に弱い。だから永さんの世界にどっぷりはまることはできないだろう。「私はそうではない」と自信のある方、「そうならないようにしているつもり」と、ほんの少し腰の引けている方、ぜひ『無名人のひとりごと』をお買い求めください。元気になること請け合いです。(2013/2/15)

「櫂未知子の金曜俳句」2月末締切の投句募集について

『週刊金曜日』2013年3月22日号掲載の俳句を募集しています。
【兼題】「春の風邪」「海苔」(雑詠は募集しません)
【締切】 2013年2月28日(木)必着
【投句数】1人計10句まで何句でも可
※特選に選ばれた句の作者には櫂未知子さんの著書(共著を含む)をお贈りします
【投句方法】官製はがきか電子メール
(氏名、俳号、電話番号を明記)

【投句先】

郵送は〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-23
アセンド神保町3階  『週刊金曜日』金曜俳句係宛。

電子メールはhenshubu@kinyobi.co.jp
(タイトルに「金曜俳句投句」と明記してください)

【その他】新仮名づかいでも旧仮名づかいでも結構ですが、一句のなかで混在させないでください。
なお、添削して掲載する場合があります。

兼題「春浅し」 金曜俳句への投句一覧(2月22日号掲載=1月末締切)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です。

選句結果と選評は『週刊金曜日』2月22日号に掲載します。

どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

(当季雑詠は募集しておりませんが、ここにまとめて掲載します)

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonなどネット書店でも購入できるようになりました。予約もできます。「週刊金曜日」で検索してください。

(さらに…)

兼題「種物、花種」 金曜俳句への投句一覧(2月22日号掲載=1月末締切)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です。

選句結果と選評は『週刊金曜日』2月22日号に掲載します。

どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

(当季雑詠は募集しておりませんが、ここにまとめて掲載します)

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonなどネット書店でも購入できるようになりました。予約もできます。「週刊金曜日」で検索してください。

(さらに…)

鎌田慧さんを招く『日本の司法を正す会』を15日に開きます

 本誌連載のワークショップ「日本の司法を正す会」を特別に”一般公開”して開きます。席に限りがありますので、必ず電話予約(03-3500-2200)のうえ、お越し下さい。

 ゲストは、ルポライターの鎌田慧さん(74歳)です。

 鎌田慧さんは、近著『残夢――大逆事件を生き抜いた坂本清馬の生涯』(金曜日)で、特捜検察の暴走の原点とそれに追随する裁判官、事件を生き延び再審請求を闘った人々を描きました。

 冤罪事件としてはこのほか、『死刑台からの生還』『狭山事件の真実』『弘前大学教授夫人殺人事件』など数多くの事件を取材、執筆しています。多くの冤罪事件の背景になにがあるのか、その豊富な取材経験から裁判官の心理に迫る報告をしていただきます。

【日時】2月15日(金曜日)午後2時から4時ぐらいまで
【会費】無料
【場所】『日本の司法を正す会』事務所(村上正邦事務所)
    千代田区永田町2-9-8
    パレロワイヤル永田町203号室 電話03-3500-2200
【ゲスト】鎌田慧さん
【インタビュー及び進行】青木理さん(ジャーナリスト)

※『日本の司法を正す会』は、「国策」と評された捜査のターゲットとなった人々などを囲み、司法やメディア関係者が論議を交わすことを通じて司法のあり方を考えるワークショップです。

◆金メダル至上主義の空恐ろしさ◆

<北村肇の「多角多面」(112)>
 体罰は、いかなる理由をこねくり回そうと暴力だ。だめに決まっている。桜宮高校事件をきっかけに出るわ出るわ、全国の運動部で次々と事件が明るみになっている。そんな中で、先週、柔道女子日本代表の園田隆二監督が、選手に行なった暴力の責任をとって辞任した。遅いくらいだ。さらに言えば、園田さんにすべてを押しつけて「ちゃんちゃん」とはいかない。問題はもっともっと根深い。

 講道館で辞任会見をした園田さんはこう漏らした。

「柔道競技では、金メダル至上主義みたいなことがある」

「『(選手と)会話でコミュニケーションを』というのが最初はあったが、時間が経過するにつれ、焦っていった」

 東京五輪での柔道をいまもしっかりと覚えている。順調に日本選手が各階級で金メダルを獲得、最終日を迎えた。事実上の柔道世界一を決める無差別級。まさしく「国民の期待を一身に背負った」神永昭夫さんがオランダのアントン・ヘーシンク選手と対戦。結果は、よもやの敗戦。中学生だった私を含め、おそらく日本中で何千万もの人が、テレビの前で天を仰いだことだろう。

 翌日、学校では「神永バッシング」で盛り上がった。お家芸で外国人に負けるなんて許せないという雰囲気だった。あのときから、オリンピックに出場する柔道選手は、金メダルをとれなければ「国賊」扱いにされるとのプレッシャーに襲われ続けた。

 時代はくだり、幸いなことに柔道はスポーツとして世界化し、金メダルも多くの国に流れるようになった。国威発揚というおぞましい鎖につながれることも、そうそうはないのだろうと思っていた。しかし、現実は違っていた。やはり、講道館の畳には「日の丸ニッポン」の黒いシミがこびりついていたのだ。

 万が一、東京で再びオリンピック開催などとなったら、柔道に限らず、さまざまな競技で「日の丸」が至上命題となるだろう。市民がそれを後押しする危険もある。そのときは「体罰」も必要悪とみなされかねない。東京五輪女子バレーの大松博文監督の「暴力」は美談にすり替えられた。たかがスポーツとあなどってはいけない。国威のために暴力が許されるなら、戦争まではほんの一歩である。(2013/2/8)