◆バリバリの国家主義者になった島耕作◆
2013年2月27日4:26PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(115)>
仕事ができて、上司にゴマはすらず、自分の筋を通し、女性にはモテモテ。現実社会にはおよそ存在しない、だからこそ世のサラリーマンの憧れでもあった「島耕作」。順調に出世してついには社長にまで登り詰めた。この先はどうなるのか。総理大臣でも目指すのかと思っていたところ、あれよあれよという間に、とんでもない次元に踏み込んだ。
漫画雑誌『モーニング』で「課長島耕作」が始まったのは1983年。連載は92年に終わるが、その後も「部長島耕作」「取締役島耕作」「常務島耕作」「専務島耕作」とシリーズは続き、08年以降は「社長島耕作」が連載されている。作者の弘兼憲史氏は会社員経験があり、サラリーマンの悲哀ぶりがリアルに描かれていて、私もファンの一人だった。
ところが、出世するにつれ島耕作はどんどん政治の世界にのめりこんでいった。弘兼氏が原発PRの最先端に立ったころと重なるような気もする。ここ何週かのテーマは尖閣諸島問題だ。中国の関係者が尖閣に上陸。自衛隊が出動するし、オスプレイが動員されるしと、日本は臨戦態勢に入る――おいおい、いい加減にしろよと言いたくなる。
たかが漫画と読み飛ばしてしまえばそれまでだ。いくら人気漫画とはいえ、一雑誌の一連載に社会を動かす力はないと一笑に付すこともできる。だが、私はそんな楽観主義者になれない。「たかが漫画」だからこそ無視できないのだ。
時代の風をいち早くつかんで表現するのがサブカルチャーの醍醐味だ。練りに練られた言説が社会に顔を見せるのはずっと後になる。やむをえない。綿密に分析し言説に昇華させるには相当の時間がかかる。一方、漫画や歌は必ずしもそうではない。作者の感性に負うところが大きいから、極論すれば瞬時に作品になることもありうる。
社会に流れる空気が漫画や歌になり、その作品がさらに空気を引っ張る。よくあることだ。よくあるだけに、島耕作のノリノリぶりに不安をかきたてられる。一時、小泉首相らしき人物が登場していた。日米首脳会談を終え、支持率も上昇機運で悦に入っている安倍首相は、果たしてどんなキャラクターで描かれるのか。また、同じ『モーニング』で連載の始まったかわぐちかいじ氏の「ZIPANG ジパング 深蒼海流」も気になる。主人公は源頼朝らしいが、「私心を捨て国のために」との価値観が透けて見えるのだ。
すべては私が安倍政権誕生後の不穏な雲行きに過敏になっているだけ、の杞憂ならいいのだが……。(2013/3/1)