◆同性婚はもはや世界の常識になりつつある◆
2013年4月24日4:55PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
〈北村肇の「多角多面」(123〉
同性婚を認める流れが欧米で勢いを増している。いつものごとく、人権面ではことごとく立ち後れの日本は、蚊帳の外状態だ。
去る1月、オバマ米大統領は2期目の就任式で、選挙公約の「同性婚容認」を進める姿勢を色濃く打ち出した。報道によれば、演説の中に以下のような一節があったという。
「わたしたちの旅は、ゲイの兄弟たち、レズビアンの姉妹たちがあらゆる人と平等に扱われて初めて完全なものになる。人間が真に平等につくられているのなら、互いに誓い合う愛も平等でなければならない」
恒例になっている就任演説前の詩を朗読したのは、同性愛を公言している、キューバ系米国人の詩人、リチャード・ブランコ氏だった。また3月には、次期大統領選出馬が囁かれるクリントン前国務長官も、初めて同性婚支持を明言した。
欧州ではどうか。フランスでは12日、上院で同性婚解禁法案を挙手による賛成多数で可決した。本誌既報の通り、国民議会(下院)は2月に可決したが、カトリック強硬派、極右らの反発デモが続いていたという。すでに、2001年にオランダが同性婚を認める法律を施行、05年にはスペインも続いた。もはやこの滔々たる流れは止められないだろう。
一方、夫婦別姓ですら導入できない不思議な国、日本では、同性婚が大きな話題になることはない。反対理由にあげられるのが憲法24条だ。
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」
「両性」とあるのだから、「男性と女性の合意」でしか婚姻は成立しないとの判断だ。まるで説得力はない。「両性の合意」とは、あくまでも「婚姻の意思のある二人」ということだ。一方の強制でなされることを禁じているのであって、同性婚を妨げる趣旨ではない。
自民党議員の大半はかねてから、個人の権利より家族の絆が大切という理屈にならない理屈で夫婦別姓に反対している。同党の憲法草案は基本的人権をないがしろにしている。ジェンダーバッシングで悪名高い高橋史朗明星大教授が男女共同参画会議議員に任命された。この国は100年遅れている。(2013/4/26)