きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

下山病~森達也の「シモヤマケース」

いまさら触わるのもなんだが、「砂の器」がナカイクン主演でテレビ放映されている。
原作者は言わずもがな松本清張だ。
松本清張が、昭和史発掘など現代史に光を当てようとしていたことは有名だ。
その後、現代史の発掘はすすんだかというと、先人たちの業績は忘れ去られる一方だろう。

そんな松本清張らの業績について、いつか本誌でもとりあげたいと漠然と考えていた。
だが、せいぜい身近で話を聞いたことがあるのが『日本の黒い霧』、下山(しもやま)事件だ。そこで、清張の企画をやるときには、下山を取材しているという、ある人物に話を聞こうと思っていた。

「下山事件」とは、下山定則国鉄総裁が轢死した事件である。
自殺と警察は発表したが、実は他殺で真犯人がいる国家謀略と誰もが直感し、ルポルタージュが何冊も出ている。陰謀史観の匂いが濃厚に漂う事件である。

そして、下山事件とともに、ぼくの頭の片隅にあったという人物は森達也だった。

1999年秋。オウム新法(団体規制法)という公安調査庁が仕事をするフリをするためのくだらない法律が制定されようと国会は白熱しようとしていた(法律なんて少ないにこしたことがないのに!)。
その当時、団体規制法に疑義を唱えるため、オウム信者を含めいろいろな人物に会った。
その過程で、オウム信者をドキュメンタリーにした映画監督にも会った。それが、森達也であった。このときは、図々しくもまだ『A』を観ていなかった。

それから数回、一緒に仕事をし、酒を飲んだ。しかし結局のところ、お互い格闘技好きだったことで親近感が湧いたのかもしれない。
事実、一緒にプロレスラーのスタン・ハンセンを取材にいったこともある。
赤坂の全日空ホテルで会ったハンセンは引退したら、故郷で教師をやると言っていた。彼にはレフェリーも兼ねていた通訳がいた。彼のビジネスライクな意訳せいか、話は深まらず、いまだ陽の目を浴びていない取材となったが……。

そんな森から数年前、意外な人物の名前を聞いた。
――亡くなった斎藤茂男とは下山事件を取材していたんだ。

森と斎藤のつながりは、きわめて予想外だった。
斎藤は共同通信の元名物記者であり「文字」の人だ。
映画監督である森が「ブンヤ」的な取材をするとは思えなかったのだ。
ぼくも斎藤が亡くなる前年に数回、一緒に取材をしたことがあったが、森とはまったく違う世界の住民に思えた。今思えば、微笑みを絶やさない斎藤は、一皮むけば「下山病」感染者だったわけだ。

そのとき、下山事件について森にまったく尋ねなかったが、のちのち『週刊朝日』とトラブっているという話は聞こえてきた。その時点で森も真相究明に飢える『下山病』に感染していたらしい。

最近になっても下山事件について映画を撮っている、本も書いていると聞いていた。
しかし、日常ではそのようなことはすぐに頭の隅に追いやられてしまう。

ところが先週、新潮社から本が届いた。
厚紙を破ると、『下山事件 シモヤマ・ケース』、森達也と装丁されていた。
松本清張に関心が湧いていたぼくにとって、絶妙なタイミングだった。
2日もかけずに、一気に読んだ。

ここでは森達也著『下山事件 シモヤマ・ケース』について書評をしない。
だが、少しだけ。
またしても、小説以上に小説的なハードボイルドだった。

森は、読者を時には目眩を起こさせるようなスリルを与える。
それは、森を知らないわけではない人間をも巻き込む。
今回、そのスタイルは下山事件のもつスケールと絡み、乗数的な効果をもった。
むきだしの事実が持っている面白さを、あらためて教えられた気がする。

……すこし喋りすぎたようだ。
(平井康嗣)