きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

悪法国会 法律依存症の巻

最近つくづく思う。

ちょっと世の中に法律(ルール)が多すぎやしませんか~、って。

通常国会のたびに100本以上も出されるルールについて、メディアがエネルギーを注いで議論することって、ほとほと疲れるし、こちらも理解することは物理的に不可能。

しかも、多くの人の現在の生活に関してほとんど関係ないようなことばっかりですよ(なんせルールを設定している間に、どんどんタイムラグが生じていくのが法律の定め。有事関連法案のように一部の法律だけ備え有れば憂いなしとか積極的に作られますけど)。

ましてや、今のメディア規制法(個人情報保護は必要だが、今の個人情報保護法案はいらない)や有事関連法案などのように、民間人の自由をビシバシ縛るような悪法はもちろん必要ないと思う。

本来ならそんな議論にも付き合いたくない。

そのうえ、必要だと多くの人が考えている法律だって、できるだけつくらなくていいんじゃないのか、と思ったりします。

しかも、何より問題だと思うのは法律を作って解決しようとする姿勢(「法律至上主義」または「法律依存症」)を持つことは、私たちが自分の頭で考える価値判断を放棄することにじわじわとつながる。

結構、ロビー活動をしているNGOの人たちもいろんな法律を作る行為に埋没しちゃったりする。

(政府の立場から見れば、今や民意を得ていくより国会で法律を作り出して規制するほうが簡単なことだから、法律を作りまくっているという別の依存症だと思う)。

多くの場合、法律に書いてあるから正しいことだとまず予断を持ってしまう。

法的に認められたり、資格を持っていたりするから、「センセイ」とかいって、いろいろな見かけ上のレッテルを貼れるわけだ。でもたとえば、比較的難しい資格試験をパスした公認会計士がまともな監査をせずに、何十兆円という不良債権を作り出すことに加担していたりしたわけだ。

前出の個人情報保護法案の問題の一つも、政府が「報道機関」にレッテル(または鑑札)を貼って、レッテルを貼られた報道機関は適用から除外される。だから、最初、報道に関わる関係者はそのレッテルを欲しがりそうになった。与野党も修正で、おまえらに鑑札つけてやるから安心しなさいという意識であった。

だけど、よく考えたら、おまえらにそんなもん貼らせてたまるか、偉そうに判断されたかねえやと表現の自由を主張する人たちは怒りはじめたわけだ。

そんなこともあって、基本的にルールはできるだけ作らずに問題を解決していければと思う。

そういう姿勢を持たないと、これから官僚がせっせと作るルールの依存症になりがちだ。

「公」を鋭く追及しているライターの齊藤貴男さんは口を酸っぱくして言っている。

人は奴隷になりたがっている、と。

無意識に染みつく法律至上主義や法律依存症に気を付けないと、知らないうちにお上に頼ってしまう統制大好きの「奴隷根性」が染みついてしまう。私はそう思う。

ただし、税金でメシを食べている人、議員や公務員などに関しては、きちんとしたルールで厳しく縛っていくべきだ。彼らのルールはカネを払っている納税者が決める権利があるからだ。 

*スペースの限界につき、怒りの論考はまたの機会に。
(平井康嗣)