原発列島
2001年11月23日9:00AM|カテゴリー:風に吹かれて|伊田浩之
本誌に連載中の「鎌田慧が撃つ『日本原発列島』」が11月、集英社から新書で出版されました。タイトルは『原発列島を行く』(700円+税)で、本誌17回までの連載を納めています。
鎌田さんは、1982年にも『日本の原発地帯』(潮出版社。後に河出文庫をへて、岩波同時代ライブラリーに収録)という題のルポを書いています。学生時代、この本を読んだときの驚きは今でも鮮明です。当時、素粒子原子核理論を学んでいた私は、原発問題といえば、もっぱら「技術的に確立されていない」ことに目が向いていました。一方、鎌田さんは、技術論に一切ふれることなく、「地域とひとびとの生活の歴史」をテーマに原発の矛盾をくっきりと浮き彫りにしたのです。
『週刊金曜日』で鎌田さんに連載をお願いしたのも、前書から20年近くたった原発のいまを再び描いていただきたいと考えたからです。今回の新書のあとがきで鎌田さんはこう書いています。少し長いですが、引用します。
「どうして、原料の採掘、精製、加工から最終処分まで、そのすべての工程が、神ならぬ人間の手には余るものを、いまでもなお生産しつづけているのだろうか。
さらに、原発の問題点を挙げれば、その危険性が忌避されて、立地を引き受ける地域がないために、政府と電力会社ともども、すべての問題をカネで解決しようという風習をつくりだしたことである。バラ撒き政治というなら、これほど露骨で、これほど退廃したやりかたはない。
いわば、俗にいうなら、ストーカーであり援助交際である。あらゆる手段を弄し、カネをそそぎこむ、その事例の検証がこの本のテーマだが、残念ながら、その手口のすべては書きつくされていない。
人心の汚染、それが環境汚染の前にはじまり、自治体の破壊、それが人体の破壊の前にすすめられてきた」
具体的な各地のルポや問題点は本書を是非、読んでいただきたく思います。いかに「原発は民主主義の対極に存在する」かをわかっていただけるでしょう。
なお、本誌での連載はまだ続きます。国内すべての原発立地点を取り上げる予定です。引き続きご期待下さい。
ところで、原発問題の切り口は、先に書いた二つ(▼技術的に確立されていない、▼民主主義の破壊)のほかに、▼経済的に見合わない、▼大規模な環境破壊につながる、▼現場労働者への被曝なしには成りたたない――があると考えています。それぞれの論点において有益な本は多く出ています。経済性の問題を考える上で、『プルトニウム・クライシス――核燃料サイクル計画の虚構と現実』(武藤弘著、日刊工業新聞社、1993年)は有益でした。
さて、11月18日、三重県海山(みやま)町で行なわれた原子力発電所誘致の賛否を問う住民投票が即日開票され、誘致に反対する票が投票者数の7割近くを占めました。三重県南部への原発誘致は困難になる見通しです。やはり住民が真剣に考えれば考えるほど、「原発いらない」の声は強まるようです。
このように、原発推進は、これまで指摘したどの側面から見ても理論的に破綻していますが、日本政府や与党は推進姿勢を崩していません。自公保3党は今開かれている臨時国会で、「エネルギー基本法案」の成立を狙い、同法案を上程しているのです。この法案には、「エネルギー利用の効率化」「循環型社会の形成に資する」などの美辞麗句がちりばめられていますが、狙いはずばり原発の押しつけです。この法案の基本的な問題点につきましては、3月23日号(356号)で報告しましたが、最近の危険な動きについてもお知らせしていきたいと思っています。