自由の森学園にて
2008年10月28日11:22AM|カテゴリー:シジフォスの希望|Kataoka
シジフォスの希望(15)
学校内の図書館は、入り口周辺を塞ぐほどの立ち見の人を含めてほぼ満杯の状態で、70人余りの生徒・保護者・教員らの熱気で埋まっていた。10月26日(日)に開かれた、学校法人・自由の森学園(埼玉県飯能市)の第24回公開教育研究会。「社会と時代の情報を発信する」というテーマでの分科会に呼ばれ、『DAYS JAPAN』編集部の樋口聡(ひぐち・あきら)さんとともに、質疑応答を含めて2時間ほど話をさせていただいた。同日午後には、雨宮処凛・本誌編集委員の講演もあった。
嬉しかったのは分科会の会場となった図書館に中学生や高校生たちが多く足を運び、最後まで真剣な表情で話を聴いてくれたことだ。活発な質問も出た。保護者や教職員のみなさんからの鋭い意見や、今の社会とくに日本の政治状況を覆う、危険な閉塞感についての訴えもあった。『週刊金曜日』の社会的な役割の重さとジャーナリズムへの強い期待について、自戒を込めて感じるのはこういうときだ。
終わった後、私は何人かに声をかけられ、そのうちの一人の男子高校生が〝楽屋〟までついてきた。「相談がある」というのだ。「楽屋」と書いたが、正確には図書館の責任者である大江輝行さんの執務室兼休憩室のような部屋で、とても狭いが、窓の外の晩秋の気配に溶け込んでいるような落ち着ける空間だった。そこで彼、中島大地君は口を開いた。
来年25周年を迎える同校で、中・高校生協同編集としては今年になり初めて発行されたという、生徒による生徒のための学園内情報誌『ヴォイス(声)』。高校1年生の中島君はその編集の中心を務めているそうだ。彼はつぶやくように言葉を紡ぐ。
「ここに書いてくれる生徒はいいんです。問題なのは、ここに書いてくれない人、声を上げない人の声をどうやって誌面に反映するかなんです……」
細かなやりとりは書かない。それぞれの思いを確認しながら、ゆったりとした時間が流れた。中島君の問いかけは、私自身への、いやメディアに関わるすべての人の命題である。途中から、月刊誌『世界』編集長の岡本厚さんが合流した。別の分科会で話をしていたという。高校3年の神座想君も一緒だった。狭い部屋がさらに狭くなったが、それとは逆に心の中の空間は豊かに広がっていくように感じられた。「広がり」は、「つながり」である。
何年か前にどういうわけか右翼の街宣車が来たという同校だが、大江さんが言うには「生徒数は約700人。減少傾向にある」という現状だ。しかしながら、テストによる「人間の序列化」をせず、自由意志と人間らしさそして表現を教育の中心に据える同校の存在は、「愛国教育基本法」の下で管理強化され、児童・生徒・教員ともども殺伐化して閉塞感を強めるこの国の教育環境の中で、ますます輝きを増していくはずだ。私は彼らに「希望」を見いだす。(片岡伸行)