石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞
2002年10月11日9:00AM|カテゴリー:風に吹かれて|伊田浩之
フォトジャーナリスト、広河隆一さんが10月4日、第2回「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」の公共奉仕部門を受賞することになりました。(URLhttp://www.waseda.ac.jp/koho/award/ja.jusyou-j.html)
石橋湛山(1884-1973)は、『東洋経済新報』で経済評論を中心に、ひろく同時代の政治・文化・文芸までも論じ、戦後は総理大臣をつとめました。佐高信編集委員も『良日本主義の政治家―いま、なぜ石橋湛山か』(東洋経済新報社)を書いています。
石橋湛山は「小国主義」が持論で、1921年(大正10年)のワシントン海軍軍縮会議前に発表した社説は特に知られています。長いですが引用します。
《例えば満洲を棄てる、山東を棄てる、その他支那が我が国から受けつつありと考うる一切の圧迫を棄てる、その結果はどうなるか。また例えば朝鮮に、台湾に自由を許す、その結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常な苦境に陥るであろう。なんとなれば彼らは日本にのみ、かくのごとき自由主義を採られては、世界におけるその道徳的位地を保ちえずに至るからである。その時には、支那を始め、世界の小弱国は一斉に我が国に向かって信頼の頭を下ぐるであろう。インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は、日本が台湾・朝鮮に自由を許したごとく、我にもまた自由を許せと騒ぎ立つだろう。これ実に我が国の位地を九地の底より九天の上に昇せ、英米その他をこの反対の位地に置くものではないか。我が国にして、ひとたびこの覚悟をもって会議に臨まば、思うに英米は、まあ少し待ってくれと、我が国に懇願するであろう。ここにすなわち「身を棄ててこそ」の面白味がある。遅しといえども、今にしてこの覚悟をすれば、我が国は救われる。しかも、これこそがその唯一の道である。しかしながらこの唯一の道は、同時に、我が国際的位地をば、従来の守勢から一転して攻勢に出でしむるの道である》【『戦う石橋湛山 昭和史に異彩を放つ屈服なき言論』(半藤一利著、東洋経済新報社発行)を紹介するHPから引用)
こうした小国主義の発想を取ることがいまのイスラエルに求められていると思います。
さて、広河さんの受賞理由は下記の通りです。
《60年代後半以来、パレスチナの地に入り取材活動を続けてきた広河隆一氏は、欧米人の視点でもなくアラブ人の視点でもない日本人としての視点からパレスティナ問題を扱って、本質を鋭くえぐり出すジャーナリスト活動を実現している。まったくの個人として長年にわたり世界各地の紛争地域に、他に先駆けて取材をすすめてきた氏の活動は賞賛に値する。雑誌への発表と並んで、近著「パレスチナ 新版」の完成度は、きわめて高いものがある》
この受賞理由に書かれている雑誌とは、『週刊金曜日』と『SWITCH』だそうです。本誌も一定の役割を果たすことができたことをうれしく思います。
広河隆一さんの写真・記事を掲載した主な『週刊金曜日』は下記の通りです。
「チェルノブイリの青春」431号〔10月11日〕
「ジェニン難民キャンプを廃墟にした男」418号〔7月5日〕
「パレスチナ難民の原点 ナクバ (大破局) の日」414号〔6月7日〕
「イスラエル侵攻 ジェニン虐殺現場をいく」410号〔5月10日〕
「パレスチナの岐路 和平か全面戦争か」405号〔3月29日〕
「パレスチナ 倒れゆく兵士」400号〔2月22日〕
「アフガニスタン 死にゆく人々」394号〔1月11日〕
「アフガン難民キャンプの子どもたち」390号〔01年11月30日〕
「軍事報復の背後で 暴走するイスラエル」386号〔01年11月2日〕
「“難破”するイスラエル シャロン、戦争への道」365号〔01年6月1日〕
「出口なき中東和平 イスラエルの誤算」338号〔2000年11月3日〕