正義と信念が犠牲者を生む
2003年3月7日9:00AM|カテゴリー:風に吹かれて|伊田浩之
「残酷さが彼らの戦う目的ではなかった。だが、正義と信念こそが、この世でもっとも血を好むものであることを、誰もが理解せずにいられなかったであろう。最高指導者が呼号する正義を実現させるため、彼らの信念が飽食するまで、無数の兵士が生きながら焼かれ、腕や脚を失わなくてはならないのだった。国家の統治者が正義や信念を放棄すれば、兵士たちは、傷口からはみでた内臓を見つめながら恐怖と苦痛のうちに死なずにすむのである。だが、自分が戦場から遠い安全な場所にいるかぎり、権力者たちは、正義と信念とは人命よりはるかに貴重だと主張しつづけるにちがいない」
「侵略や虐殺が、狂った専制君主の野心から出たものであれぱ、まだ救いがある。絶望としかいえないのは、民衆が選んだ指導者によって民衆が害される場合である。民衆はときとして彼らを侮蔑する者に熱狂の拍手を送る」
これは米国のイラク攻撃について書かれた文章ではなく、いまから約1560年ほど未来を想定した小説『銀河英雄伝説』(田中芳樹著、徳間ノベルズ全10巻ほか外伝4巻)の一節です。この小説は、民主共和制をとる自由惑星同盟と、専制君主制をとる銀河帝国の戦いを広大な宇宙を舞台に描いており、テーマの一つに「最悪の民主政治」と「最良の専制政治」の対比があります。
もちろん、米国が最悪の民主政治で、イラクが最良の専制政治だという考えは毛頭ありません。しかし、最高指導者がとなえる正義のために一般の人々が犠牲になるのはいつの時代も変わらない真理なのでしょう。そして、権力者たちの多くは安全な場所で好き勝手な正義と信念を唱えるのです。
石原慎太郎・東京都知事が「私が総理だったら北朝鮮と戦争してでも(被害者を)取り戻す」(『米誌ニューズウィーク日本版』2002年6月19日号)と発言していますが、石原氏には戦争をしたときに拉致被害者が真っ先に殺される可能性や、戦争によって犠牲になる日本と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の人々がみえていないのではないでしょうか。
だからこそ、非戦を訴えるキャッチフレーズとして、権力者の卑怯な態度を批判する手法が有効なようです。月刊誌『広告批評』の編集長だった天野祐吉さんが1981年に週刊誌『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)にこんなことを書いています(『広告の本』(ちくま文庫に再録)。
広告の第一線で活躍しているコピーライターの人たちに、「反戦スローガン」を試作してもらった。「『愛国心』がことさらに叫ばれる時代へのカウンター・イメージの見本として、そのいくつかを紹介させてもらいたいと思う」と。
戦争はぜいたくだ。(犬山達四郎)
戦死、お先にどうぞ。(菅三鶴)
戦争は、あなたが人を殺すこと。(上田耕平)
まず、総理から前線へ。(糸井重里)
行かない人がやりたがる。(岩崎俊一)