私小説とプライバシー
2003年3月21日9:00AM|カテゴリー:風に吹かれて|伊田浩之
「伊田さん、日本文学には、作者自身の生活体験を素材として心境や感懐を描く私小説という大きな流れがあるんです」と、その女性は話し出した。誰でも知っているような大手出版社で、週刊誌の編集者をしているという。偶然、飲み会で一緒になったときの話だ。彼女はもともと文芸書の仕事をしたかったが、週刊誌編集部に配属となり、事件取材などで文字通り日本中を東奔西走させられている。
突然に何を言い出すのかと思ったら、彼女はこう続けた。「いいですか。私小説にはプライバシーはないんです」
そうだったのか。私小説を書くつもりで記事を書いていたのか。それなら、事実といくら違った記事を書いても良心が痛むことはないだろう。その週刊誌に十分な裏付けがない記事や、プライバシー侵害の記事が多い理由の一端が見えたような気がして、軽いめまいを覚えた。
しかし、いくらなんでも自分の私生活を暴露する私小説と、報道の名のもとに他人が書く記事を同列に並べるのは無理がある。私小説でも、登場人物のプライバシーは尊重されなければならない。
まして事実と異なる記事を書かれた報道被害者はたまったものではない。過熱報道の典型的な被害者である三浦和義さんは、『週刊文春』による「疑惑の銃弾」報道から今年3月の無罪確定(銃撃事件)までに19年の歳月を要している。
その三浦さんが無罪確定を受けて語った思いを、今週号(3月21日)で掲載した。対談相手は、本誌で「人権とメディア」を好評連載中の山口正紀さん。もちろん、無罪確定後の対談は『週刊金曜日』がはじめて。対談は3時間におよび、掲載ページ数も予定を倍増し、4ページ上下に分けて掲載することになった。
「証拠不十分なだけで、実はやっているのでは」などと考えている方は、この対談で「ロス疑惑」報道による“洗脳”から解き放たれてほしい。捜査と裁判の矛盾を解明した今号に続き、次号では予見に基づいたマスコミ報道を徹底的に批判し、三浦さんのマスコミに対する「次の一手」を明らかにする。