胃袋か心臓か
2007年7月16日5:00PM|カテゴリー:シジフォスの希望|Kataoka
シジフォスの希望(6)
10人のうち8人が「お腹が空いた」という声を上げていれば、2人が「心臓の具合がおかしい」と訴えていたとしても、数の多い方を重点的に取り上げるのがこの国のメディアの流儀らしい。事の軽重が、明らかにすり替えられている。参院選挙の話だ。
自衛隊が軍隊となって海外に出兵し、自衛のためでなくとも武力行使(人殺し)のできる国にするため、一国の首相が「改憲」を争点に掲げている、敗戦後初めての歴史的な選挙である。言うまでもなく、今回選ばれる121人が、3年後の改憲手続き法(国民投票法)施行の際、「憲法9条を変える」と唱えている政権党の発議について意思表示をする可能性があるからだ。その是非はともかく、この国の、平和を機軸とした、まさに心臓の部分が揺らぐ可能性がある。
確かに「消えた年金」は将来の生活保障の問題として重要である。お金を支払ったはずなのに、メニューで約束された食事が出てこない。しかも、あなたが支払った証拠はないと言われる。これは国による大失態であって、これまでこのことを隠蔽していたこと自体、国民への詐欺的な裏切り行為である。しかしそれは、「多様な意見がある」「国論を二分する」という類の問題ではなく、どの政党が政権を担ったとしても問答無用で解決しなければならない問題だ。解決の仕方に多少の差異があったとしても、「支払った分に応じた年金を支給すること」が解決の当面の目的である。そこに各党の立場の違いはない。案の定、選挙カーはすべて「年金問題の解決を約束します」と連呼している。このどこが、争点なのか。
にもかかわらずメディアは例外なく「年金」を前面に出し、ダービーのように勝ち負けの予想にご執心だ。メディアの役割は、10人中8人の関心や怒りの矛先が向かっている方向を、ただなぞることではない。民意の表象を代弁するだけなら、単なるアンケート調査結果の広報機関ではないか。今回の参院選は、この国の進路を大きく左右する真の争点隠しにメディアが加担した、歴史的な選挙ということになるのかも知れない。さらに言えば、そうしたメディアの有り様とは別に、胃袋か心臓か、この国の有権者の時代感覚・問題意識・物事の軽重を判断する力が試されている、ということになろう。(片岡 伸行)
(2007年7月16日)