『美しい国へ』という幻想
2006年8月11日9:00AM|カテゴリー:風に吹かれて|伊田浩之
安倍晋三・官房長官の『美しい国へ』(文春新書)が売れている。『東京新聞』8月3日夕刊によると、東京の大型書店「八重洲ブックセンター本店」「ブックファースト渋谷店」の2店でともに売り上げ1位を記録した。次期首相確定と騒がれている人物の「事実上の政策大綱」と位置づけられ、また手頃な新書であることが購買意欲に火をつけているのだろう。
『AERA』8月14-21日号は、《『美しい国へ』の「本当の著者」》と題した記事を掲載した。ゴーストライターとして名前が挙がった中西輝政・京都大学教授と八木秀次・高崎経済大学教授の2人を直撃取材し、当たり前のことではあるが、あっさりと否定されている。一方、『週刊金曜日』8月11日号の政治時評欄では、大藤理子さんが《これは間違いなく自著である。浅慮で浅薄で皮相で一面的という、プリンスの持ち味が遺憾なく発揮されている。期待を裏切らない仕事ぶり。さすがだ》と分析した。実は、ゴーストライターが書いたのか自著なのかについて、私はあまり関心がない。かりにゴーストライターが書いたとしても、自らの名前で出した本の内容には責任を持たなくてはならないからだ。
『美しい国へ』の語り口は柔らかい。たとえば、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の拉致問題についてこう記す。
《いずれにせよ、この問題の解決にあたっては、「対話と圧力」の両輪で対処するというのが政府の基本方針である。その意味では、経済制裁は最終的な圧力となるが、もとより経済制裁自体が目的ではない。ほんとうの目的は彼らに、政策を変更しなければ、ただでさえ困難な現在の問題を解決することはできない、と認知させることにある》(59~60ページ)。「対話と圧力」という両論併記だが、実際に安倍氏がもっぱら「圧力」に軸足を置いているのは周知の事実だ。
靖国参拝に端を発する68~69ページの記述も興味深い。
《靖国参拝をとらえて「日本は軍国主義の道を歩んでいる」という人がいる。しかし戦後の日本の指導者たち、たとえば小泉首相が、近隣諸国を侵略するような指示をだしたことがあるだろうか。他国を攻撃するための長距離ミサイルをもとうとしただろうか。核武装をしようとしているだろうか。人権を抑圧しただろうか。自由を制限しただろうか。民主主義を破壊しようとしただろうか。答えは、すべてノーだ。今の日本は、どこからみても軍国主義とは無縁の民主国家であろう》
安倍氏は2002年5月13日、早稲田大学で行なった講演で、「大陸間弾道弾(ICBM)は憲法上は問題ない」「原子爆弾だって問題ではない」などと話していたと『サンデー毎日』に報道されている。03年3月、石破茂・防衛庁長官(当時)が国会答弁で「敵基地を攻撃する能力の保有」に言及し、自民党内からも批判の声をあびたとき、当時官房副長官だった安倍氏は記者へのオフレコ懇談でこう理解を示した。
「今の時代になにを専守防衛というのか。ミサイルを何発も打ち込まれる、それを迎撃ミサイルで撃ち落とすことはいいのに、発射する基地を攻撃するのはいけないのか。どんどん打ち込まれても、なにもできないのか」
要するに『美しい国へ』は、ふだんの安倍氏の言動とは異なるか、もしくはかなり砂糖で甘くした主張になっているようだ。共謀罪新設を政府がもくろみ、ビラを配っただけで逮捕される事件が起こっているのに、人権が抑圧もされていなければ自由が制限されていないなどと本気で思っているのだろうか。ただ、安倍氏の言動をしっかりと押さえていない人が『美しい国へ』を読めば、勘違いする可能性は高いと思う。
私は安倍氏の本質は「勘違い」もしくは「平気で嘘をつける」ことにあると考える。『美しい国へ』41ページにはこうある。
《安全保障と社会保障――じつはこれこそが政治家としてのわたしのテーマなのである》
安倍氏が社会保障の充実に取り組んできた実績を残念ながら寡聞にして私は知らない。