ショーン・ホワイトとワタクシ
2010年2月24日1:42PM|カテゴリー:傍若無人子日記|Ue
バンクーバー冬季五輪も佳境に入り、後は、真央ちゃんが金メダルを取れるのか!?という感じなのでしょうか。スポーツ大好きのワタクシとしては、いつも五輪期間中はテレビの前に釘付けなのですが、今回は仕事があるので泣く泣く会社に来ております。
そんなワタクシですが、ハーフパイプ男子だけは会社そっちのけで生中継を観ておりました。(午後からちゃんと出勤しましたよ。汗)。腰パン王子こと国母くんがあらぬバッシングを受け、話題となっておりましたが、ワタクシのお目当てはアメリカ代表のショーン・ホワイトくん。
ダブルマック何タラとかいうハンバーガーのようなネーミングのトリックを決めて、ほぼ満点で優勝をかっさらっていきましたが、いや~やはり格が違った。なぜ、やはり、かと言うと……。
実はワタクシ、10年ほど前に彼のエアを生で観ておるのです。えへへ(自慢)。当時15歳だった彼は、アメリカのスケボー小僧そのもの。まだ一般的には無名でしたが、スノーボードの世界ではすでにその頭角を現し、日本で開催されたX-TRAIL-JAMという室内競技イベントに参加。
ワタクシは、ニュージーランド留学時代に好きだったホストファミリーのお兄ちゃんのスケボー姿に触発されて、ボード系競技(主に、スケボーとスノボー)にハマっておりましたので、これは!と思いイソイソと東京ドームまで観に行ったのでした。
そこでは、ショーンくんではなく、スノーボード界でレジェンドと呼ばれているテリエ・ハーコンセン(ノルウェー出身)が優勝。ショーン君は2位でした。でも、若干15歳で並み居るスノーボードの強豪を抑えての2位。やっぱり凄いですね。当時、ワタクシはテリエを応援しておりましたが……。
テリエは今もう30代後半にさしかかっていますが、ハーフパイプが冬季五輪に正式採用となった1998年長野五輪からオリンピックの出場を辞退しています。実力的には当時のぴかいちだったので、おそらくは金メダルを取ったことでしょう。辞退の理由は、国と国とが争う構図のオリンピックはスノーボードの「自由な精神」に反するからだったそうです。
それを聞いてつくづく、国母くんの腰パンぐらいでガタガタ言う日本は遅れてるな~と思うのでした。腰パンぐらいはみんなやっとるわい。(スノボーのウエアは腰ではくのが基本)
またスノボ始めよっかな~。