2011年、私たちはどこにいて、どこに向かおうとしているのか
2011年1月13日11:32AM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(13)>
いま私たちはどんな世界にいて、どこへ向かおうとしているのだろう。年が明けると、嫌も応もなく、そんなことを考えてしまう。
サラエボ生まれの映画監督、ヤスミラ・ジュバニッチさんの新作『サラエボ、希望の街角』が間もなくロードショーにかかる。宗教の違いに翻弄される恋人を描いた秀作だ。作品についてインタビューに答えた彼女の言葉に、強い印象を受けた。
「(ボスニア紛争後)イスラム原理主義に転向していった理由はそれぞれ異なります。崩壊していく世界での感覚と確実性の探究、容認の要求、アイデンティティの探求、精神安定の探求など……」
1992年に始まり95年にとりあえず収束したボスニア紛争は、旧ユーゴスラヴィアの人々に癒しがたい傷を負わせた。そのトラウマから脱することのできない人たちが、「自分」を見失ったり、イスラム原理主義に走るのは避けがたいことなのだろう。
だが、ジュバニッチ監督の言葉が現代日本の若者にも通じていることは、どう捉えたらいいのか。曲がりなりにも日本は、1945年以降、戦火にまみえてはいない。「平和ぼけ」という言葉さえ生まれるほどである。なのに、「崩壊していく世界での感覚と確実性の探究、容認の要求、アイデンティティの探求、精神安定の探求」はそのまま、この国の多くの若者にあてはまる。
いま私たちのいる世界は、実は「静かな戦争」下にあるのではないか。そこでは銃弾が飛び交うわけでも、「民族浄化」が行なわれているわけでもない。しかし、人々は何かに脅え、不安の日々を送っている。すべてが不安定で、目指すべきこともわからず、自らの存在感は希薄になる一方。まさしく「平和」とは真逆の社会である。しかも、「敵」の姿が見えない。このことがさらに恐怖感をあおる。
では、この先、私たちはどこに向かうのか。結局、それは私たちの意志にかかっている。「真の平和」を実現するという意志さえあれば、安定、安心、安全の世界を創造することは不可能ではない。そのためにはまず、自らの内面も含め、「静かな戦争」の実態を明らかにしなくてはならない。年明け早々、こうした難問を解く一つのきっかけがあった。「タイガーマスクのプレゼント」だ。人は人のことを考え、人のために生きてこそ安定を得られる。そう確信しつつ、改めて利己心と向き合った新春。(2011/1/14)