[この国のゆくえ2…「小泉・竹中政権」の亡霊が菅政権にとりつく]
2011年3月10日2:31PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(21)>
早春は嗅覚の季節。どこからともなく届く沈丁花の香りが鼻腔をくすぐり、白梅を見かけると、つい顔を近付けたくなる。だが、この人にはそんな余裕はない。菅直人首相の視線は、前原誠司外相がさっさと「泥舟」から逃走したことで、一層、さまよいの度を増している。本人には「しがみつく」という意識はないのだろう。「コロコロ首相を変えて日本はどうなるのか。とにかく任期中はやらせてくれ」がホンネのようだ。その意味で、菅氏は私利私欲の人間ではない。だが、そこまでの器であり、理解力が乏しすぎる。
そもそもわかっていないのは「政権交代を成し遂げたのは民主党ではなく、自民党に『ノー』を突きつけた有権者である」という事実だ。多くの市民は「自民党がしてこなかった」あるいは「できなかった」政策の進展を期待した。これを受け、鳩山由紀夫政権は、曲がりなりにも「コンクリートから人へ(とらえようによっては反新自由主義)」や「日米関係の対等性」など、自民党時代とは大きく異なる方針を出した。しかし、皮肉なことに、「政治とカネ」という、いかにも自民党的なスキャンダルで鳩山氏は失脚、同様に小沢一郎氏も代表を降りた。ここで菅氏は「カネの問題で毅然とすれば政権は安定軌道に乗る」と考え、反小沢路線を貫いた。救いようのない勘違い――。
とりあえず支持率が回復したのは、「自民党よりはまし」という消極的支持者が瞬間的に戻ったからにすぎない。ところが、それに気づかない首相は、消費税率アップ、武器輸出三原則の見直し、法人税率5%下げ、TPP推進と、矢継ぎ早に「とんでも政策」を打ち出した。これまた皮肉にも、「自民党がしてこなかった」あるいは「できなかった」ことばかり。ただし、自民党が避けてきた理由は、野党や世論の反発に対する危惧だ。「プチ自民党」と揶揄される民主党は、ある部分では自民党以上の自民党に変質したのである。
これでは、「自民党政権に戻るよりはいい」と考えていた有権者が、「民主党政権のほうが悪いかもしれない」と腰を引き始めるのは当然だ。「とにかくしばらくやらせてみよう」と長い目で見ていた支持者の離反である。このことに対する菅氏の感度が鈍すぎる。
自民党政権をぶっ壊した有権者が目指したのは茫漠とした閉塞感の破壊であり、その内奥にあるのは、「住む場所も仕事も食べる物もなくなったとき国は頼りにならない」ということだった。言い換えれば、米国や財界の思惑を重視し市民を踏みつけにした「自己責任論」への不満である。だから、民主党政権になりかえって強化された「小泉路線」への強い怒りがたまってきたのだ。「小泉・竹中政権」が亡霊となって菅政権にとりつく、しかもそれを国会もマスコミも取り上げない――この国の現実である。(2011/3/10)