「東北大震災から1年」に思う(下)
2012年3月14日5:47PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(69)>
遺体を、初めてまじまじと見たのは新聞記者になってからだった。背中は黒こげで前面が肌色の焼死体に驚いていたら、消防署員が「うつぶせになって倒れてから火に襲われたのでしょう」と、だれにともなく呟いた。就寝中、父親に金槌で殴られて死んだ高校生の顔は歪んだままで硬直していた。しばらく夢にまで見たが、1年も警察担当をしているうちには、遺体をみることに慣れてしまった。
新人記者時代は、反射的に遺体の写真をカメラに収めた。だが、それらが紙面に載ることは、ついぞなかった。「死体写真を掲載しない」は、新聞社、テレビ局における「暗黙のルール」になっている。そのことに強い違和感をもった。「事実を伝える」ことがジャーナリストの基本であり、報道を抑制する自己規制はあってはならないと考えたからだ。
『サンデー毎日』編集長時代の2001年6月、大阪の小学校で、乱入した男性に8人の児童が刺殺される事件が起きた。倒れている児童を撮った航空写真を『毎日新聞』は使わなかった。ごく小さくしか写っていないにもかかわらず。『サンデー』では、編集部で議論のうえグラビアに使用した。『週刊金曜日』の場合は、新聞と異なりいち早く現場に駆けつけることがなく遺体撮影の機会はほとんどない。ただ、掲載をタブーにすることはない。
死体画像・映像を報じない理由は、「残酷」「死者を冒涜」「遺族の感情」などだ。しかし、3番目の理由で言えば、そもそも遺族の方に了解をとる行為すらしていない。むしろマスコミは、「死の隠蔽」という、滔々たる社会の流れに乗ってしまっているのではないか。死はなるべく遠ざける、出来る限り見ないようにする――。
東日本大震災で亡くなった方々の遺体が新聞、テレビで報道されたことはない。話題の映画「311」も、遺体の撮影をめぐる森達也氏らと地元の方たちとのやりとりばかりがクローズアップされた。私もその場にいたら、説得したうえで納得してもらえなければ掲載はしない。ただ、原則はあくまでも「ありのままを報じる」である。
「3.11」は「死が日常である」ことを浮き彫りにしたが、そもそも、「死こそが日常」であり、「生」は初めからその中に「死」を包含している。だから、死を<ないものにする>ことはすなわち、生きることの意味を考えないことでもある。そこから導き出される真実は、「死者を悼むとはつまり、生きる者が「『死』を直視しながら『生』をまっとうする」ということだ。東北大震災は、残された者に「生」の意味を突き詰めろと迫った。私たちは重い責務を背負ったのである。(2012/3/16)