霞ヶ関官僚にとって、民主党政権は使い勝手のいい暫定政権でしかない
2012年4月11日5:22PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(73)>
民主党政権誕生から今日まで、評価の変遷は――。
「期待しましょう」→「まだ与党になったばかりだから、力を発揮するのはこれからでしょう」→「いろいろ問題もあるけど、少し長い目でみましょう」→「不満はいっぱい。でも自民党よりはましでしょう」→「これでは、自民党よりたちが悪いかもしれません」
いまさらマニフェスト違反をあげつらっても仕方ない。きりがないからだ。むしろ深刻なのは、政権与党としての基本姿勢が民主党にまったく感じられないことだ。
小川敏夫法務大臣による「死刑執行」もその象徴だ。世論調査の結果などから「民意を尊重した」という。では、政府に問いたい。なぜ脱原発に踏み切らないのですか。大飯原発再稼働に前のめりになるのですか。さまざまな世論調査をみれば、市民の意思は「再稼働反対」ですよ――。都合のいいときに「国民の意向」を隠れ蓑にするのは、基本姿勢が揺らいでいる証拠である。
言い換えれば、民主党政権の特徴は「行き当たりばったり」である。政権奪取が目的の寄せ集め集団だから、政治信条がばらばらなのは想定内だ。しかし、半年、1年経てば、それなりの方向性をもってまとまらなければ政党ではない。もちろん、個々の政策に関する考え方が割れるのは当然。しかし、根本のところで一致していれば、熟議を尽くすことによっておのずと結論が出るはずだ。
鳩山由紀夫元首相は、3点について自民党との違いを宣言した。「新自由主義から社会民主主義的政策への転換」「官僚支配の打破」「米国偏重外交からの脱却」。多くの市民が、この3本柱こそが民主党の基本姿勢と受け止めた。だからこその「期待しましょう」だった。それがどうか。いまや、こうして文字にするのも虚しい。すべては春の雪ほどの重みもなかった。
どうしてこんなことになったのか。背後に霞ヶ関官僚の思惑を感じざるをえない。彼らにとっての民主党政権は暫定政権でしかない。「反官僚」を前面に掲げた政権は葬り去るしかないからだ。だが、単につぶしただけでは芸がない。そこで「自民党時代にできなかったことをやらせた上で退場させる」という戦略を立てたのではないか。その筆頭が消費税増税であったのは言うまでもない。そんな思惑を知ってか知らずか、東日本大震災以降、野田政権は「暫定基準」を連発している。増税以外は、暫定政権による暫定基準ばかり。まったくもってのお笑い種だ。(2012/4/13)