◆金メダル至上主義の空恐ろしさ◆
2013年2月6日2:41PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(112)>
体罰は、いかなる理由をこねくり回そうと暴力だ。だめに決まっている。桜宮高校事件をきっかけに出るわ出るわ、全国の運動部で次々と事件が明るみになっている。そんな中で、先週、柔道女子日本代表の園田隆二監督が、選手に行なった暴力の責任をとって辞任した。遅いくらいだ。さらに言えば、園田さんにすべてを押しつけて「ちゃんちゃん」とはいかない。問題はもっともっと根深い。
講道館で辞任会見をした園田さんはこう漏らした。
「柔道競技では、金メダル至上主義みたいなことがある」
「『(選手と)会話でコミュニケーションを』というのが最初はあったが、時間が経過するにつれ、焦っていった」
東京五輪での柔道をいまもしっかりと覚えている。順調に日本選手が各階級で金メダルを獲得、最終日を迎えた。事実上の柔道世界一を決める無差別級。まさしく「国民の期待を一身に背負った」神永昭夫さんがオランダのアントン・ヘーシンク選手と対戦。結果は、よもやの敗戦。中学生だった私を含め、おそらく日本中で何千万もの人が、テレビの前で天を仰いだことだろう。
翌日、学校では「神永バッシング」で盛り上がった。お家芸で外国人に負けるなんて許せないという雰囲気だった。あのときから、オリンピックに出場する柔道選手は、金メダルをとれなければ「国賊」扱いにされるとのプレッシャーに襲われ続けた。
時代はくだり、幸いなことに柔道はスポーツとして世界化し、金メダルも多くの国に流れるようになった。国威発揚というおぞましい鎖につながれることも、そうそうはないのだろうと思っていた。しかし、現実は違っていた。やはり、講道館の畳には「日の丸ニッポン」の黒いシミがこびりついていたのだ。
万が一、東京で再びオリンピック開催などとなったら、柔道に限らず、さまざまな競技で「日の丸」が至上命題となるだろう。市民がそれを後押しする危険もある。そのときは「体罰」も必要悪とみなされかねない。東京五輪女子バレーの大松博文監督の「暴力」は美談にすり替えられた。たかがスポーツとあなどってはいけない。国威のために暴力が許されるなら、戦争まではほんの一歩である。(2013/2/8)