◆橋下大阪市長への提案◆
2013年5月22日3:54PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
〈北村肇の「多角多面」(126〉
「悲しみ」と「哀しみ」は違うのだなと思う。「悲しみ」の体験を心に深く刻み込みつつ、その感情をふっきるために他者の「悲しみ」を無視、あるいは軽視する。ときたま、そういう人に出会う。彼/彼女に対して私が抱く思いは「哀しみ」だ。
橋下徹大阪市長が時折見せる屈折した表情が、以前から気になっていた。特に批判されたときの激しい反応は、自分でも止めようのないことへの苛立ちがあるように見えた。常に勝者でなければいけないとの強迫観念の背後で、他者にはうかがいしれない「悲しみ」を抱えているのかもしれないと、漠然と考えていた。
「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で、命をかけて走っていくときに、どこかで休息させてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのは誰だってわかる」
問題になった一連の発言は、政治家としてはもちろん一人の人間として到底、許されるものではない。橋下氏は「誰だってわかる」と言い切る。彼の嫌いなタテマエを取り去れば、「誰だって慰安婦制度が必要と考えている」と思い込んでいるのだろう。
その後、とりあえず「反省の弁」らしきことは言っているが、持論を取り下げたわけではない。むしろ、本音は変わらないよと強調しているようにしか映らない。
もしそうなら、女性に対する侮辱はもちろん、男性をもバカにしている。私は性をカネで買う男を信用しないし、友人にはしたくない。人格的に問題があると考えるからだ。そして、そのことに同意してくれる男性はいくらでもいる。まして、「戦時性奴隷」の容認など論外だ。あたかも「必要悪」であったかのような発言には反吐が出る。
歴史認識の歪みを含め、橋下氏には政治家としての資格も資質もない。即刻、退場すべきだ。その上で、自らの「悲しみ」に正面から目を向けてほしい。
子どものころ、私はエリートになるんだと自分に言い聞かせていた。社会からあらゆる差別をなくすためには「力」が必要なんだと、まだ何もものごとを知らないくせに、幼い頭で考えていた。自らの弱い心、弱い精神を唾棄し続けた。そんな自分をいま、「哀しみ」の目で見つめる自分がいる。
橋下さん、市長は辞め、人権弁護士への道を歩んだらどうですか。(2013/5/24)