「リトルバーズ」と「バス174」の暴力
2005年4月22日9:00AM|カテゴリー:マカロニほうれん総研|Hirai
試写会場の現場には、なかなか日時が合わないので足を運べない。
だが、映画館で全国ロードショーにはならなさそうな映画、特にドキュメンタリーについては、できるだけ観に行きたいと常々思っている。
最近は、二本のドキュメンタリーを観た。
「リトルバーズ」と「バス174」である。
「リトルバーズ」は、アジアプレスというフリージャーナリスト集団にも参加しているビデオジャーナリストの綿井健陽さんが撮り貯めた膨大な画像を、プロデューサーの安岡卓治さんが編集したドキュメンタリー映画である。
安岡さんは、森達也さん(注)の「A」「A2」などでもプロデューサーを務めた人物。
本誌でも、本のコラムを連載してもらったこともあり、取り上げる本のマニアックさ、業界の裏話も豊富で抜群に面白かった。
そんな安岡さんが、取り憑かれたように(たぶん)編集したとあっては、行かざるを得ない。いや行かなければならない。ようやく時間がとれて、試写場を覗きに行くと安岡さんにばったり。「やっときたなー」と言われてしまった。
映画は、これ一本観れば今後の国際ニュースの見方が変わる作品である。私も、綿井さんの写真は本誌で何度も見てはいたが、本人の息づかいの感じる長時間の映像を見てしまうと、やはり雲泥の差を感じる。
米軍がばらまき子どもたちを餌食にしたクラスター爆弾も、はじめてまざまざと見た。
いくつかのハコで上映されるという。(リトルバーズhttp://www.littlebirds.net/)
(注)今では映画監督より作家といったほうが相応しい森達也さんは近著にも『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社)、『こころをさなき世界のために』(洋泉社)など連発。社会問題をテーマにした深刻な内容なのに、なぜかついつい読み進んでしまうのは相変わらずさすが。森さんは若手編集者に驚くほどファンが多いのである。なんでだろう? 安岡卓治さんにも早くまとまった本を書いていただきたい。
バス174
4月頭には、六本木のアトミックエースで流されていた、ブラジルのドキュメンタリー「バス174」を覗きに行った。
タイトルからはこの映画、何がなんだかわからない。だが、ついつい惹かれてしまった文句が試写状にあった。――「シティ・オブ・ゴッド」を凌ぐ衝撃。
「シティ・オブ・ゴッド」は、わが人生のベスト10に入る作品といっていいだろう。日本でいえば、「岸和田少年愚連隊」をもっと激しく現実感あふれるものにしたものと言っていいだろうか。
1960年代のブラジル、ストリートチルドレンたちの明るく乾いた暴力が繰り返され、めちゃめちゃ突き抜けている。
日本の不良映画のようによがっておらず、突き放した厳しさを描き出していた。
南米を取材対象とするジャーナリストに聞くと「ラテンアメリカだと、すぐ殺されちゃうからね」との答え。南米って、こええ。
さて、「バス174」といえば、ストリートチルドレンがバスジャックした2000年の事件を作品化している。
日本でも、2000年に佐賀のバスジャック事件があったが、日本ではこれを素材にしたドキュメンタリーを作るのは難しいのだろうな。ブラジルの現場への取材者の踏み込み方は恐れ入る。
こういう事件ものは、「新潮」のように欲望とかカネとか、偏向したドロドロした形でしか表現されないのが常だ。やるだけ偉いが、功罪併せ持つ。
「バス174」は表面的には警察の暴力が見えるが、やはり経済格差や差別などの暴力を監督は描きたかったのだろう。6月4日から、ライズエックスで上映されるという。
表現される暴力
物理的な暴力の描き方でいえば、日本では映画より、漫画が圧倒的に勝っているだろう。
映画は作るのに時間がかかり過ぎ、時代に追いついていっていない。
しいていえば、ビートたけしの描く暴力シーンは、コミカルなのに残酷なものがあり、味があると思える場合がある。暴力映画といえば、三池崇史さんが最近の日本映画界ではトップランナーだろう。三池の映画は、作品の登場人物相互の暴力シーンの連発である。だが、何よりも映画というメディアに対する三池監督自身の暴力こそをぼくはもっとも感じる。
最近、いじめられっ子のストリートファイトをテーマにした下北沢系漫画「ホーリーランド」(森恒二)が、渋谷系ストリート漫画「deep love」(原作:天樹征丸 / 漫画:こしばてつや)の後釜として、ドラマ化されている。
いちいち、「柔道家とコンクリート上で闘うことは」などと、ウンチクを入れることは少々野暮な気がする。わかりやすいけど。こちらは実際のパンチ力も弱く、人も死なず、読者として痛みは全治2日くらい。
ほかにもいくらでも暴力漫画はあるぞ。「ドラゴンボール」(鳥山明)を始め(笑)、ほとんどの漫画が暴力で成り立っているのだなあ、つくづく思う。
だが、暴力は暴力シーンが豊富で、リアルだから痛いとうわけではない。
所詮、視聴者や読者は暴力を体感できるわけではない。実感できるのは暴力が心に響いた時である。
となれば、暴力は文脈の中でこそ痛む。
映画も続編が上映される女流剣士ものの「あずみ」(小山ゆう)。これは当初、読み進めていると胃が痛む。暴力シーンはリアルではないが、親しくなった人間をこれでもかとあっけなく殺していくのである。30巻を過ぎて、主人公あずみは殺人マシーンとなっている。
漫画の原作に照らせば、上戸彩よりも、若かりし頃の宮沢りえ(残念!)が主人公に適任だった素人演出家は考えるが、いかに。
そんな宮沢りえが主演し、ちくりと痛いが、人に優しくなれる劇映画としては『父と暮らせば』(黒木和雄監督)。
神保町の岩波ホールで観た。映画とハコが相応しく合っている。
父親役の原田芳男と「おとったん」(広島弁?)と可愛く話す宮沢りえの対話が中心の舞台風の劇映画。宮沢はバタくさい顔にもかかわらず、すっかり時代劇がはまってきているから不思議である。万国共通の美人顔なのか。はたまた、芸の世界で生き抜くとの覚悟が彼女を光らせているのか
この映画は井上ひさしさんの原作。自分は原作を読んでいなかったが、「うわあ、ウマイ」と唸ってしまった。ノンフィクション(物語)であることに意味がある映画であり、小説である。
しいていえば、こちらは原爆という暴力を描いた作品か。
総会屋本
●私信
本業の合間に『西武を潰した総会屋 芳賀龍臥』(WAVE出版)という「総会屋」についての本を書きました。徹夜し、下痢をし書いたが、締め切りとの関係で取材十分の分厚いものを書けなかったのは少々残念である(言い訳)。
「二番煎じ」を狙った西武本とネットで批評もされていたが、なんだとお、ふざけるな!
こっちはなあ、三番煎じだ! ちゃんと数えろ。立石さんに失礼だろ。
そのほか、我が輩のことを総会屋の代弁者的にいうな批評もあったな。
警察の代弁をしてしまう突然変異型の「正義の味方」の書き手も世の中には多いから、バランスをとって丁度いい。
それに、そもそも代弁してないぞ。度のずれたメガネでもかけてんのか。
本で言いたかったことはいろいろありますが、一つは突然バッシングし放題になった堤義明が放逐される裏では、いったい誰が得をしているかということである。
後者についてはジャーナリストの立花隆氏も本著について言及している。
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050408_yami/index4.html
やはりキモは「大物総会屋」といわれた芳賀龍臥の晩年である。
ぼくも西武鉄道の話なんか飽き飽きしている。だが、世界一の金持ちであるワンマン経営者が没落する様が世間にはよほど面白いらしい。西武の堤氏は自業自得とはいえ、半ば同情してしまう。不動産王ならばドナルド・トランプを見ている方がよっぽど面白い。堤氏の初公判は6月中旬に決まった。
マスメディアも証券取引法違反よりも、コクドの環境破壊をもっと騒げと言いたい。どっちが深刻な問題か。でもメディアは長野オリンピックなどでは共犯だから無理か。
それに田園調布に住む某右翼と西武鉄道との関係もまったく不問になった。癒着を生む企業の構造にもっと切り込むのが、大メディアの仕事であり、常に宿題となっているテーマではないか。
まあ、具体的には本書をご覧ください。1000円分の価値はあるでしょうし。「週刊金曜日」2冊分だし。いけねっ。
最近、発行元であるWAVE出版は、ひとこと物申したい現役総会屋の方や、芳賀龍臥に縁のある方などいまだかつてない筋から続々と“激励”のお電話をいただいているそうだ。編集者のM井さんは、マゾ的に歓喜の声を上げている模様(笑)。
(平井康嗣)