「日本維新の会」と大手紙の報道
2012年9月20日1:06PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(94)>
「大阪維新の会」が「日本維新の会」へと変貌し国政に打って出る。満面笑みの橋下徹氏の映像を見るたびに、この国の行く末にざらついた不安を感じる。基本政策である「維新八策」はスローガンの羅列で、具体性も一貫性も見られない。ただ一点、「弱肉強食」の社会にしたいとのメッセージだけがあからさまになっている。もし同党が永田町の中心勢力になれば、貧困・格差問題はますます深刻になるだろう。
多くの人が指摘するように、橋下氏の主張は「小泉純一郎、竹中平蔵路線」をなぞったものだ。そこに一層のタカ派的スパイスをふりかけた。「富国強兵」、「欲しがりません、勝つまでは」、「期待される人間像」……時代錯誤の言葉がしきりと頭に浮かぶ。「自己責任」とか「努力」とか言うが、現代社会において、必ずしも自己の努力により報われるわけではない。そもそも社会に不平等が横溢している中では、努力なしに生活できる者もいれば、逆の場合もあるのだ。「期待されない人間」は排除するという恫喝は許せない。
自己責任を成り立たせるには、最低限、社会保障の充実や富裕層優遇の税制改定などが欠かせない。条件の違う中で競争しろと命じるのは理不尽である。そんなことがまかり通るなら、結局のところ、出自も健康状態も良く能力の高い者だけに生きる資格があるという、とんでもない社会が生まれる。
本来、マスメディアはこうした本質的な問題をとらえ、報じるべきだ。ところが、だれが橋下氏と手を結ぶのか、「維新の会」は来たる総選挙で何議席を獲得するのかという話題ばかりで、そのことが結果として橋下ブームを生んだのは否めない。
ただ、「日本維新の会」船出のときの新聞報道は興味深かった。最も辛辣だったのは『読売新聞』だ。社説で「侮れない政治勢力なりつつあるが、政策も運営体制も急ごしらえの感は否めない」と書き、さらに編集委員の署名記事で「小泉旋風や政権交代ムードで議席が激変した2005年、09年の衆院選後の混乱から学んだことは、気分や空気で政権選択を行う危うさだ」と指摘した。渡邊恒雄氏はかねがね橋下氏に警戒感を抱く発言をしており、その延長線ではある。一方、『朝日新聞』、『毎日新聞』はいかにもそっけない扱いだった。少なくとも、「橋下氏ヨイショ」の印象を避けたとみられる。
それぞれ思惑があるのだろうが、三大紙がこぞって橋下新党から距離をおく記事を書いた意味は小さくない。もしその姿勢が続くなら、選挙が先に延びるほど新党の勢いに陰りの出ることが予想されるからだ。(2012/9/21)