◆エセ強者に負けるわけにはいかない◆
2013年1月9日4:44PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(108)>
暗澹、混迷、絶望……新年になると決まって後ろ向きの言葉が頭をよぎる。そして、自分を激励する。あきらめるな、前を向け、進め! いつからこんなことになったのか。それすら、もう忘れた。
でも、今年はかなり違う。細胞のひとつひとつにやる気の炎が宿っている。何しろ、例を見ないタカ派政権とそれをささえるいくつかの政党が国会を牛耳っているのだ。放っておいたらこの国は「茶色の朝」を迎えることになる。ここで声をあげずにいつあげるのか。
正念場の戦いで勝利するためには、まず「敵」を知らなくてはならない。とともに、「敵」に一票を入れた有権者の心の中をのぞかなくてはならない。カギになる言葉は「衰弱」だ。
安倍晋三、石原慎太郎、橋下徹の三氏に共通するのは「強さ」と言われる。小泉純一郎氏もそうだった。猪瀬直樹氏も同類か。もちろん、彼らの「強さ」は見せかけだ。そして実は、ニセモノだからこそ多くの市民にうけたのである。
年代、性別を問わず現代人の多くは衰弱している。心が疲れたときは、イライラするし誰かにあたりたくなる。精神的疲労に追い込まれるとつい怒鳴ったり叫んだりしてしまう経験はだれもがもっているだろう。しかし、とことん衰弱するとその気力さえも失われる。そんなときにエセ強者の言葉が内面に届いてしまうのだ。
石原氏らの特徴は「自分で考えろ」と言わないことだ。「気に入らないヤツをオレがやっつけてやる。黙ってついて来い」と叫ぶだけだ。弱り切った人にはそれが心地よく響く。真の強者、つまりやさしさと人権感覚を持ち合わせた人間は、一方的に「引き上げてあげる」とは言わない。自分で考え、自分の足で立ち上がれるように支え、見守り、言葉を掛ける。残念なことに、そうした姿勢は「偉そうなエリート」と見られがちだ。まともな言葉はときとして、うざったい対象になる。これは私自身の反省でもある。正論を述べるばかりで、本当に弱った人への寄り添いがかけていたのではないかと。
ではどうしたらいいのだろう。一つ提案したい。気力がある人は、身の回りの衰弱した人々の手を握ろう。肩を抱こう。そして、その温かみで凍えきった心がぬくみ始めたら、「一緒に歩きませんか。あの明かりを目指して」と囁こう。血の通わないまがまがしい言葉に勝つには、人間らしいおだやかな鼓動と体温が一番だ。まどろっこしいかもしれない。でも、ささやかな実践こそ大きな力を生む。(2013/1/11)