この国のゆくえ34……「キセノン検出問題」は過小評価で雲散霧消
2011年11月9日6:07PM|カテゴリー:多角多面(発行人コラム)|北村 肇
<北村肇の「多角多面」(53)>
大したことはありませんよという感じで、東京電力は2日、「福島原発1号機で放射性キセノン(133と135)を検出」と発表した。その際、「キセノンは自然に核分裂が進む際にも発生する」と注釈をつけ、翌3日には、「核分裂が連続する臨界が原因ではなく、自発核分裂だった」との見解を示した。相も変わらず「直ちに影響はない」の過小評価路線だ。
ここまでくると、腹が立つというよりアホらしくなってくる。2日の発表では「8月にもキセノン(131)が検出されていた」という事実も明らかにされた。それなら当然、その時点で「詳しい調査」を実施していなくてはならない。なぜ2ヵ月後に改めて「自発核分裂」との結論が出るのか。報道によれば、8月の場合は「原発事故当時のものと考えていた」というが、とても信用できない。キセノン検出が「深刻な事態」なら、年内達成とされる工程表の「冷温停止状態」が危うくなってくる。つまり、東電は見せかけの「事故収束」のために、極めて重要な事実を隠していたとの疑念が消えないのだ。
核燃料がどのような状態になっているかはだれにもわからない。ただ、すでに溶融し、圧力容器の底を抜き、格納容器の底に貯まっているのはほぼ確実とみられる。現状では、それをせっせと水で冷やしている。となると、部分的、局所的に臨界が発生してもおかしくはない。いまのところ大規模な爆発につながる可能性は少ないとみられるが、決して「絶対に安全」と言い切れる状態ではない。何しろ、核燃料の取り出しだけでも、少なく見積もって30年はかかるのだ。何が起きてもおかしくない。
このような状況では、「臆病」こそが東電のとるべき姿勢だ。ほんの少しのことでも大げさに考え、常に最悪を予想するくらいで丁度いい。セシウムが検出されたのなら、まずは臨界の危険性を考慮して対処するのが当然である。楽観論の結果が今回の大事故につながった。そのことをまだ反省していないのだろうか。
政府もどうかしている。8月の時点で何の報告も受けていないのなら、厳しく東電を批判すべきだ。仮に聞いていて何にもしなかったのなら論外である。時を同じくして、野田首相はベトナムのズン首相と会談、原発輸出で合意した。政府にとっても見せかけの「事故収束」が最優先なのだろう。玄海4号機が発電を再開し、大間原発も建設に向けて動き出した。野田首相が打ち出した「将来は原発に依存しない」との方針は、すでにメルトダウンしている。(2011/11/11)