週刊金曜日 編集後記

1214号

▼本誌12月7日号掲載の記事「映画『1987、ある闘いの真実』の舞台を歩く」のうち、「金大中図書館」の項目で説明不足の記述がありました。元韓国大統領の金大中氏に関する説明で、「80年に起きた光州事件の首謀者として死刑判決を受ける」とした部分です。
 全斗煥新軍部は80年5月17日に非常戒厳令を全国に拡大。逮捕された金大中氏は光州事件の背後首謀者にでっち上げられ、内乱陰謀、内乱扇動、国家保安法違反などの嫌疑で起訴されます。同年9月17日、韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統、現・在日韓国民主統一連合〔韓統連〕)議長であることを理由に国家保安法を適用され、死刑判決を受けました。死刑求刑の直接の理由は「韓民統議長」だということでした。
 しかし、こうした嫌疑はすべて根拠のないものでした。金氏はその後、二度減刑され、82年には刑執行が停止し米国へ強制亡命。85年に帰国し、97年、大統領選挙に勝利しました。(文聖姫)

▼年内で『週刊金曜日』を去ることにしました。退社する直接の理由は、社長就任の打診を前社長から受けて断ったからです。そういう人間が組織に居続けるべきではありません。固辞した理由は多々ありこの紙幅では書ききれません。私は自由に生きたくて『週刊金曜日』に転がり込み、実際、かなり自由に仕事をさせてもらいました。ある程度の立場があった方が仕事は自由にできますが、それもある程度まで。この会社の社長業は私にとっては苦役と考えた次第です。そもそも雑誌不況の時代に『週刊金曜日』には大勢の熱い定期購読者の方々が盤石にいます。幸せなことです。その中で経営危機を掲げ、社内外で己れの正しさを押し付けることが雑誌づくりなのか。面白いと思わず口に出てしまう雑誌が人に伝えられ、支持されます。うまいものはうまい。まずいものはまずい。そしてその感覚は人それぞれ。それだけです。あらためて人に世に勇気を与えられる社会派雑誌としての心根が試されています。読者の皆様、本当にありがとうございました。(平井康嗣)

▼10月に著者が来日した『4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した』(NHK出版)を手にしたが、悲惨過ぎる話に心がついていかず、なかなか読み進めない。
 ポーランドで生まれ、父母ら家族5人とアウシュヴィッツに送られたマイケル・ボーンスタインさんは、これまでその体験を口にするのをためらってきた。しかし、解放後にソ連軍が撮影した健康そうに見える姿が、サイトでホロコーストはなかった根拠に使われているのを見て、真実を伝えることを決意。ジャーナリストの娘デビーさんと共に関係者や文献に当たって2年がかりで書き上げた。
 幼い目で見た、人間を焼く異臭漂う収容所の惨状が綴られている。驚いたのは、マイケルさんが生まれ故郷に帰ってからも迫害が続いたこと。自宅を占拠していた人は「仲間と一緒に焼かれちまえばよかった」と暴言を浴びせた。
 読み終わった時、国会では「出入国管理法」が共生策を欠いたまま改悪されていた。(神原由美)

▼社会も激動だったが会社も激動の1年だった。経営危機騒動を契機に、知らなかった情報が出てきたことで役員への不信感が噴出し、人間関係が殺伐とした時期もあった。相次ぐ退職者に、会社は大丈夫なのかと読者の方々にご心配いただく始末で申し訳なく思う。
 確かに、仕事のできる若手らの退職は応えたが、ピンチはチャンスと思うしかない。実際、緊縮財政になったことで、大して仕事もしていないのに見合わぬ給料をとっている人がいるとか経費を使いまくる人がいるなどの不信感は減ったと思う。役員が変わったことによって情報透明度が増したし、外部からの期待も大きいようだ。
 11月2日号に登場した大藤理子氏が、小さい差異にこだわり内輪もめしていても人は集まらない、ぱーっと明るくいきたい、もっと「金曜日」を明るく元気な感じにしたい、と指摘したことはその通りと思う。来年も厳しい情勢は続くだろうが、「ぱーっと明るく」いきましょう!(宮本有紀)