編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

故郷は他にない

 今号で取り上げたドキュメンタリー映画『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』。ヨルダン川西岸の南端、マサーフェル・ヤッタではイスラエル軍が1週間に1軒の割合で村人の家を壊していく。しかし負けてはいない。村人は夜のうちにまた家を建てる。

 はじめはそんなことを繰り返していたが、そのうち軍は大工道具を取り上げ、学校を壊し、鶏小屋や井戸を壊し、日常を壊して、この地で生きていけなくなるような仕打ちを続ける。先祖代々ここで生きてきた村人たちが、いったい何をしたというのか……。

 映画の出演者で撮影者で監督の若者たちが「もっと撮らなきゃ」「書かなきゃ」と焦る場面がある。報道しなければなかったことにされると。一方で、これ以上活動を続けたら逮捕・拷問されるかもしれないという恐怖とも闘う。

 以前「君が代不起立」で東京都教委に抵抗する都立学校の元教師、根津公子さんが、今の日本で抵抗しても命までとられるわけじゃないから、と言っていたのを思い出す。(吉田亮子)

ノー・アザー・ランド

 今号で取り上げたドキュメンタリー映画『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』。ヨルダン川西岸の南端、マサーフェル・ヤッタではイスラエル軍が1週間に1軒の割合で村人の家を壊していく。しかし負けてはいない。村人は夜のうちにまた家を建てる。

 はじめはそんなことを繰り返していたが、そのうち軍は大工道具を取り上げ、学校を壊し、鶏小屋や井戸を壊し、日常を壊して、この地で生きていけなくなるような仕打ちを続ける。先祖代々ここで生きてきた村人たちが、いったい何をしたというのか……。

 映画の出演者で撮影者で監督の若者たちが「もっと撮らなきゃ」「書かなきゃ」と焦る場面がある。報道しなければなかったことにされると。一方で、これ以上活動を続けたら逮捕・拷問されるかもしれないという恐怖とも闘う。

 以前「君が代不起立」で東京都教委に抵抗する都立学校の元教師、根津公子さんが、今の日本で抵抗しても命までとられるわけじゃないから、と言っていたのを思い出す。(吉田亮子)

「東京サラダボウル」

 NHKで放送中のドラマ「東京サラダボウル」は多文化が共存する“サラダボウル化”した東京を描く。原作は漫画『クロサギ』の黒丸氏の新作。公式サイトは次のように解説する。「“外国人犯罪・外国人事件”(略)と一括りにせず、外国人居住者の方たちの暮らしや人生に光を当て、そこに向き合う刑事と通訳人の目線で、異国で生きる葛藤に出会っていく物語」。

 このドラマが偏見や差別を生まないようにするためか、セリフがときどき説明的になることが少し気になるが、毎回多文化が反映された食べ物が登場するのがたのしみ。5話では、仕事を奪われるのではないかと、同僚の外国人をいじめる日本人が登場した。その人に通訳人が言う。

「外国人を働かせてやってるんじゃないです。日本は人口が減って子どもが減って、今の社会を維持するための労働力も消費力も足りない。日本人だけじゃ、この国はもうもたないんです。彼らを敵視して排除しようとしても、あなたの居場所は守れない」(吉田亮子)

次から次へと

次々といろいろなことが起きる。1月27日はフジテレビの「やり直し」会見をテレビで流しながら仕事をしていた。最後まですべてを聞いていたわけではないが、500人近い記者が集まれば時間がかかるのは当然だろう。それにしても、壇上に並んだフジテレビ経営陣はすべて男性だった。そのことに疑問をもたずして「再生」はないよねと思う。そして次の日には『週刊文春』が記事を訂正……。次号、この問題を特集する。

 続いて1月29日、旅客機と米軍ヘリコプターが衝突事故。この件で報じられたトランプ米大統領の発言に驚いた人は多かったのではないか。就任演説で「きょうから性別は男女の二つのみとする」と述べ、今回は「DEI」(多様性・公平性・包括性)推進が航空管制官らの人材レベルの低下につながったという批判だ。その米国が深くかかわるというイスラエルとハマースとの間の「停戦合意」の中身はどんなものなのか。今号では早尾貴紀・東京経済大学教授に執筆していただいた。(吉田亮子)

指紋押捺

 今号「指紋押捺が日本社会に問うもの」で鼎談に出席いただいた金成日さんは、昨年5月10日号の「風速計」で崔善愛さんが紹介した人物だ。押捺拒否による罰金3万円に対して、抗議として「1万円」を支払わなかったと掲載したが、日韓併合の年号にちなんで「1910円(年)」の誤りだった。そこで今回、押捺についてあらためて聞く機会をもった次第。表紙の「指紋押捺強制具」が生々しい。

 記事のように、1985年は押捺の大量拒否があった。前年出版された『ひとさし指の自由 外国人登録法・指紋押捺拒否を闘う』(社会評論社)で、拒否について家族会議をしてから3年後の善愛さんと妹の善惠さんが裁判を前に語り合った箇所がある。

「法廷にピアノを持ち込んで、思っていることを表現してみたい。それだったらいくらでもやってやるわよ」(善愛)

「コタツの中でミカンをむくように、拒否が日常茶飯になればいいのにね」(善恵)

 軽やかな言葉とは裏腹に、背負わせてしまった事柄の重みを思う。(吉田亮子)

渋谷敦志さん

畑仕事をする笑顔の女性、真剣な表情の祭りの男性、強風で傾きながら崖に立つアテの木。能登半島地震から1年を機に出版された渋谷敦志さんの写真集『能登を、結ぶ。』のページをめくると、悲惨な写真ばかりではないのに感情が揺さぶられる。それは渋谷さんが見た「その地域の限界とは裏腹の、まだ力を出し切っていない可能性」(あとがき)を感じるからだろうか。

 渋谷さんは地震翌日の昨年1月2日、日本赤十字社の医療活動の取材で能登半島に入った。その後、峠で巨岩のすき間を自転車で突入していく人に出会う。「大好きな人たちがいるから」とその先に物資を届けようとしていた。その姿に心をつかまれ、取材を続けることができたという。

しかし、写真集を持って再訪したら「さまざまな問題が現実味を帯びてきていた。能登はこれからどうするかという段階にきている」。道路は通っているので、ぜひ現地を訪ねてほしいとも。渋谷さんの願いは、「一人でも多くの人と能登を結ぶ」ことだ。(吉田亮子)

障害者と災害

 1月9日放送のNHK「バリバラ」は、阪神・淡路大震災当時、障害者が全国の仲間の支援を受けながら、地域住民を巻き込み、救援活動を展開したことを取り上げた。

 脳性まひがある福永年久さん(当時42歳)が恐れたのは、地域から障害者の姿が消えること。特別な支援がないなか、介助を受けながら地域で暮らす障害者の自立生活は弱いものだった。そこで障害者に限定せずに炊き出しなどの復興活動を自ら行ない、地域に存在をアピールした。

 ただ、今は介助者がいれば、地域とは無関係に障害者の生活が成り立つ。危機感を覚えた「ゆめ風基金」では障害者が学校に出向き、子どもたちといっしょに避難訓練をする取り組みを行なう。インクルーシブ教育の必要性は言われているが、子どもが障害者と接する機会は乏しい。

「地域で障害者が当たり前に生活しないと、災害のときだけ助け合うのはムリ」「日常と非日常はつながっている」

 障害当事者の言葉は重い。露呈した課題は30年たっても解決していない。(吉田亮子)

谷川俊太郎さんと小室等さん

 谷川俊太郎さんと小室等さんのつきあいは1968年ごろからだというから、かれこれ60年近い。今回話を聞くにあたって小室さんにお持ちいただいた写真は膨大で、「これはたぶん金沢での会食」「こっちは長野のそば屋」、そして「俊太郎さんが歌ってる」ライブや打ち上げと、公私ともに親しかったことがわかるものばかり。ほかにも「まだワープロじゃないころだったのかな。歌を作るときに、こういう詩ができたよって」受け取った手書きの原稿……。

 写真の谷川さんは「いつもながらのTシャツ」姿で、「かっこいい。似合うんだよね」。2人で乗った熱気球の不時着や好きだった車……、話は尽きない。小室さんを通して知る谷川さんはユニークで不思議、話を聞いてみたかった。

 さて、今号が年内最終号となる。敗戦から80年となる2025年はどんな年になるのか。友人から今年も届いた「チェルノブイリ39周年救援カレンダー」を見ながら、自分にできることは何か考えている。どうぞよいお年を。(吉田亮子)

川崎市ふれあい館で

 モモ(ネパールのミートパイ)、エンパナダ(ボリビアの揚げ餃子)、水餃子(中国)、ガパオライス(タイ)……。日本人と在日外国人が相互にふれあいをすすめることを目的とした川崎市ふれあい館。ふれあいは互いの歴史・文化を理解するところから、というわけで先月祭りがあった。館内は先にあげた多文化料理や、子どもたちが自分で制作した作品を販売するコーナーなどがあり、人でいっぱい。

 名物だという「多文化衣装コーナー」では、フィリピン人家族がチマチョゴリを着て撮影中だった。小さい女の子がかわいい。私も着させていただき写真を撮ったが、誌面で披露できないのが残念(笑)。

 少し辛みがあっておいしかったのがフィリピンの人気料理の一つ、パンシット・ビーフンだ。売り子の少年に料理の感想を伝えに行くと、困ったような顔。友人が通訳すると笑顔を見せた。今号の特集では金井真紀さんが「難民・移民フェス」を紹介。ぜったいたのしいし、おいしいだろうな〜。次回は参加したい。(吉田亮子)

1500号

 あがってきたゲラを読んでいると、私とは違う意見だなぁと思うことを主張する筆者にも出会う。そしてその後、「言葉の広場」や「読者会から」でそういった主張への反論が載ることもあり、筆者や編集部員が応答する……。最近は減ったようにも思うが、「論争」することが本誌の特徴の一つではないかと思う。

 そうして迎えることができた1500号。あくまで通過点に過ぎないが、1994年に入社した私にとってこの約31年の間には数々のできごとがあった。簡単に振り返ることはできないが、社会は変化し、「明るい未来」なんてますます見えてこない。それでも、今できることがあると信じて誌面を作っていきたい。

 今号では「ドキュメンタリー映画で精神疾患に向き合う」も企画した。後半の『わたしを演じる私たち』の記事に出てくるOUTBACKアクターズスクール副校長の佐藤光展さんは医療ジャーナリストとして、特集「施設コンフリクト」の記事も執筆していただいた。併せてお読みいただければ。(吉田亮子)