本当は弱い安倍政権(浜矩子)
2017年11月12日10:00AM
総選挙明けの10月23日、月曜日に本稿を執筆している。今の心境はどうか。
やれやれまたか。もとより、この思いはある。自公で解散前勢力をほぼ維持した。なんとうんざりすることか。だが、その一方で、それなりのワクワク感が、実をいえばある。「立憲民主」を掲げる政党が誕生した。そして、野党第一党のポジションにつけた。
そしてさらに、一時は妖怪アホノミクスを凌ぐ毒の鼻息を吹き散らすかにみえた緑の妖怪、グリーンモンスターが色あせた。と同時に、緑の衣の下に潜む鎧の性格がかなりよくみえて来た。「改憲踏み絵」が鎧の色合いをよく示していた。
かくして、対峙の構図がかなりすっきりみえてきた。民主主義と国粋主義が正面切ってにらみ合う。この関係が鮮明に浮かび上がった。わけの解らない与野党対決の時代は終わった。これでいい。あるのは、市民側対権力側の攻防だ。政治家たちは、このいずれの側につくのか。そのことで、彼らの知性と品格が試される。
ところで、今回も盛んに「安倍一強」ということが言われた。「一強の驕り」が出ないよう、身を慎め。選挙後の自公政権に対して、多くのメディアがこのメッセージを投げかけた。重要な戒めだ。
ただ、彼らは本当に強い政権なのか。実はそうではないように思う。彼らは、本当は弱い政権なのだと思えてならない。弱虫政権である。
弱虫の特徴は何か。それは、空威張りをすることだ。彼らには自信がない。だから必死で突っ張る。すぐに被害妄想に陥る。そして、過激な言動をもって逆襲に出ようとする。弱虫にはゆとりがない。だから、批判を封じ込めようとする。逆らう者たちを黙らせようとする。言論の自由を制限しようとする。何とも肝っ玉が小さい。
弱虫には、怖いものがたくさんある。だから、それらの怖いものを全部押しつぶそうとする。弱虫は、決して謙虚になれない。なぜなら、彼らは臆病だからだ。臆病者は、常に虚勢を張っていなければ生きていけない。そのような者たちの中に、謙虚であるおおらかさは芽生えない。
その意味で、彼らが披露してみせているのは、「一強の驕り」ではない。あれは「一弱の怯え」だ。人間は、怯えれば怯えるほど、行動が無茶なものになる。過激になる。容赦なくなる。形振り構わなくなってしまう。
市民とともに闘い続けるまともな野党組の皆さんには、弱虫の怯えと上手に対峙し、それを上手に退治してほしい。その点で、一つやや気掛かりなことがある。選挙戦中、立憲民主党の枝野代表は「右でもない、左でもない」という言い方をしていた。多くの市民とともに前に進む。それはいい。だが、右はやはり少々まずいと思う。なぜなら、その道には、どうしても国粋につながる面があるからだ。国家主義に踏み込んでいく扉がそこに開いているからだ。
振り返ってみた時、今この場面が、日本における市民主義の本格的夜明けの場だったと思える。そのような時として、今を輝かせる。それがまともな野党組の使命だ。立ち去れ、弱虫政権と偽野党たち。
(はま のりこ・エコノミスト。10月27日号)