「聖火リレー」誘致に被災地・福島の市民が冷ややかなワケ
藍原寛子|2018年10月31日10:43AM
原発事故の被災地・福島県の浜通り南部の楢葉、広野、いわきの3市町主催による「夢をつなごう!! 復興リレー2018」が10月14日に開かれた。「復興五輪」の2020年東京五輪で、具体的な聖火ルートに浜通りが選ばれるよう内外にアピールするのが目的だ。
スタート地点となったのは、収束・廃炉作業員の宿舎やスクリーニング場がかつて置かれた、広野町のJヴィレッジ。開会式典では、いわき市長、広野町長、楢葉町長が「聖火リレーの誘致で、復興の姿を全国や世界へ発信したい」などとあいさつ。「戦争からの復興」という前回1964年東京五輪で聖火に使われたのと同型のトーチを手にしたランナーを先頭に15人がスタート。原発事故後に住民の避難経路となった国道6号線がメインだったが、休日のため、廃炉作業のトラックや重機とランナーたちが併走するシーンはなかった。
出迎えた人は主にスタート、ゴール、中継地点でそれぞれ40~50人程度で、子どもたちの保護者や支援者が中心。沿道には市民の姿もなく、むしろメディアの人数が目立つほどだ。「あのー、今何をやっているんですか」。中継イベントが行なわれるJR広野駅前のコンビニの男性店員に筆者が尋ねられた。間もなくランナーが来ることを告げると、「全く知りませんでした」と驚いた様子だった。
【復興五輪どころじゃない!】
浜通りの首長らはこれまで、聖火リレーの国道6号線ルートを要望してきた。現時点では福島県をスタート地点に、岩手、宮城など被災県を含めて全国を回ることまでは決まった。詳細なルートは都道府県の実行委員会が年内に素案提示、来年夏にIOC(国際オリンピック委員会)が決定する。「今回のイベントに県はリンクしていない」と県の担当者。
同じ浜通りでも大熊、双葉、浪江町など中・北部の町は冷ややかだ。今でも帰還困難区域があり、住民の多くが戻っていない。「町民は聖火リレーについて考えるような気持ちになりにくい」(大熊町)、「今も全国に町民が避難している」(双葉町)、「五輪について特段準備はない」(浪江町)、「10日ごろ、復興住宅に入ったばかりの一人暮らしの72歳男性が自殺した。帰れない、農業ができない、交流もないというこの閉塞感の中、復興や五輪どころじゃない」(木幡ますみ大熊町議)。被災者の現状は辛酸、悲惨を極めている。
スタート、ゴール地点では、五輪に反対する地元いわき市や首都圏からのグループ「2020オリンピック災害おことわり連絡会」(おことわリンク)がプラカードを手に「被災地が『復興五輪』に利用されている」と問題を訴えると、いわき市内の男性が声をかけた。「東京五輪には光と影がある。光ばかりが強調されるが、影の部分も知らされる必要がある。もっと前に出てアピールしていいよ」。
大規模な聖火リレーは1936年のベルリン五輪から。ヒトラーが国威発揚で政治利用し、後に逆コースで欧州を侵略していった。その負の歴史は動員される日本や福島の市民や子どもたちにも伝えられる必要がある。おことわリンクの主催で、いわき市内で講演したスポーツジャーナリストの谷口源太郎さんは「聖火はプロパガンダに使われる。東京五輪は正義も理念もない。被災者の帰還強制など人権侵害も平気でやる。福島は、五輪でも人気のない野球とソフトボールの会場になったが、それは『日本人が大好きな野球とソフトをやらせてやるからこれ以上文句言うな』という意図。復興の名の下で福島やそれ以外の地域をおとしめていくことはこれからも続くだろうが、徹底的にチェックする必要がある」と指摘。
浪江町の馬場績浪江町議は言う。「安倍さんはアンダーコントロールといって誘致したが、開催時にはそれが全てだとハッキリ分かってしまうだろう」。
2年後の東京五輪では「震災からの復興」だけでなく、国策の原発が人災を起こし、被災地住民が長期間避難し、犠牲になっている福島の現状が、国際的に周知される絶好の機会になるのは確実だ。
(藍原寛子・医療ジャーナリスト、2018年10月19日号)