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フィリピンで「慰安婦像」除幕式
日本に謝罪・補償求める声
有光健|2019年3月22日1:59PM
1945年3月の東京大空襲の直前、フィリピン・ルソン島では日米による壮絶な戦いが、市民を巻き込んだ形で展開された。同年2月3日から1カ月間続いた首都マニラにおける市街戦の犠牲者は10万人を超えたとされ、当地では毎年この時期になると犠牲者を追悼し、戦渦を振り返る集いやイベントが行なわれている。
マニラの金融街マカティ地区にあるアヤラ博物館では、今年2月2日から1カ月間、「戦争と女性」と題した特別展示が行なわれた。同展を企画したリカルド・ホセ教授(フィリピン大学)は「フィリピンで女性の戦争被害を取り上げた本格的な展示は今回が初めて」と意義を強調。2日のオープニングには元日本軍「慰安婦」のエステリータ・ディさん(88歳)が戦中の体験を涙ながらに語った。
翌3日には市内のホテルで中国・台湾・韓国・北朝鮮・日本・フィリピンの支援団体責任者が「慰安婦」や強制労働被害などの解決に向けて意見を交換した。91年以降、各国で名乗り出た「慰安婦」被害者の数は前記6カ国・地域で約1000人。このうち現在も存命の被害者は81人(約8%)だと判明した。フィリピンの被害者は約300人(36人存命)だ。
この日、各国の関係者は連名で安倍晋三首相あてに加害者としての国際法上の義務を速やかかつ誠実に履行し、徹底調査と真相の公表、誠実な謝罪、国家賠償、正確な歴史教育、再発防止を求める公開書簡を送付した。翌4日の記者会見では、92年に名乗り出て、アジア女性基金も拒否しながら先頭で闘い続ける「慰安婦」被害者のフィデンシア・デイビッドさん(91歳)も早期解決を力強く訴え、日本政府だけでなくフィリピンのドゥテルテ大統領も「被害者を黙殺する大統領はおかしい。被害者の人権回復を支持・支援すべきだ」と強く批判した。
【相次ぐ「建立、即撤去」の事例】
一行は5日、パナイ島北端にある2人の女性像の除幕式に参加した。像に描かれた女性の一人は92年にフィリピンで初めて「慰安婦」だったと名乗り出たロサ・ヘンソンさん(97年に69歳で逝去)。像を建てたネリア・サンチョさん(
67歳)がラジオで呼びかけたのに最初に応じた。日本政府に謝罪と国家補償を求めた裁判の原告になった女性でもある。隣は戒厳令下に19歳でフィリピン国軍兵士による性暴力被害を受けたネリアさんの亡妹の像だ。
この像について日本のメディアでいち早く報じた『産経新聞』(2月6日付)はシンガポール支局長が急遽現地まで取材に訪れ日本政府や大使館に撤去を促そうと動いたようだ。しかしこの像の建設費には政府がマルコス独裁時代にスイスの銀行に埋蔵されていた資金を接収のうえ設けた「戒厳令犠牲者人権補償基金」からの補償金があてられ、韓国の少女像とは建立の経過も性格も異なる。
フィリピンでは一昨年末にもマニラ湾沿いに中国系の団体が中心になって「慰安婦」を象徴する女性像が建立されたが、日本政府の圧力を受けたフィリピン政府当局が「洪水対策」の名目で4カ月後に撤去。昨年12月末にもルソン島中部の私有地に韓国から贈られた少女像を建立され、韓国からの代表も参加して除幕式が行なわれたが、2日後に撤去されている。
「慰安婦」関連の像や追悼碑をめぐってはモグラ叩きのような攻防が世界各地で続く。しかし個々の国や地域の文脈で歴史と記憶を残そうとする努力に「反日」のレッテルを貼り排除、抹殺しようとする試みは逆に現地の反発を招く。
フィリピンには日本軍兵士の慰霊碑や特攻隊の記念碑が多数建つ。日本政府建立の「比島戦没者の碑」もある。自国の戦没者だけを敬い、地元民の犠牲を知ろうとしないばかりか、自らに都合の悪い歴史的モニュメントの撤去を求めるさまは“内政干渉”や“表現の自由”への干渉を超えた恥知らずの行為に見える。日本政府の言う“心からの反省とお詫びの気持ち”が本物であれば、駐フィリピン日本大使が真っ先に除幕式に馳せ参じて、こうべをたれるべき
ではないのかと改めて感じた。
(有光健・戦後補償ネットワーク世話人、2019年3月8日号)