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「聖火リレー」の源流はナチス
独ジャーナリストの怒り
本田雅和|2021年4月12日5:42PM
「オリンピックの『聖火(sacred fire)リレー』はナチスが命名して始めた行事。戦争動員のために『祖国への自己犠牲』精神を広めようと象徴的に使われた『聖火』という言葉を今なお使って五輪を宣伝しているのは日本ぐらいだ」
五輪の歴史に詳しいドイツ人ジャーナリスト、アンドレアス・シングラー氏(59歳)は、日本のマスコミが一斉に「聖火」報道を始めた3月26日夜、東京からの本誌のZoomインタビューに応じ、「日本の五輪関係者やメディアの無知」に懸念と怒りを表明した。
シングラー氏によると、ナチス支配下の1936年のベルリン五輪において、ヒトラーの右腕で政権の宣伝相を務めたヨーゼフ・ゲッベルスらによって「聖火」という言葉が初めて使われ、当時のドイツメディアにより広められていったという。
当時の人気大衆週刊誌『Die Woche』などによると、「オリンピアからベルリンへの聖火」というテーマでナチス官僚らが宣伝文を書き、「文明の出発点である古代ヘレニズムが約2000年後にドイツ国民社会主義=ナチズムに『真の目的地』を見つけ、オリンピックの炎は『聖なる火』となってトーチリレーでベルリンにもたらされた」などと主張していた。
実際にベルリン五輪で初めて、ギリシャで採火された火がバルカン諸国やハンガリー、オーストリアなど7カ国を経由して約3000キロの行程を、3000人以上の走者によって運ばれ、「ナチスの国威発揚」に貢献したという。
「しかし、当時も今も正式の呼称は決して『聖火リレー』ではなく、神聖な(sacred)との過剰な意味付けのない『オリンピックの火(fire)または炎(flame)』を運ぶ『トーチリレー』なのです。この『オリンピックの火』自体は近代五輪では、28年のアムステルダム五輪の際、会場で大会期間中燃やされたのが最初ですが、この時は、まだ決してナチスに利用されるような『聖火』ではなく、リレーもなかった」とシングラー氏は解説する。
ところが、「近代五輪の父」と言われるフランスのクーベルタン男爵自身がベルリン五輪開催の過程でヒトラーに傾倒し、「聖なる炎」という言葉を使ってナチスを讃えるようになる。その後、次に予定されていた40年の「東京五輪」(当時の大日本帝国政府は「紀元二千六百年記念行事」として準備)は、日本の中国侵略戦争への突入の中で開催権返上に追い込まれ、「幻の五輪」となるのはご承知の通りだ。