袴田事件、検察の主張に沿う高裁の審理――再審開始取り消しの恐れも
2015年9月9日11:54AM
「裁判所の言葉は『やりたいから協力してくれ』ですが、翻訳すれば『やるから従え』ということでしょう」
袴田事件(1966年)で死刑判決が確定した元プロボクサー袴田巖さん(79歳)の再審請求をめぐり、8月13日に東京高裁(大島隆明裁判長)で開かれた裁判所、検察、弁護団による非公開の三者協議。終了後の弁護団の記者会見で、DNA鑑定を担当する笹森学弁護士は悔しさをにじませた。
高裁はこの日、DNA鑑定の一手法である「選択的抽出方法」の検証実験を実施する意向を明確にした。静岡地裁の再審開始決定(昨年3月)を不服として即時抗告した検察が求めていた。
選択的抽出方法とは、唾液や皮脂、汗などが混じっている可能性のある血痕から、血液に由来するDNAを選り分けて取り出す手法だ。静岡地裁が実施した「5点の衣類」(袴田さんの犯行着衣とされていたシャツ、ズボンなど)の血痕のDNA鑑定で、弁護団が推薦した本田克也・筑波大学教授(法医学)が用い、その結果は再審開始決定の拠り所になった。
検察は高裁審理で、本田氏の鑑定結果を覆そうと躍起になっている。即時抗告後、別の法医学者に同様の実験を依頼し、「選択的抽出方法では20年前の血痕からDNAを抽出すること自体が困難だった」とする意見書を提出。「本田氏独自の手法で有効性がなく鑑定結果は信用できない」と主張し、高裁に検証実験を働きかけてきた。
これに対して弁護団は実験を「不必要・不相当」と訴えてきた。選択的抽出方法は「世界的に受け入れられており、科学的な合理性は十分」と反論するとともに、袴田事件のDNA鑑定ではあくまで効果を高めるための「補足的な手順」で、使わなかったとしても結論に変わりはないと強調した。
そうした状況で高裁は検証実験の実施に前のめりになっていく。
弁護団によると、高裁は昨年暮れに「疑問をそこだけ確かめたい」と実施を打診。弁護団との「押し問答」の末、今年4月に「職権的に実施することを強く希望する」と宣告した。弁護団は7月の三者協議後、「裁判所が思いつきで実験をやりたいと言っているのに等しい」と不信感を吐露している。
【検証実験は法律上も疑問】
実験の方法についても、高裁は検察の提案に沿う形を志向している。古い血痕に別人の新しい唾液を混ぜて試料を作り、血液のDNAを抽出できるかどうか確かめるやり方だ。弁護団は「DNAは時間の経過とともに減るので、唾液のDNAを検出させるための誘導的実験だ」と強く反発している。
弁護団は、即時抗告審で検証実験のような「事実調べ」をやり直すことが「法律上許されるものではない」とも主張してきた。刑事裁判で高裁審理は「事後審」とされ、訴訟記録をもとに一審の妥当性を判断するのが原則だからだ。
元東京高裁判事の木谷明弁護士は「検察の主張をきっぱり退けるのが目的と考えられなくもないが、再審開始決定をひっくり返すためという可能性も否定できない」と分析。「即時抗告審で事実調べの『延長戦』をするのは、高裁審理のあり方から見て疑問だ。発生から50年近く経った事件でもあり、高裁が深入りして長引かせるのは異常ではないか」と指摘する。
弁護団は次回9月3日の三者協議までに、検証実験を受け入れるかどうかの最終的な回答をする。とはいえ、高裁が職権で実施を決めれば、実験方法などの条件闘争にならざるを得ない。
心配されるのは、結果の評価をめぐって激しい論争が起き、審理が長期化する恐れが強いことだ。さらに、再審開始決定が取り消されでもすれば、釈放されて郷里の静岡県で姉の秀子さん(82歳)と暮らす袴田さんが、再び身柄を拘束される事態になりかねない。
西嶋勝彦弁護団長は「DNA鑑定だけが再審開始決定を導いたわけではない。実験結果がどうあろうと決定は揺るがない」と力説する。他の論点と合わせ、高裁の審理の進め方を注視する必要がある。
(小石勝朗・ジャーナリスト、8月28日号)