筑紫さんの逝去について
2008年11月12日4:00PM|カテゴリー:お知らせ|admin
かねてから病気療養中でした筑紫哲也(ちくし・てつや)編集委員が、2008年11月7日、東京都内の病院において、肺がんのため急逝しました。謹んで哀悼の意を表するとともに、株式会社金曜日代表取締役であり『週刊金曜日』発行人である佐高信編集委員のコメントを掲載します。
なお、『週刊金曜日』では11月14日号で急遽4ページの追悼特集をくみました。また12月5日号で8ページ(カラー5ページ、白黒3ページ)の特集を掲載する予定です。
『週刊金曜日』は15年前に石牟礼道子、井上ひさし、久野収、筑紫哲也、本多勝一、の5人を編集委員としてスタートした。その創刊メンバーの一人である筑紫さんに亡くなられて愕然としている。
小誌は「権力に嫌われる雑誌」を標榜しているが、筑紫さんは「にこやかに」そうしていた。硬直的でない抵抗のスタイルを貫いたところに、ジャーナリストとしての筑紫さんのユニークさがあった。少数派は文化で勝つしかないことを、よくよくわかっていたのも筑紫さんだった。
護憲の立場を譲らなかったことを含めて『週刊金曜日』の目指すものを最も体現していた筑紫さんに亡くなられて残念でならない。
『週刊金曜日』発行人 佐高信
『週刊金曜日』は15年前に石牟礼道子、井上ひさし、久野収、筑紫哲也、本多勝一、の5人を編集委員としてスタートした。その創刊メンバーの一人である筑紫さんに亡くなられて愕然としている。
小誌は「権力に嫌われる雑誌」を標榜しているが、筑紫さんは「にこやかに」そうしていた。硬直的でない抵抗のスタイルを貫いたところに、ジャーナリストとしての筑紫さんのユニークさがあった。少数派は文化で勝つしかないことを、よくよくわかっていたのも筑紫さんだった。
護憲の立場を譲らなかったことを含めて『週刊金曜日』の目指すものを最も体現していた筑紫さんに亡くなられて残念でならない。
『週刊金曜日』発行人 佐高信