3.11から10年
〈見えない化〉に抗う
表紙の写真「原発さえなければ」は、福島県相馬市の酪農家だった菅野重清さんによる「遺書」の一部である。菅野さんは、原発から約60キロメートル離れた山あいの小さな集落で、約40頭の乳牛を飼っていた。「3.11」から3カ月後、菅野さんは深い絶望の中で、自らの命を絶った。54歳だった。「遺書」はこう続く。
原発さえなければと思ます
残った酪農家は原発にまけないで
願張て下さい
先立つ不幸を
仕事をする気力をなくしました
(妻、二人の息子の名前を書き)
ごめんなさい
なにもできない父親でした
仏様の両親にももうしわけございません
(原文ママ)
菅野さんだけではない。福島県須賀川市でキャベツを栽培していた64歳の男性も、国から出荷制限の連絡を受けた翌日、自殺した。私たちは、「原発さえなければ」という無念の思いを抱いた多くの人たちのことを、決して忘れない。それがこの一連の報告の原点にある。
- 自分ごととして考え続けるために
絵本作家・鈴木邦弘さんが描く福島・浜通りさいたま市に住む絵本作家の鈴木邦弘さんは、鮮やかな発色の絵の具・アクリルガッシュで福島浜通りの風景を描き続ける。風景の中に立ち尽くす1 匹の犬と1 人の男性。そこに込めた思いは。
- 福島第一原発沖の海に潜る
- 被災地の精神科医が綴る津波と放射能、怒りとかなしみ第3回
福島で「心の傷」と向き合って大津波と原発事故による放射能放出で故郷を奪われ、今なお「実害」を受け続ける被災者や避難者の人々――国・県と学者が唱える「風評被害」という言葉で「見えない化」が進むが、人々が抱えるトラウマ=「心の傷」という実害に日々向き合う精神科医が、被災地から報告する。
- 実態把握せずに支援打ち切り
ほど遠い「人間の復興」2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに続く東京電力福島第一原発事故から10 年が経過した。しかし、原子力緊急事態宣言は解除されておらず、事故はまだ継続している。にもかかわらず避難者たちは次第に「見えない存在」にされており、「人間の復興」からはほど遠い。
- 立憲民主党 山崎 誠・環境エネルギー調査会事務局長に聞く
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- 山内若菜 絵画「はじまりのはじまり」
福島で死んでいった動物たちを生のエネルギーに反転させて - 小森はるか+瀬尾夏美 映画『二重のまち/交代地のうたを編む』
他者の体験にどう向き合いどう語り継ぐのか - 詩森ろば 演劇 『岬のマヨイガ』
女性3人の新たな家族に託し震災からの再生を描く - 被差別部落の所在地を暴き差別を煽動
ネットの「部落探訪」はなぜ削除されないのか - 不謹慎な旅 (34) 長崎「出島」
失われた扇 - 女性のための相談会を女性たちが開催
- たとえば世界でいま
ビルマ/デモ隊をマシンガンで掃射、死者50超
森発言に一番にNOを出したドイツの数十年 - メディアウオッチ
山田氏辞職でも報道には歯切れの悪さ目立つ
マスコミ労組が「オトコ目線変えよう」とシンポ開催