「すべての生命は平等」を機軸に誌面を作ります
2004年2月6日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
小学生のころ、かれこれ45年も前のことだが、授業は二部制だった。児童の数に学校建設が追いつかず、午前と午後に分けるしかなかった。最高のおやつだったコロッケが五円。戦後の混乱が収まらず、みんなが負け組だった。
こんな話をしていると、居合わせた30台の女性がさらりと言ってのけた。
「私たちの世代ってあまり負けた体験がないんです。経済的な心配は一度もしたことないし、高校、大学は一流の学校に入り、名の通った企業に就職。結婚もする気になれば相手には困らないし…」
彼女の世代がすべてそうとは思わないものの、「なるほど」と肯きながら、得心することがあった。与野党を問わず、勇ましい主張をする若手議員の多くは生来、勝ち組なのだろう。だから彼らにとっては、国も個人も「優秀」が普通なのではないか。もちろん若手議員に限ることではない。だがベテラン議員に比べて顕著な気がするのだ。
大胆に言ってしまうと、自衛隊の海外派兵も年金の切り下げも、詰め込み教育の復活も、みんな勝ち組の発想に思える。どうしたって、優勝劣敗の世界を目指しているようにしか見えない。「強い者が幸福をつかめる。だから日本も強くならなければならない。国民も競争社会を勝ち抜くようにがんばれ」という天の声が、降ってくるかのごとくだ。
このような状況は一種の階層社会であり、当然、「生命」にも価格がつく。仮に、イラクで活動していた自衛隊員と、そこで働いていたイラク人が傷ついたとする。補償額はどうなるだろう。さまざまな条件により、ある程度、差がつくのはいたしかたない。だが、それ以上に開きが出るのは間違いないだろう。根底に、日本は勝ち組、イラクは負け組という意識が働くからだ。
「すべての生命は平等」。これは揺らぐことのない、根元的な真理である。
このことを機軸に、新編集長として誌面を作っていきたいと思います。
どうか、おつきあいをよろしくお願いします。(北村 肇)