戦後、日本は「平和・民主主義」と「経済復興」の両輪でスタートした。だが今や、前輪は小さくなるばかりだ。正常に戻すには平和憲法が欠かせない。
2004年4月30日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
イラクのアフガニスタンのルワンダの、静まり返った瞳をもつ子どもたちの写真を見た夜、公園の電灯下でキャッチボールする親子を見かけた。そこに平和憲法がある。
一九四五年、日本は焦土の中、「平和・民主主義」と「経済復興」の両輪でスタートした。天皇制のもとでの海外侵略、人権侵害を猛省し、二度と戦争はしないと誓った。そのうえで、経済建て直しにすべての市民が立ち上がった。
だが、いつしか後者だけが肥大化し、結果としてこの国は蛇行し始めた。気付いたら、「経済復興」は「経済大国化」と変質し、エコノミックアニマルのアジア侵略が多くの国から批判された。さらには、膨張する軍事費が象徴するように「富国強兵路線」が顕在化し、ますます右へ右へと旋回している。
このような状況を見たとき、いますべきは、「平和・民主主義」の車輪を大きくし、バランスをとることでしかない。でなければ、戦争への反省に基づき、新らしい日本をつくってきた先人の努力を無にする。そして、その基盤が憲法にあるのはいうまでもない。
私なりに、これは正論と思っていた。だが最近の、憲法に関する世論調査結果を知り愕然とした。たとえば20日付け「毎日新聞」。改憲派は59%と半数を超えた。また、改憲派の中で「九条は変更して自衛隊を持つことを明記すべきだ」という回答が57%に達したという。朝鮮戦争時に「軍備論」が高まったといわれるが、少なくとも70年代以降、憲法改正派が過半数になった調査結果を私は知らない。でも裏を返せば、まだ半数だ。あきらめまい。
「テロに屈しない」といきがったり、真の人道援助のためイラクに入った若者に対し、「自己責任」などといいがかりをつけたみなさん、そんなに平和が嫌いなら、どうぞ勝手に自分で戦地に行ってください。ただ、決して公園の親子を巻き込むようなことはしないように。憲法を大切にしている私たちを道連れにしないように。
どんなに青臭いと言われても、こどもっぽいとバカにされても、私は確信している。「正義は必ず勝つ」と。(北村肇)